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2011年10月24日 月曜日
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《Diary 2003年11月》

2003年11月30日 日曜日

なんとか1月9日成田発のチケットが取れた。結局アトランタ経由で乗り換え1時間50分だからまぁ大丈夫だろう。片道で料金は5万円。まぁ充分安いかな。

今日は残りの2枚の図と表をいくつか作った。ここからはひたすら文章を書いて練り直してという作業。2週間後のワークショップの準備もしなきゃいけないから1週間後にはだいたい終わっているという形にしたい。はてさてどうなるか。


2003年11月29日 土曜日

気が付いてみたらJリーグのセカンドステージが終了してた。結局ファーストステージに続き横浜が制して完全優勝達成。久保が来て以来いい感じだな、横浜は。磐田と鹿島はどちらも終了間際の失点で優勝を逃し、2強時代から3強時代へ突入?レッズは予想通りというかなんというか終盤息切れして6位に沈む。まぁでもJリーグ発足当初からのレッズファンとしては、降格の心配の無い位置で戦ってくれてるからいいか、という感じではある。また、ブッフバルトが近い将来レッズの監督になる可能性があるらしい。彼にどの程度監督としての能力があるかわからんが、大好きな選手だったので戻ってきてくれると単純に嬉しい。

今日はひたすらお絵かき。論文に載せる予定の12枚の図のうち10枚まではなんとか作った。しかし、ここから先はなかなかしんどそうだ。


2003年11月28日 金曜日

Mikeが2次元パワースペクトルの話を聞きに来た。昔作成したノートなど見つつ、拙い英語で説明。1時間くらい話をして納得して帰っていったが、果たして正しい説明をしたのか甚だしく疑問。

朝一で銀行へ。大学から届いたcheckとbank cardを渡して、checking accoutとsaving accountのどちらにdepositeするかを答えたらすんなり換金終了。ちなみに小切手を換金することをcash a checkと言うことを初めて知った。

今日のBrewer SeminarはMarkによるConditions for the symmetric stability of the equatorial middle atmosphereという話題。今までsymmetric instabilityについて勉強したことが無いんだが、convective instabilityとinertial instabilityの合わさったようなものらしい。convetive instabilityとinertial instabilityが温位と絶対角運動量を媒介として同種の現象として扱うことができる、というのはなるほどなぁと感心。

Eufrasioさんと話しているときに彼がロシアにいたときの話になった。ロシアの人は湖の氷に穴をあけて3分くらい平気で水につかったりするそうだ。Eufrasioさんも彼らの真似をして雪の上を裸足で走るかなんかしてたら肝臓をやられて2週間入院する羽目になったらしい。なぜ寒さで肝臓がやられるのか謎だが。そのときに娘さんの言った言葉が「You are a tropican, not a Russan!!!」だそうで、申し訳ないと思いつつ爆笑してしまった。

今日から論文書き開始。まずはJASの投稿規程に合うようにLatexのプリアンプルをいじって試行錯誤。それから既に書いてある文章を貼り付け。これが意外と時間がかかって現在進行中。しかし、帰国前にS先生に初稿を渡そうとしたら結構しんどいスケジュールであることに今更ながら気づいた。まぁともかく頑張ろう。

地球の歩き方のホームページで成田からトロント行きの片道航空券の問い合わせ。電話で注文しないといけないらしいので、週明けに国際電話をせねば。それにしても、仮にチケットが取れたとしてもまたもや乗り換え1時間半という厳しいスケジュールになりそうだ。

第45次南極観測隊が成田を出発。お気をつけて。

H2Aが打ち上げ失敗。このところロケットはずっとうまいこといってたのに、JAXA発足後初めての打ち上げでこけてしまいました。1回の成功・失敗でころころと風向きが変わるロケット事情。責任者は胃に穴あけてるんだろうなぁ。でもこれでまたひまわりの後継機打ち上げが遅れるのは非常に困るのでなんとかしてほしい。


2003年11月27日 木曜日

今日のGroup MeetingはDavidによるTracer-tracer correlation関連の話。O3-H2O, O3-COの散布図を中緯度対流圏・成層圏で作成すると非常にコンパクトなcorrelation curveが得られる。そのカーブからずれている事例(Davidはanomalous mixing lineと呼んでいた)を抽出すると、Tropause foldingに伴うtongueときれいに対応していた。Davidが解析に使用したCMAMのデータはかなり古いバージョンらしく、COが高さと共に増大するという摩訶不思議な分布をしていた。どうやらCOのsource(おそらくbiomass burning)が小さすぎるのが原因のようだ。来月のワークショップで発表するのは無理と言っていたので、まだこれから解析を行うところのようだ。この話題は非常に馴染みがあるし、Davidの英語は他の人に比べれば聞き取りやすいので、こちらに来てから一番理解できた発表だった。少し質問もはさめたし、まぁよかった。

今日のGroup LunchはSpadina×Dandusの交差点にある中華料理店。S先生がここにはベジタリアンを連れてこられないんだ、と言うからベジタリアン用のメニューが無いのかと思ったら、店頭にぶら下がってる丸焼きの豚さんたちのせいらしい。この類の店は中華街に何軒かあるけど入ったのはそういえば初めてだ。Markと話しているときに、Mikeが2次元パワースペクトルの計算でてこずっていると聞く。そういえば、日本にいるときもどうやって計算するのかと誰かに聞かれたような気がするなぁ。MikeはHayashi [JMSJ, 1982]を参考にしようとしてると聞いたので、そんな面倒なことはしないで単純にフーリエ変換を2回した方がいいと言っておいた。

どうしても今日中に話をしたかったので、お客さんがいなくなった終業時刻の頃にS先生のところにディスカッションをしに行く。もうそろそろ帰るところだっただろうに1時間も付き合わせてしまってごめんなさい。今回もいろいろと鋭いコメントを頂いた。共著に入ってもらえることになり、投稿先はJASかJGRで悩んでたけどJASの方がいいだろうということでそうすることにした。とは言っても、JASのChief EditorはS先生なので、書きあがったら秘書のAnaさんのところに持っていけばいいらしい。ただ、JAS用のLatexのスタイルファイルがWeb上に見つからない話をしたら、どうやら本当に無いらしいことが判明。あぁめんどい。何はともあれ年内初稿脱稿を目指して頑張ろう。

先日の出張旅費が大学から小切手で届いた。まさか現金で渡されることはなかろうと思っていたが、なるほどこういう形で来るのか。道理でAnaさんから住所が合っているかどうか確認されたわけだ。しかし、小切手による支払いにはなれたけど、小切手を現金に換金するにはどうしたらいいんだ?まぁ銀行に行けばわかるか。


2003年11月26日 水曜日

最寄のスーパーで購入した冷凍ポテトが激まず。いつも違うのを購入してたけど、今回は大はずれ。これほどのはずれはこちらに来た直後に購入したミートソースの缶詰以来だ。食べ物を粗末にするのは心苦しいが、次のゴミだしの日に消えて頂こう。

ESLで一緒になった日本人の人と晩御飯を食べに行く。二人ともお隣のChemical Research Buildingの人なんだが、どういうわけか普段会ったことは一度も無い。二人ともトロントで年を越すらしく、鐘つきがどうこうという話をしてた。

S先生からsuggestされた事柄がようやく自分の中である程度消化できたので、それに基づいて論文の構成を修正。分量的にも内容的にも悪くないかなというところまで到達できたような気がする。もう一度話をしたら書き始める予定。でも今週はまだS先生が大学に来てないので話す機会が無いけど。

今日のAtmospheric Physics SeminarはフランスCNRSのKerzenmacherさんによるSolar influence on climate and the environment (SOLICE)という話題。中層大気の気温やオゾンのデータに見られるSolar activity, QBO, Volcano, TrendのシグナルをRegression analysisで定量化するということらしい。QBOとSolar cycleの関係が気になって聞きに行ったけど、QBOの影響は弱いということだったのでさっさと退出してしまった。もともと、こういうRegressionを用いたやり方はどうにも好きになれない。もちろん、単に相関がいいから関係がある、と短絡的に結論しているわけではないと思うんだけど、地球大気内部のプロセスというか非線形効果というかによるModulationを切り捨てているように思えてしまう。

今ごろになってD論の中の数式に間違い発見。しかも、ここは絶対間違えてはいかん、と思って気をつけていたはずのところを間違えてる。こんなものが国会図書館に当分残るのか。はぁ。


2003年11月25日 火曜日

朝起きたら一面の銀世界、というわけではないけど、未明にかけて雪が降ったらしく建物の屋根はほぼ白くなっていた。着々と本格的な冬になってきている。

Plougonven and Teitelbaum [GRL, 2003]を読む。客観解析データ中に見られる慣性重力波がラジオゾンデデータに見られる慣性重力波と一致しているか、という話。中緯度域の重力波を抽出する場合に発散を使うことで、地衡風成分を自動的に除去できるというのはなるほどなぁと思ったんだが、非地衡風成分=重力波でいいのか?また、使用しているECMWFデータがinitializedかuninitializedかで話が違ってくると思うんだが、それが明示されていないのは何故?ただ、当初存在していなかった慣性重力波が12,24時間後のForecast dataの中に現れていることから、この重力波はデータ同化によって生み出されたものではなく、モデル中の物理的なプロセスによって作られたものである、という考え方は面白かった。


2003年11月24日 月曜日

Yamamoto et al. [GRL, 2003]を読む。EARのエコー強度を使った対流圏界面決定の話。EARとGPS掩蔽観測という世界でも稀な武器を持つRASCは当分のあいだ日本のこの分野をリードしていくんだろうなぁとしみじみ。最近はやりのTTLの話題には意図的に触れてないようにも見えるけど、たぶんFull Paperで出すときにはそのあたりの話もするんだろうな。

雨が降ったり止んだりだと思っていたら、夕方から僅かに雪がちらついて、風が強いおかげで体感温度も急降下。今はまだいいけど、気温-10度で今日みたいな風だったら本気で寒いだろうなと実感。それにしてもこの強風の原因は一体なんだ?一応気象学会所属なんだから自分で考えろよ、と思わないでもないが。


2003年11月22日 土曜日

スノーブーツを買いにEufrasioさんに教えてもらったGalleriaショッピングモールへ。ここのZellersで探したけどいいのが無かったので、Bloor×Yongeへ。大家さんに教えてもらったJapan Deliで昼食をとる。可も無く不可も無くといったところか。さすがにアパートからは遠いのでそう来ることはないだろう。ついでにトロント最大級で日本語書籍も置いてあるというToronto Reference Libraryへ。5Fの一角に日本語書籍のコーナーがあり、鈴木光司の本を見つけてつい読みふけってしまった。その後、Canadian Tyreへ行ってブーツ購入。


2003年11月20日 木曜日

今週はS先生が出張で不在のためGroup Meeting,Group Lunchはお休み。最近よく昼食を食べに行くのが物理学科の建物から3分ほどのところにある中華料理屋。ランチタイムとディナータイムにそれぞれビュッフェ形式になっていて、要するに食べ放題。味も結構いいし、値段は8$、チップを払う必要も無いからお手軽。全体的にちょっと辛めだけど、これからの時期にはちょうどいいかな。

女子柔道48kg級の真壁が引退。田村亮子に勝ったことのある数少ない人間の一人でもあり、田村さえいなければ五輪・世界選手権で1度や2度は勝ってただろうなという選手でした。ちょっと残念。

何年経ってもノーマルモードという言葉のイメージが湧かない。一応、境界条件を満たす自由振動(波)で中立なもの、とは思っているんだが、実際に観測される波動に対してノーマルモードとか言われてもどうにもうまくイメージできない。困ったもんだ。


2003年11月19日 水曜日

ようやく大学からメールサーバにアクセスできるようになった。結局原因不明。

レビュー依頼が来た。こうやってくるのかぁとしみじみ。極地研の雑誌で途中からreviewerに加わったことはあるけど、あれは日本語でコメントすれば良かったから至って楽だった。まともなレビューはこれが実質初めてか。とりあえず読んでみよう。著者を見ると結構なビッグネームが入ってるなぁ。

南極観測の存続を訴えるがんばれ!南極観測というホームページがあります。せっかくなのでここで宣伝。ついでにLinkにも追加。


2003年11月18日 火曜日

相変わらず大学からメールサーバにアクセスできず。仕方ないので転送先をトロント大学内のサーバに変更。自宅からはアクセスできるのに何故?


2003年11月17日 月曜日

今日のJournal ClubはRebekahによるPV関連論文の総元締めHoskins et al. [1985]の紹介。しかし、まだ勉強し始めたばかりという感じでそれほど深く突っ込まず。この論文の味噌はやはりPVのinvertibilityとconservative feature。さらにこの2つの性質に基づいて、ロスビー波の西進や順圧・傾圧不安定の概念をイメージとして捉えることができる、というのが大事な点だと思うけど、そういった話に行く前に終わってしまった。

今日のESLはLeading group discussionということで、発表しつつ議論を誘導しましょう、という課題。うちのグループはDietに関して発表。最初はイラク戦争に対する各自の意見みたいなものを考えてたけど、生徒の中に中東の人もいるからちょっとまずいかなということで変更。2人1組で喋るんだが、20分のうちの15分を一人で使ってしまってパートナーの人に大迷惑をかけてしまった。色々な意味で周りが見えてない。はぁ。


2003年11月16日 日曜日

東京国際女子マラソンで高橋尚子が2位に終わり、アテネ五輪代表は困難に。途中までは至って順調で2時間20分を切って優勝するだろうと思ったのに、35km過ぎに失速。日本人トップだけは確保したけど、まぁ代表は無理でしょう。前回のベルリンでも終盤失速する傾向は出てたけど、ここまで失速するとは。今回は調整も万全で期待してたのに。残念。


2003年11月15日 土曜日

King StreetにあるMountain Equip. Coopで冬用コート購入。会員にならないと購入できないということで5$払って会員にさせられた。まぁいいけど。

クリニックの電気工事があって、うちの部屋もすこし明かりを増やしてもらった。大家さんと工事のおっちゃんの話は全部中国語なので何を言っているのかさっぱり。

せっかく書いたNetCDF用プログラムがF90では走らず、g77でしかコンパイルできない。しかも大学で使っているVine2.6r1にはどういうわけかg77が入っていなかったのでgcc関連のソースを取ってきてインストール。これでなんとか読めるようになったが、F90で走らないのは痛いなぁ。


2003年11月14日 金曜日

今日のBrewer SeminarはSimalによる熱帯におけるBalanced Flowの考え方、というような話だと思っていたんだが、浅水系の方程式をいろいろいじって終わってしまった。やっぱり黒板に式を書くだけだと理解が追いつかないよ、Simal。

今日もときどき雪がぱらつく生憎の空模様。新聞を読んでたら昨日は100km/h(約30m/s)の風が吹いたとか書いてある。多分瞬間最大風速だと思うけど、台風並だ。オンタリオ州内のどこかでは強風のため電柱がなぎ倒されたらしい。

来週のESLのクラスで再びプレゼンを行うことになり、パートナーの人と電話で打ち合わせ。面と向かっていればまだしも、電話で英語の打ち合わせはやっぱりしんどい。何度も聞き返したりしながらなんとか終えたが、勘違いしてることがあるかも。


2003年11月13日 木曜日

今日の天気、吹雪。朝大学に行くときは雨だか雪だかわからないものがちょっとぱらついてるかな、という程度だったのが、昼前から完全な吹雪に。今日はGroup Lunchということで外に食べに行ったが、まじ寒い。今週末にでもコートを買いに行こうと思っていたけど、一足遅かった。でもこれでも気温は0度くらい(風が強いから体感温度は-5度くらいだけど)、1月には氷点下20度切ることもあるよとDavidに言われ、そんな日は自主休業しようと心に決めた。そういえばこれが初雪か?

今日のGroup MeetingはSorrinによる(軸)対称流のAPEをHamiltonianとCasimirを使って導出しましたというお話。有限振幅の擾乱に適用可能なwave activity保存則の導出にも通じる話題なのでなんとか理解しないといけないんだが、その前に解析力学の教科書を引っ張り出してきてHamiltonianの勉強しないといけない。


2003年11月12日 水曜日

どうやらMikeがERA40のデータをダウンロードすることになったらしい。メールで連絡が来たのでダウンロードして欲しいデータの要望を出しておいた。ただ、実際に使う場合、データの置かれるWS上には当然ながらDENNOUなどは入っていないので、自分のPCに取ってくる必要があるだろう。しかし、自分のPCにはそんなハードディスクの余裕は無い。どうするかな。

今夜は雷雨。なんでこの時期に?前線性の雷かな?こちらの天気図についてまじめに見てみる必要があるか。

同室のEufrasioさんは6年前にキューバを出て、その後ロシアなどにいたらしい。ロシアで撮った家族の写真などを見せてくれた。それにしてもあんなに大きいお子さんがいるとは。てっきり同じくらいの年齢かと思っていたんだが。年齢不詳だ。

Pedloskyの教科書で浅水系など勉強しなおす。それでもまだS先生に指摘された部分の理解ができない。明日は小倉先生の教科書で勉強かな。

今日はずいぶんとメールを書いた日だった。


2003年11月11日 火曜日

今日はRemembrance Day。戦没者を追悼する日ということくらいしか知らないし、特に休日というわけでもないので全然知らなかった。夜のニュースで各地でのセレモニーの様子などを見て初めて認識。

今年の南極観測隊で、ドームふじで越冬する人は南アフリカから航空機で南極大陸に向かうそうだ。極地研所属のくせに全然知らんかった。しかも朝日新聞の記事でインタビューに答えているMさんにはずいぶんと(飲み会で)お世話になったというのに。そういえば、ちょっと前の日記に南極で飛行機で行けたらいいのに、というようなことを書いたけど、いつのまにやら部分的に実現していたんだな。ただ、昭和基地は全くの対象外だし、しらせの後継船の問題はまだまだ決着してないみたいだから、根本的な解決は当分先かな。


2003年11月10日 月曜日

今日のAtmospheric Physics SeminarはYork Univ.のJim Whiteway氏によるEgrettを用いた航空機観測の話。前半は先日のmini-symposiumでも話していた重力波砕波に伴う乱流生成の話。後半はオーストラリアのダーウィン付近に現れるHectorという有名な積乱雲のライダー観測についてなど。あまりついていけず。

初めてKorean Townで飯を食った。見事なまでにハングルが溢れている。China Townの次に大きいのがひょっとしてKorean Townだろうか。ちなみに今日入った店は、味は普通で値段が安い店だった。

昨日かと思ってたら今日が市長選でした。結局本命が勝ったらしい。平日なのに皆さん選挙に行くんだなぁと感心。新聞読んでたら、ひょっとして俺も投票する権利があるんだろうかと思ったんだがどうなんだろうか。


2003年11月9日 日曜日

今週のJGRにTRACE-P関連の論文がずいぶん載ったらしい。自分は傍から見てただけで全然関係は無いんだけど。

この週末は極地研のサーバが止まっていたらしく、メールは届かない、ログインも出来ない、という状態が続いた。そういう連絡を受け取ったという記憶は無いんだが。今の時代に2日以上もサーバを止められるとかなり痛い。だからといって土日にボランティアで来てなんとかしてとは言えんが。法人化を機にこのあたりのことも考えてくれないかな。

タイガーウッズの5年連続賞金王ならず。ビジェイ・シンが初の賞金王獲得。


2003年11月8日 土曜日

今日のトロントは最高1度、最低-5度。いつの間にやらずいぶんと寒くなったもんだ。外を歩いていても、耳元が寒いを通り越して感覚なくなってきた。もう2,3度下がると今度は痛くなってきそうな感じだ。ぼちぼちフード付きのコートを買ってこないといかんな。S先生からは雪に備えてゴム製厚底ブーツを買うようにすすめられたし、冬本番はもう間近。明日の朝は-7度まで下がるらしい。

日本は明日衆議院選挙みたいだけど、トロントも明日が市長選挙。何が焦点なのかテレビのニュースを見てても聞き取れないけど。

友人K氏の依頼もあって、NetCDFのファイルを読むために自分のPCにNetCDFのライブラリをインストールしてバイナリ形式に落とすFortranプログラムを書いた。これまでNetCDFを避けてGRIB形式のデータを取ってくるか、極地研のWSに入っているIDLのスクリプトでデータを読んでいたが、これからは自前でどうにか出来そうだ。それはともかくとして、K頑張れ。あと1ヶ月ちょっとの苦しみだ。書いてしまえばこっちのもんだ。


2003年11月6日 木曜日

今日のGroup MeetingはMarkによる改良型赤道β面非弾性近似方程式系における対称不安定、というような話題。方程式系の導出に時間をかけすぎ、肝心の部分が尻切れトンボになってしまった。方程式系については従来の非弾性近似との違い、及びその結果どういう改善が行われたのか、だけを言えばよかったのではなかろうか。今後、どういう方向性で進んでいくのかがよくわからず、Mark大丈夫かな、という感じ。

Group Lunchはもろもろの理由により明日に延期になったけど、結局DavidたちとGoldenなんちゃらという中華料理店へ。味は並だけど、値段が安かった。MattとERA40の話をした。彼自身は現在UKMOを使っているらしいが、赤道域のBalanced Flowという彼の研究内容から考えて、NCEP,ERA40との比較は必要、かつ有効だろう。


2003年11月5日 水曜日

朝起きてみたら、ドアに伝票が挟まっている。見てみると、宿泊代が予約した際の値段よりも高くなっている。おかしいと思ってチェックアウトの際にフロントに文句を言ったらすぐ新しい伝票を作ってくれたが、このホテルに泊まることは二度とあるまい。

今日はSPARC Workshop on Understanding Seasonal Temperature Trends in the Stratosphere。午前中は主に気温の長期トレンドの見積もりに関する話。2000年から2001年にかけて成層圏気温衛星観測データがSSUからAMSUに移行したことに伴うバイアスの話や、ラジオゾンデと衛星観測のクロスチェックの話など。まだまだ歴史の浅いGPS観測の話があまり出なかったのが残念。午後は、気温の長期トレンドを作り出しているのが力学か化学か放射かそれらの相互作用か、という話。この頃には眠気で意識朦朧としていたのであまり記憶無し。

帰りはS先生とPawsonさんと一緒になったんだが、電車の中で荷物をドアの近くに置いていたら、ドアが開いた瞬間に持っていかれることがあるから中に置くようにと二人同時に言われてしまった。Washington D.C.は想像以上に安全だなと思っていたけど、やはり侮り難しといったところか。

空港での待ち時間を利用してS先生に投稿論文の話を聞いてもらう。相変わらず下手くそだなぁと思う英語の説明にも的確に突っ込んでくる。また、最近の自分の中ではヒットだと思っていた解析にもっと先があることを指摘されたときにはもはや脱帽。こういうのを期待してトロントに来たとはいえ、自分の不勉強を恥じるばかり。あそこまでとはいかなくても、せめてもう少し頑張ろう。とりあえず、自分の研究を他人の方が詳しいという状況はどうにか改善せねば。


2003年11月4日 火曜日

今日はJim Angell 80th Birthday Symposium。最初違う場所に入ろうとして警備員と押し問答になってしまった。参加者を見てみたらなんだが大御所ばっかり。自分が居てよかったんだろうかとまじめに心配になった。これまでJim Angellさんの名前を聞いたことがなかったんだが、今日の話を聞いたら凄い人だったんだなと納得。QBOの名付け親と言っているように聞こえたけど本当かな。それにしても80歳にしてまだまだ現役、単著の論文もどんどん出してるようだ。頭が下がる。シンポジウムの開始直後に突然の放送で全員が外へ。何かと思ったら避難訓練らしい。NOAAのビルに勤めているのであろう人々数百人が近くの空き地へ避難。1時間近くたってからようやく会場に戻ったら、ちょうどS先生が来たところだった。今日トロントから到着したらしい。お疲れ様です。

夜はホテルの地下のレストランでcelebratory birthday dinner。隣にGarciaさんが座ったので自分の研究の宣伝&いろいろと質問。NCARの高度140kmまであるモデルで、Solar Activity Maximumの際にHolton-Tan mechanismが成り立たなくなる話を再現できたかどうか聞いてみたところ、それを含めたSolar Activity関連の実験は来年の春から行うらしい。また、中間圏ではAirglowに伴う熱の散逸がSolar Activityに伴う紫外線量の変動と同程度に寄与する、という話は初耳で新鮮だった。アメリカでは中間圏の研究ではお金が取れない、と愚痴っていたが。反対側に座ったのはNOAAに勤めているJohnという若手研究者。彼はラジオゾンデデータを用いて気温の長期トレンドを調べているそうだ。測器が変わる際のバイアスをどうするかなど、馴染み深い話でわかりやすかった。Dinnerの最後には参加者が書いたAngellさんに関する詩の朗読。ほとんど聞き取れなかったけど。


2003年11月3日 月曜日

今日は9時頃ホテルを出てマックで朝食。出てくるものは大体同じようなものなんだけど、店員の態度が無愛想過ぎ。一応客商売なんだからもう少しにこやかにやろうよ。なにはともあれ地下鉄に乗って、昨日見ることの出来なかったUS Holocaust Memorial Museumへ。今日はボディチェックをしてすんなり入れた。ここはナチのユダヤ人虐殺を扱った博物館。まずはガス室を模したエレベータに乗って4階へ。そこからひたすらナチスのユダヤ人迫害に関する展示が続く。迫害が始まったのは1933年。ユダヤ人の教育権や財産権を奪うことから始まって、ゲルマン民族は選ばれた優良種であるという刷り込み、他国への侵略、1940年ごろから始まる大虐殺など本当に事細かに展示されている。特に、ユダヤ人らを使った人体実験の映像などは見ていて気持ち悪くなる。とにかく凄まじい。それに対する他国の対応は、正直言ってどこも冷たかったんだな、というのが第一印象。ドイツの傘下に入った国で唯一ユダヤ人迫害をしなかったのがデンマークらしいが、それも一人あたり60万ドルを徴収して保護した、みたいなことが書いてあった。この一連の展示を見るだけで1時間半。その後、Anne Frankの展示へ。こちらは、Anneの生涯を淡々と綴ったという感じ。結局ここで計2時間もかけてしまった。

ホットドッグ(はトロントの方がおいしい)を食べながら歩き、National Air and Space Museumへ。こちらもボディチェックつき。中に入るとロケットやら衛星やらが目前のホールに展示されている。定番の月の石も置いてあったので触ってきたが、特に感慨も無し。アメリカの宇宙開発の歴史、ライト兄弟の話、各衛星・ロケットの話などとにかく盛りだくさん過ぎ。一通り見て回るだけで2時間かかった。それでもプラネタリウムやflight simulationなどの有料アトラクションは行ってないんだが。期待していたほど印象に残るものは無かった。

その後、National Gallery of Artの立派な建物の前を素通りし、National Museum of Natural Historyに行こうとして、途中にあったSculpture Gardenというところが面白そうだったのでぶらぶら。考えるウサギの銅像があった。National Museum of Natural Historyは恐竜の化石がある、というくらいしか知らなかったが、中に入ってみると、恐竜を含む地球の生物の歴史、ダイヤモンドなど各種鉱物の展示、太陽系の形成などに関する展示、プレートテクトニクスの展示など、やはり盛りだくさん。ここも結局見て回るのに2時間くらいかかった。

最後にちょっとチャイナタウンをのぞいてみたが、看板が立派なだけで至ってこぢんまり。トロントは言うに及ばず、モントリオールのチャイナタウンよりも小さいんじゃないかな。今日も良く歩いた。疲労困憊。

二日間の観光の感想としては、Washington D.C.の見所はほぼダウンタウンに集中していてわかりやすく、ほとんどの場所が無料なので安上がりに済ませられる。また来る機会があったら、今回見られなかったSpy Museumを見てみたいし、Pentagonを見学できるツアーもあるらしいので、それにも参加してみたいところだ。それにしても、どうして戦争に関連したものばっかりなんだ。


2003年11月2日 日曜日

今日は9時くらいまでのんびり寝てから出発。とりあえずNOAAの場所を確認してから地下鉄の駅へ。こちらはトロントのTTCと違って料金が区間や時間帯によって変化するので、Farecardというものを購入して、それに適当な額をデポジットして改札の機械に通す。そうすると使用された料金が書き込まれる。日本のパスネットとよく似たシステム。地下鉄は、外見は正直ちょっとなぁという感じだが、中はカーペット敷きで椅子もトロントの地下鉄に比べると柔らかくていい感じ。約15分ほどでMetro Centerに着き、徒歩でWhite Houseへ。最初は建物の裏側に出てそれから表側へ。表側は建物から遠すぎてあまりしっかり見えない。でもまぁこれがあのWhite Houseかぁということで、せっかくなのでそれをバックに写真撮影。

それから公園をぐるりと回ってWashington Monumentという塔に行こうとしたが、周りを工事用の壁に囲まれていてあまり近づけなかった。それでもまぁWashington D.C.のどこからでも見える、というくらいだから問題なし。

そこからVietnam Veterans Memorialへ。ベトナム戦争の戦没者と思われる人たちの名前が壁に刻まれている。広島の原爆の碑と同じような感じ。こういうものは遺族たちにとってこそ意味があるものかと思ってたけど、そうではないことがよくわかった。ここに来るアメリカ人は決してベトナム戦争のことを忘れないだろうし、日本人である自分も第二次世界大戦や日韓併合の話などを考えざるを得なかった。それはもちろん、どこぞの馬鹿知事が無自覚・無責任発言をして騒がしいせいもあるけど。某知事は当時の朝鮮が国策として日本に併合されるのがましな選択だと思ってやったことなのだから非難されるいわれは無い、みたいなことを言っているが、国が何を考えていたのかなんてことはこの際関係ない。当時の朝鮮の人たちが確かに苦しみを味わい、それを行ったのが日本人である以上、非難されるのは当然のこと。この問題は、犯罪者の肉親、特に子供が殺人などを犯してしまったときの親が何を考え何をすべきか、ということとも似ている気がする。なんか話がずれてきたのでこの話はここで終了。

その後、Lincoln Memorialへ。これが予想以上(というかそもそも予備知識無し)に良かった。建物はどこぞの神殿を思い起こさせるようなものでとにかく壮大。スケールが大きいというだけでこうも心を打つのかという感じ。建物の中には、Lincolnの巨大な石像が鎮座ましましている。パンフレットによれば、夜はこの建物&石像がライトアップされ、それは素晴らしい眺めになるそうだ。また、逆方向を見てみると、Reflecting Poolを通してWashington Monumentが見える。工事中のクレーンが若干興ざめだったけど、それでもやはり素晴らしい眺めだった。今回はReflecting Poolにほとんど水が無かったけど、水があればフォレストガンプのあの名場面の舞台になるわけだ。

そこからKorean War Veterans Memorialを通り、Tidal Basin沿いを歩く。手持ちの地図にはJapanese Lanternと書いてあったので提灯でもあるのかと思ったんだが、どうやら1つだけぽつんとある石灯籠のことらしい。そこから橋を渡ると湖沿いに日本から植樹された桜の木が並んでいるが、この時期に見てもしょうがないのでパス。

次はUS Holocaust Museumへ。入り口では厳重なボディチェックをしている。そこに入ろうと思ったら、今日は一般人の方は入場できません、と言われてしまった。どうやらセレモニーか何かがあるらしく、建物の裏の庭では野外パーティの準備らしきことをしている。仕方が無いので明日もう一度来よう。

今度はCapitolを見るためにSmithsonian駅から地下鉄でCapitol South駅へ。Smithsonian博物館群は明日見ることにして素通り。駅から歩いてCapitolの建物の前へ出るが、工事中で壁に囲まれていてあまり見えず。むしろ、向かいにあるSupreme Courtの建物が良かった。これも神殿風の建物。建物の壁に、"Equal Justice Under Law"と書いてあった。法の下の平等と正義、という訳でいいのかな。これを見てたら、無法とは法が存在しないことだろうか、法が守られないことだろうか、なんてことを思ったが、言葉の定義の問題であって水掛け論なのでやめ。

そこからテクテク歩いてFBIへ。これが予想以上に遠くて疲れた。FBIの建物は2階部分が駐車場みたいな感じで空洞になっていた。防犯上の理由だろうか。FBIの入り口前ではFBI Tシャツが売られていた。ここにX fileがあるのかぁなんて間抜けなことも思った。そういえばスパイ博物館みたいなものがあるときいたような気がするけどどこにあるんだろう。調べて明日行ってみるかな。

Federal Triangle駅から地下鉄でArlington Cemetery駅へ。Arlington National CemeteryにはJ. F. Kennedy大統領のお墓があります。奥さんと子供らしき人と合わせて3人分のお墓が一緒になってました。小さな炎が焚かれていたけど、非常に質素というのが第一印象。弟(だったっけ?)のR. F. Kennedyのお墓はちょっと離れたところに一人さびしくたってました。それにしても物凄い広さ、物凄いお墓の数。白い石碑がずらっと立ち並んでいる様子は薄ら寒いというかなんというか。ここを観光地にしてしまって良かったんだろうか、と思わないでもなかった。

本日の最後ということでPentagon駅へ。出たところにあの五角形のPentagonがあるものと勝手に想像していたんだが、駅の上部がPentagon Entrance Centerという建物になっていて、その向こう側は全く見えない。だから観光案内を見てもPentagonが観光地に入ってないのか。やっぱり地球の歩き方・アメリカ東海岸編を買ってくればよかった。

そこからまた地下鉄を乗り継ぎ、Potomac Riverを渡ってSilver Spring駅へ。いやぁ今日はよく歩いた。今夜はぐっすり眠れそうだ。でもその前に晩御飯ということで、ホテルに戻ってからもう一回外に出てみたが、日曜日だからか閉まっている店が多い。仕方ないのでホテル内のレストランに行ったら、京大のY先生とばったり。そういえばSPARCの方のCommiteeのメンバーか何かに名前が入っていたような気がする。せっかくなのでご相伴させてもらって、2時間ほど一緒に食事しました。京大の様子など聞けてなかなか面白かった。

ダイエー・小久保が巨人に無償トレード.....やめて。パ・リーグの宝を取っていかないで.....しかもよりにもよって巨人に。しかもこれで江藤の飼い殺し決定じゃないか。可哀相だから早く放出してあげてくれ。


2003年11月1日 土曜日

今日からWashington D.C.へ出張。わざわざ空港までタクシーを使うのもバカらしかったのでTTCを乗り継いで空港へ。タクシーなら30-40分のところを1時間20分かかったけど、料金はほとんどただ同然だからまぁこんなもんかな。フライト約1時間でDulles空港着。こちらは勝手がよくわからないのでホテルまでタクシーを使ったが、チップ込みで60$も払う羽目に。しかも慣れ親しんだカナダドルではなくUSドルだからダメージ1.3倍増。料金体系は、基本料金2.25$、1/4マイルにつき40¢、80秒につき40¢とわかりやすいんだが。これって経費で出るかな。タクシーの運ちゃんはイラン出身でオランダで2つの修士号を取ったというなかなか凄い経歴をもったおじさんだった。ホテル到着後、晩飯を食いに外へ。アメリカで夜の一人歩きはどんなもんかなと思ったが、ホテル周辺は人通りも多く安全そう。一人でフォーマルなところに入るのは苦手なので、近くで見つけたフードコートで適当に晩飯。さて、明日はどこに行こうかな。

ホテルについて文句を少し。部屋は広い(2bedroomだから当たり前か)。Business CenterではDHCPでネットワーク環境快適。しかし、チェックインして入ってみたら、ゴミ、飲みかけのコップ、使われたタオル等がそのままになっていた。どう考えてもRefreshし忘れたんだろうと思って、フロントに電話してすぐにRefreshしてくれるように言って食事に行って戻ってきたら、出る前と変わらず。そのうち来るかと思ったが、結局来ず。もはや面倒くさくなって(というか英語での口論にひよって)諦めた。ついでにエレベータが2基あるのに1基しか動いてなくて不便。


 
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