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2011年10月24日 月曜日
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《Diary 2003年8月》

2003年8月31日 日曜日

世界陸上もとうとう最終日。女子マラソンではヌデレバ優勝、野口が銀、千葉が銅、坂本が4位。野口はオリンピック代表内定。まぁ大体予想通り。これで残る2つの代表枠を高橋、渋井、土佐、千葉、坂本といったあたりで争うことに。でも結局高橋は入りそうな気がするので、残る4人で1つの枠を争うことになるかな。いったい誰が代表入りするのか。選考レースが3つあるとまたもめることになりそうなので、名古屋国際を外して東京と大阪だけを選考レースにすればいいと思うんだけど、たぶんそういうことはしないんだろうな。選考レースになっているかどうかでレースに対する関心度は天と地ほども違うだろうし。そういえば千葉は女子10000mに続く2つ目の銅メダル獲得。複数種目でのメダル獲得は当然日本人初。男子4×100mリレーは7位、男子4×400mリレーは8位。まぁ決勝進出できただけで充分か。

Dundas St.を歩いていたらBathurst St.と交差するあたりにPortugal Villageと書いてあるところを見つけた。歩いてみるとたしかにPortugalなんたらと書いてある店を何軒か見かけたけど、むしろ中国系のお店の方が多い。あまりポルトガルという感じではないし、手元の地図にもそんな記載は全くなし。単に名乗っているだけ?


2003年8月30日 土曜日

こちらに来て初めてLCBOで酒購入。さすがに身分証を見せろとは言われなかった。LCBOはLiquor Control Board of Ontarioの略で、政府公認の酒類販売店だそうだ。輸入物のワイン、ビールなどがずらりと並んでいてなかなか壮観。俺が買ったのはカナダ産の普通のビールだけど。

世界陸上男子マラソンで油谷が前回に続き5位入賞。今回のメンバーでは藤原を除けば一番期待されていた佐藤は10位。まぁ妥当なところかな。これでオリンピック代表内定者は出なかった。個人的には高岡、藤田とあと一人は油谷、佐藤、藤原の中から出て欲しいと思ってるけどどうなるかな。今回は有力選手がほとんど出ていなかったので、オリンピックでは今回の順位プラス10位くらいになりそう。男子4×100mと4×400mはどちらも決勝進出。4×400mの決勝進出にはかなり驚いた。4×100mも末続が出られないなかでよく頑張ってる。決勝ではアメリカ・ジャマイカあたりがこければメダルの可能性もあるので頑張れ。明日は期待の女子マラソン。現在世界3強のラドクリフ・ヌデレバ・高橋尚子のうち、出場するのはヌデレバだけなのでまぁ優勝は彼女かな。あとは野口が2位で、チェプチュンバか中国勢あたりが3位に入るといった感じかな。まぁ千葉あたりにももちろんチャンスはあるけどどうなるかな。


2003年8月29日 金曜日

SINのカードが届く。申請からちょうど1ヶ月か。カードが届いたら番号を知らせるように銀行で言われてたな。近々行ってこなければ。

昼はこんにちわで親子丼。今日は客が少なくて味噌汁が余ったからと言ってサービスしてくれた。店のおばちゃんによると、来週月曜日はLabour Dayでお休みなので、今日から休みをとって出かける人が多いそうだ。また、休日は従業員の時給を1.5倍にしなければならないと決まっているらしく、そのせいでみんな休日は店を閉めるそうだ。チャイナタウンだけは1年365日店が開いてるけど、どうしてなのかわからない、と言っていた。

世界陸上男子200mで末続が銅メダル獲得。短距離種目でのメダル獲得はアジア初だそうだ。しかし、タイム的には準決勝のタイムを出していれば優勝できたので、残念という感じの方が強いかな。調子を崩していた強豪選手も来年のオリンピックまでには復調してくるだろうし、正念場はその時か。男子110m障害の内藤は準決勝敗退。日本記録と同じくらいで走ってれば決勝進出だっただけに残念。準決勝の様子を見ていると、アレン・ジョンソン以外はどんぐりの背比べのようだ。女子走り高跳びの今井はまさかの1m80三度失敗で予選落ち。日本記録も更新して名実共に日本一として臨んだ大会だったのにどうしたんだろう。女子4×100mの日本は順当に予選落ち。


2003年8月28日 木曜日

午前はSummer Student's Talk。S研からはMikeとTiffanyの2人。Mikeの話はturnaround latitude(帯状平均風が0になる緯度のことらしい。以前極地研にAlexanderさんが来たときには違う意味でこの言葉を使っていたが。)の季節変化をしらべましょうというお話。まだ勉強と解析を始めたばかりという感じで、今後に期待。Tiffanyは2次元モデルの重力波のパラメタリゼーションで運動量を保存する形式のものと保存しない形式のものとの比較の話。こちらは非常にしっかりした話で驚いた。これで学部生だと言うんだから信じられん。彼女だけが優秀なのか、彼女の在籍するUBCが優秀なのか。どちらにしても脱帽。その後のランチタイムに発表内容に関してTiffanyに少し教えてもらった。

午後はGroup MeetingでTiffanyが改めて発表。午前中は大気グループ全体向けということで概論的な感じだったのに対して、午後はSグループ向けのこてこての力学のお話。S先生、Charles、Kirillがコメントしまくって大盛況。当の本人は最後の方には疲れた顔してたけど。初めてのGroup Meetingだったけど、議論の活発さに感心した。極地研では個々の専門の人がだいたい1人、2人なので、あまり議論を戦わせるという感じになっていない気がする。極地という名目で人を集めている弊害かな。昭和基地への航空機での補給が可能になれば人的規模も大きくできる気がするんだけど、それは当分先の話かな。

ようやくCharlesが大学に出てきた。2週間以上カヌーで川下りに行っていたらしい。ようやく話ができるかと思ったら明日からまたカヌーをしに行くらしく、話をするのは来週の火曜日ということに。活動的やなぁ。

夕方からS先生の家でバーベキューパーティー。S先生のお宅は2年前に引っ越してきたそうだ。奥さんと娘さんも加わったが、特に奥さんが陽気で場の雰囲気を和やかにしていた。準備はS先生がほとんど1人でやっていて、他の人間は庭でビールやワインを飲みながら喋ってばかり。料理ができるとS先生も加わってお喋り。暗くなってからは家の中に移動して、結局10時くらいまで居座ってしまった。話を聞き取れないのは相変わらずだけど、たまにDavidやMikeと話したりしていたので、まぁまぁ楽しく過ごせました。

世界陸上男子200mで末続が順当に決勝進出。これ自体日本人初なんだけど、どうせだから悲願の金メダルを。男子110m障害では内藤がほぼ実力どおりの走りを見せ準決勝進出。準決勝では日本記録を更新しても決勝進出は難しそうな気がするが頑張れぇ。日本人としては20年ぶりに決勝に進んだ男子棒高跳びの沢野は練習中に怪我して棄権。なぜ.....。女子走り幅跳びの池田と女子やり投げの三宅は共に予選落ち。池田には凄く期待していたので非常に残念。

シアトルが連敗、長谷川初黒星、イチロー首位打者陥落。野茂は立ち上がりの乱調で10敗目。大家はリリーフのお馬鹿アルモンテが同点満塁弾を浴びて勝ち星消滅。昨日今日と日本人メジャー受難の日でした。松井はどうでもいいので割愛。


2003年8月27日 水曜日

世界陸上男子200m予選に末続が登場。順調に1次・2次予選を1位通過。明後日の決勝ではマラソン以外で初となる日本人の金メダルを狙って欲しい。最大のライバルと思われたケンデリスも棄権してくれたことだし。男子走り幅跳び予選ではペドロソが怪我のため途中棄権。ルイス、パウエル亡き後、ずっと世界のトップに君臨しつづけた彼もそろそろ引退か。しかし彼がいなくなったら現在の男子走り幅跳びは無茶苦茶レベルが下がってしまう。森長あたりが日本記録更新のジャンプをすればオリンピックで金メダルとれそうなくらいのレベルだからなぁ。男子400mハードルの為末は予想通り準決勝敗退。

そろそろ結果をまとめて文章にしなければいけない時期(はとっくに過ぎてるかも)だが、どうにもあらぬ方向に思考が飛んでいって図を書いてまた元の疑問に戻ってくるという状態を繰り返している。せっかくトロントに来たのに日本にいるときと変わらんな、これじゃ。少々頼りない結果でも無理やり文章化できるくらいのパワーが欲しい、切実に。

Citibankの海外送金登録がようやく完了したので早速TDの口座に送金。ほぼ1日でTDの口座に振り込まれた。Citibankの口座からこちらで引き出すと1カナダドル90円程度。海外送金だと手数料等ひっくるめても1カナダドル85円ちょっとで済んだ。ずいぶん違うなぁ(もちろん相場の変動もあるだろうが)。これまでにだいぶATMから引き出したけど、相当損してたんだなぁ。また、クレジットカードで支払うと1カナダドル87円くらいで換算されてたから、それよりもTDのキャッシュカードで払った方がいいようだ。


2003年8月26日 火曜日

Driver Examination Centreへ行ってオンタリオ州の免許取得。Information Deskで日本の免許をオンタリオ州の免許に書き換えたいと言ったら番号札を渡され待つこと40分(やっぱり夏休みだから混んでるのか?)、窓口でパスポート・日本の免許証・英文証明書を提出し、書類の質問に答えたり、いくつかサインをしたり、視力検査をしたりして、写真を撮って料金50$を払ったらその場で仮の免許証が発行されました。写真付きの正式な免許証は後で郵送されるらしい。これで一仕事完了。そういえばSINがまだ届いてないけどそろそろ問い合わせてみないとダメかな。

Rogersのテクニシャンの人が来て、ケーブルインターネットをセットアップしていってくれた。単にケーブルモデムを持ってきて繋いだだけだけど。スピードはまぁ自宅のケーブルインターネットと同じくらいかな。大学よりも速い気がする。ついでにLinuxでも繋げるようになったので非常に嬉しい。

世界陸上男子400mハードル予選で前回銅メダルの為末が予選落ち.....かと思いきや、失格者が出て繰り上がりで準決勝進出。なんともまぁ運のいい。でも準決勝は今季のベストを相当上回るタイムを出さないと通過できないでしょう。男子3000m障害の岩水は11位だから健闘でしょう。女子5000mの福士は予選落ち。10000mに比べると世界との差が大きい。男子棒高跳びでは沢野大地が日本人として20年ぶりに予選突破。うーん、びっくり。5m60まで失敗無しでいったのが大きかった。

大接近中の火星を見ようと思って夜空を見上げるも曇ってて見えず。


2003年8月25日 月曜日

世界陸上男子ハンマー投げで室伏が銅メダル獲得。今回は世界歴代3位、現役選手では1位の記録を引っさげてダントツの優勝候補でしたが、大会直前の怪我の影響か、銅メダルどまりでした。まぁ調整段階から大会は始まっているともいえるので、全部ひっくるめて現在の実力が世界3位だったということでしょう。今回室伏と金メダルを争うと思われたアプタプコビッチが3連続ファウルで記録なしに終わったのも驚きました。男子100mでは、朝原は予想通り準決勝敗退、優勝はコリンズでした。優勝候補のグリーン、ボルドンが準決勝で消えるというこちらも波瀾の展開でした。コリンズのタイムも10秒06と近年稀にみる低調な記録でした。黒人選手以外で初めて10秒の壁を破って注目されたパトリック・ジョンソンも2次予選で消えてしまったし、メダル候補の一人だったドラモンドはフライングで失格になって泣くし、本当に大荒れでした。

シアトルがボストンに4タテ喰らってまさかの6連敗。とうとうオークランドに追いつかれてしまった。イチローの打率も急降下でガルシアパーラがすぐ後ろに。シアトルもイチローも去年の二の舞になってしまうのか。


2003年8月24日 日曜日

最近のYM-netで流れていた大江戸打ち水大作戦のホームページで英語版を発見したのでS研のメーリングリストに流しておいた。Kirillが早速反応して、さすがに水が足りないんじゃないのとか、水道局(water utilityはこの訳でいいのか?)がいい顔しないんじゃないのという返事が来た。

世界体操選手権種目別鉄棒で鹿島が金メダル、あん馬に続き2冠達成。なんでこれで個人総合の日本一になれないかな。まぁ今回個人総合銅メダルの富田とかはいるんだが。

F1モントリオールGPでアロンソが史上最年少優勝。セナかシューマッハあたりが記録を持っているのかと思ったら違ったんだねぇ。そのシューマッハは8位に沈む。そろそろ世代交代か?ライコネンも頑張ってるし。


2003年8月23日 土曜日

中田のラツィオ移籍決定は誤報だった模様。パルマのオーナーが中田は残留すると断言してるし。でもパルマに残ってもあまり先は無さそうな気がするんだけど。

世界陸上開幕。室伏は怪我の影響が心配されたけど順当に予選通過。福士は女子10000mで11位。期待ほどではなかったが、タイムを見るとそんなに悪くないので、復帰直後の不調からは脱したようだ。ちなみに渋井は14位。こちらの完全復活はまだ先かな。男子3000m障害では岩水が23年ぶりの日本記録更新で決勝進出。この種目で日本人が決勝進出するとは夢にも思わなかった。どうせ決勝はエチオピア勢が表彰台独占とかなんだろうけど。ちょっと期待してた男子三段跳びの杉林は予選落ち。日本選手権のときの記録を出せば余裕で予選通過できたのに。

深夜の映画でゴジラの吹き替え版をやってた。モスラーや、という歌の部分だけ日本語で笑えた。内容を知ってる映画がやってるときは聞き取りに挑戦したりしてるけどまだまださっぱり。滞在中に聞き取れるようになればいいんだが。

世界体操選手権男子種目別あん馬で鹿島丈博が金メダル。かつて14歳で日本選手権の種目別あん馬を制した彼ももうベテランの域。昨年の世界種目別選手権でもこの種目で銅メダルをとったけど、とうとう世界の頂点に立った。ちなみにこの種目で日本人選手が金メダルを取るのは初だそうだ。現在日本人が最も苦手としている種目はたぶん跳馬だろうな。トップクラスの選手と比べると、笑えるくらい飛距離が違う。韓国の選手は跳馬が得意だから身体的な問題ではないと思うんだが。

今日はいろいろ散歩してみた。まずは自分の住んでるRichmond St.とQueen St.沿いをぶらぶら。Queen St.沿いのSpadina Av.とUniversity Av.の間はまさしく若者の街といった雰囲気。Richmond St.はそれほど目立った特徴は無し。その後、チャイナタウンからちょっとそれてKensington Marketへ。チャイナタウンのすぐ脇だから若干その影響も受けてるけど、多国籍&庶民的な感じのマーケット。その中にLittle Tokyo on Augustaという日本食料品店を見つけた。品揃えはサンコーにちょっと劣るけど、本やビデオのレンタルをしていて驚いた。さらにCollege St.に出てから西へ向かいLittle Italyへ。以前にも1度だけ来たけど、あまりイタリアだらけという感じはしない。雰囲気はチャイナタウンなどとは明らかに違うが。Ossington Av.で曲がってQueen St.まで南下したら結構大きな公園があり、その中でフリーマーケットのようなものをやっていた。とは言ってもほとんど自作の絵を売っている人たちばかりだったので、そういう類のマーケットのようだ。


2003年8月22日 金曜日

最近お世話になっているホットドッグの路上販売をやっているのはちょっとこわもてのお婆さん。料金をいつもThree hundred dollarとか言ってて大阪商人のようだ。英語に巻き舌が入っていて最初は料金しか聞き取れなかったけど、だんだん単語を拾えるようになってきた。それでも会話成立とまではいってないが。

中田のラツィオ移籍が決定した模様。結局パルマは中田に合わなかったなぁ。中田自身も、攻撃面よりも守備面の貢献度の高さが目立つ今日この頃。ペルージャ時代の攻撃面での活躍をもう一度期待したいところ。頑張ってください。


2003年8月21日 木曜日

オーナーのクリニックに行って家賃の支払い。ついでにケーブルインターネットの許可をもらったので、早速申し込み。来週Rogersのテクニシャンが来てくれることになった。これでアパートでも作業可能になる。

今週に入ってからトロントはConserve Energy一色。まぁ気持ちはわかるけど。物理学科のメーリングリストでも一日一回はそのメールが流れてくる。うちのアパートでは8時間ほどで回復したけど、オーナーの自宅では復旧まで丸一日かかって大変だったらしい。こんな停電がまた起こったらそれこそ洒落にならんわな。

クリニックに寄ったついでにいつもと違う経路で研究室へ。静かな住宅街といった感じの通りで歩くにはなかなかいい。歩いていく場合はこっちの通りから行くかな。わずかに遠回りだけど。

今夜も花火。ブルージェイズとマリナーズの試合が終わった直後くらいから始まったからやっぱり関係あるんだろうか。でも途中からやたらと光るなぁと思っていたらいつのまにやら雷に変わっていた。部屋にいると感じないけど下を見ると凄い暴風雨。しかも見事な稲妻が連発。椅子を窓際に持っていって鑑賞してしまいました。これまでの人生で見た稲妻の数よりもこの1時間で見た数の方が確実に多い。雷自体は2時間弱くらいで収まったようだ。


2003年8月20日 水曜日

考えてみたら、今日でトロントに来てちょうど1ヶ月。長かったような短かったような。でもまぁ生活自体は至って快適。数少ない不満を挙げるとすれば、まずは湯船に浸かりたい!今のアパートはシャワールームだけなんだよねぇ。モントリオールのホテルで入れるかと期待してたんだけど、シャワールームしか無かった。やっぱり日本人はお風呂に入らないと。あとはチャイナタウンについてでしょうか。チャイナタウンにはモノが多くなおかつ安いので大変便利なんですが、いかんせん通りが汚くて、それに伴う独特の匂いがする。朝晩そこを歩いている身としては、もうちょっと何とかしてくれと言いたい。それぞれの店が自分の店舗の前だけでも清潔にしてくれれば済む話なんだが。そういう営業努力は無駄と考えているのか必要ないと考えているのか.....。来月からはメトロパスを買って通勤は市電にしようかと考え中。

夜10時過ぎに音がするので何かと思ったら、ちょっと離れたところで花火を打ち上げている。今日はスカイドームでブルージェイズ対マリナーズ戦をやっていてなおかつJapanese Nightと銘打たれて日本に関連したイベントやら有名人招待やらをしていたのでその一環かなと思ったけど、方向が全然違うし、試合ももう終わっちゃてるから違うかな。部屋が9階なおかげでなかなかいい眺めでした。まさかカナダで花火を見てるとは、去年の今ごろは夢にも思わなかった.....ような気がする。


2003年8月19日 火曜日

免許センターに行ったらセンターに入る職員の手荷物検査みたいことをやっている。その場にいた警官に聞いてみたら、今週は休みということだった。停電の影響だろうか?仕方ないので来週また来よう。

あれこれ悩んでいても仕方がないので、T-N fluxの鉛直収束の値でイベントを抽出するプログラムをえいやと走らせてみる。15年で正味300件ほどのイベントを抽出した。これをさらに絞り込んで数件のイベントを重点的に解析する予定。しかし、ネットワークが遅いおかげで図を表示させるのに時間かかりまくり。データを全部落としてきてしまおうかとも思うが、それもまた時間かかりそうだしなぁ。やはりアパートの方にブロードバンドを引いて作業できるようにした方がいいかな。

突然中国人らしき人が入ってきて電話を貸してくれという。どうやらLuoさんの知り合いらしく、電話を終えた後、ちょっと話をしていった。彼(Anthony)はMoore先生の学生らしく、日本では何年でPh.D.を取れるのか、といった話を興味深そうに聞いていた。それにしても中国人にしか見えないんだが、何故Anthony?


2003年8月18日 月曜日

午前中は問い合わせ2件に対する返事と図書室で資料コピー。午後はCharlesのところに行ったけどやっぱり来ていない。長期出張という話は聞いてないとS先生は言ってたんだが。そのS先生も今日はお休み。まぁいいかという気分になってスーパーでごちゃごちゃ買物して帰ってきてしまった。

昼は路上販売のホットドッグ。Veggie Dogというのを頼んだので野菜のたくさん入ったやつかと思ったら、パンにソーセージを挟んだだけのものを渡された。トッピングは全部自分でやるということらしい。目の前のトッピングの中から適当に選んで試してみたら、結構いける。他にもホットドッグ自体何種類かあるし、トッピングもいろいろあるので、とりあえず全部試すには当分かかりそうだ。ついでに生協に行こうと思って歩いていたら、迂回してくれと言われる。何かと思ったら、すぐ目の前でソーラーカーがこれから走り出そうとしているところだった。へぇと思って少し眺めてたけど、なかなかスタートしないので諦めて生協へ。本屋で気象関係の本を探してみたけど見つからない。固体地球や天文の本はたくさんあるのに何故?

Roscoe et al. [QJRMS, 2003] を読む。南極極夜域下部成層圏の気温の経年変動に関する論文。解析手法というかデータの作成手法が良くわからなかったので内容についてはどの程度信憑性があるのか不明だが、とにかくIntroductionがよく書けている。南極極夜域下部成層圏での水蒸気観測の重要性を非常に明快、かつわかりやすい論理で説明している。将来南極で水蒸気ゾンデ観測をする場合のmotivationとして非常に重要な論文だと思った。まぁ極渦内では下降流によるdehydrationという厄介なものがあるから定量的な評価が難しくなるかもしれんが。


2003年8月17日 日曜日

午前中は熟睡して午後から大学へ。地下鉄はまだ動いていないようだ。一応CMAMに関する論文とか読んだけど、なんとなく上の空で頭に入っていない。とりあえずやるべきことが3つあるのにどれにも手をつけかねている。どうしよう。


2003年8月16日 土曜日

今日は朝起きたら大雨&雷。どうしようかなぁと思っていたら10時過ぎには晴れてきたので外へ。電気は完全に復旧したみたいだけど、市電の代わりにバスが走ってる。まぁ走ってくれるのであればどちらでも構わんのだが。ただ、地下鉄はまだ止まってた。こちらに来てから初めて散髪へ。日本語でも説明しにくいのに英語でどうやって説明すればいいんだ?とりあえず3cmくらい切ってくれと言ったんだけど通じなかったようで、shortかhalfかと聞くのでhalf、naturalかと聞くのでそうだと答えたらさっさと切り始めた。naturalというのはバリカンを使わないということかななんて思ったけどそういうわけではなかったようで、自然な感じということだろうか。シャンプーも髭剃りも無く、20分ほどで終了。予想よりもちょっと切られすぎたけどまぁいいや。

午後から大学へ。オゾン層状構造を研究しているNくんとメールでディスカッション。久しぶりにこのあたりの話をまじめに考えたけど、やっぱり面白い。ただ、物質輸送&混合の問題をきちんとやろうと思ったら乱流の知識が不可欠なんだが、俺にはそのあたりの知識がほぼ全く無い。ずいぶん前にKくんにわかりやすい教科書を教えてもらって読んだんだけど、それももう忘れてしまった。以前S研に来ていたIさんがこのあたりの専門家だよなぁ。Iさんの日記によれば、S研の人々はS先生筆頭にこの分野に非常に強いらしい。とても勉強になりそうだが、そもそも話についていけるのかどうか心配。


2003年8月15日 金曜日

洗濯をしようと思ってコインランドリーに行ったら閉まってた。停電の影響かなと思って周りを見回してみると、全ての店舗がまだ停電してる。信号もついていない。ただ市電は走ってる。仕方ないので歩いて総領事館へ免許の英文証明書を取りに行く。そうしたらUniversity Streetの手前あたりで信号や各店舗の電気が復旧していた。総領事館も普通に開いていて証明書受け取り。ついでに停電の状況について聞いてみたところ、復旧率50%、完全復旧は明日になるそうだ。そのままBay Street沿いを歩いてDriver Examination Centreへ。でもDundas Streetを超えたあたりで再び電気が消えた。ひょっとしてと思ったらやはりDriver Examination Centreは停電のためお休み。この調子だと大学もまだ停電してるかなぁということでアパートへ一旦帰宅。午後再び外に出てみると、アパート周辺の電気が復旧している。コインランドリーも開いていたので早速洗濯。その間に近くの古本屋さんをぶらぶらしていたら、Catharine Hartley著、To The Poles (Without A Beard)という本を発見。定価42$のところ13$だしということで購入。どうやら徒歩で南極・北極に到達したイギリス人女性のお話らしい。2002年出版になってるからかなり新しい話のようだ。テキスト以外の英語の本を読むのは、1章だけ読んで挫折したホームズの本以来だ。最後まで読めるといいがはてさて。午後5時頃、またもや電気がプツッ。外に出てみると、廊下の電気はついてるし、エレベータも動いてる。信号もついてるし、市電も動いてる。一部の店舗も電気がついていたが、最寄のコンビニに行ってみたら電気が消えてた。やはり停電のようだ。それにしても昨日の今日でみんな非常電源を備えたんだろうか?停電は午後7時頃に復旧。どうやらペンライトは必携品のようだ。


2003年8月14日 木曜日

CharlsとCMAMのデータについて話をしようと思って何度か部屋に行ったけどずっといなかった。話をするのは来週になるかな。昼はGroup LunchでSpadina駅近くのGoldfishというお店へ。語源をS先生に聞いたけどよく聞き取れなかった。Davidに日本で食事を終えるときにはどんな動作をするのか聞かれた。こっちの人たちは手でサインをするときの仕草で店員に知らせるけど、日本では見たことないなぁと思って、普通に手を挙げるか店員を呼ぶと答えておいた。Iさんがいたときには、食事が終わったときの箸の並べ方を伝授していったらしい。そんなのがあるとは知らなかった。日本人のくせに日本の風習を知らんなぁ。

ヨーロッパでは猛暑で大変なことになっているらしい。フランスではそもそも空調というものが無く、体力の無いお年寄りを中心に既に3000人が亡くなったそうだ。SARSなんかよりよっぽどとんでもない状況になっている。それにしても、イギリスやフランスというのは空調のいらない世界なのか、と初めて知った。一応気象学っぽい世界に身を置いているのでそっち方面からのコメントをしなきゃいけない気もするんだが.....俺はやっぱり気象屋さんではないことを再認識。

午後4時過ぎに突然の停電。ノートPCで作業をしていたので被害はなかったがかなり驚いた。隣に置いてあるLucyのLinuxマシンは見事に電源切れてしまったのでちょっと心配。一応アカウントもらったから様子を見ておかねば。仕事にならないので諦めてさっさと帰宅。てっきり物理学科の建物だけの停電かと思ったら、外も全部停電してた。信号の止まった交差点ではボランティア(?)のおっちゃんが身振り手振りで一生懸命交通整理をしていて皆の笑いを誘っていた。市電も止まっていたので歩いて帰宅。今日は最高気温が33度くらい、4時過ぎでも30度くらいという異常に暑い日(Markがunusualと言っていた)だったので、たった20分の歩きとはいえさすがにしんどい。それでも湿度は低いのでそれほど汗をかいたわけでもなかったが。全ての店舗が停電していたが、停電の影響を受けないアイスクリームの路上販売車が大活躍。アイスクリームを食べながら歩いている人がいつもの数倍はいた。アパートについてやれやれと思ったら、懐中電灯を持った人がロビーで待っていて部屋まで案内してくれた。エレベータが止まっているので階段を使わなければならないが、その階段が真っ暗で全く見えないので懐中電灯が必要ということだったらしい。階段での9階までの上りはさすがにしんどかった。案内してくれたお兄ちゃんに、トロントではこういう停電がよくあるのか、と聞いたら、やっぱりunusualだと言っていた。部屋に戻って明るいうちは本を読んだりしてたけど、暗くなるとペンライトの明かりを除いて見事に真っ暗闇なので諦めてさっさと寝る。Iさんのホームページを見てペンライト必要だなぁと思ってこちらに来てから購入したんだが、見事に役に立った。夜の12時頃にふと目が覚めたら明かりがついていてどうやら復旧したらしい。早速朝日新聞のホームページで状況確認。どうやらトロントだけではなく、アメリカ北部からカナダ東部一帯を巻き込む史上最大級の停電だったらしい。ラジオを聞いていたときにしきりにNY cityと言っているので、トロントの停電なのに何故?と思っていたけど、そういうことだったのか。何はともあれ復旧してよかった。うちの部屋にはガスは全く無く電気だけなので、お湯をわかすこともできやしない。これでなんとかご飯が食べられる。


2003年8月13日 水曜日

Summer School最終日はS先生のレクチャーで締めくくり。漠然とした知識としては知っている話が大部分だったけど、それぞれの話を自分の中でしっかり考えて理解し、聞いている人がわかるようにそれらの話を再構成して話をするというところまで持っていくのは大変だよなぁ。知らなかった話で面白かったのは、突然昇温を2-D vortex dynamicsの立場から解釈するというもの。プラネタリ波砕波に伴う角運動量の減少を実現するには渦が変形しなければならないというお話。一つの現象をいろいろな視点から見るというのはやはり面白いし、理解が深まる。午後は再びMattらの運転する車に乗ってトロントに帰ってきた。あぁ疲れた。

モントリオールのスーパーでクリープを見つけたのでついつい買ってしまった。


2003年8月12日 火曜日

Summer School五日目。午前は対流圏の不均一反応に関するお話。不均一反応といったらPSC絡みしか知らないので、海洋境界層内の不均一反応の話とか、ほとんど未知の世界。午後は成層圏の不均一反応の話、ということになってたけど、要するにオゾン層の化学といった感じ。ほとんど教科書どおりという感じで、今回のレクチャーの中ではワンランク落ちるかな、という内容だった。昼休みにJohnたちとご飯を食べに行ったので、ついでにここ2,3年疑問に思っているけど解決できていない、「極渦の端では渦位勾配が大きいために空気塊の南北変位が制限され、物質の混合が起こりにくい”Transport Barrier”になっていると同時に、ロスビー波の伝播に適した”Waveguide”的な側面も持っており、波動による等値線の変形が最も活発に起こってよい領域でもある。この2つの性質のうち、Transport Barrierとしての効果の方が勝るのは自明のことなのかどうか?」という疑問について尋ねてみた。答えとしては要するに、「大きな渦位勾配によって極渦境界領域の力学は線形性が高くなっており、波によって乱れる傾向よりも波として振舞う傾向の方が強く出る」、ということだった。やっぱりこういう結論になるのかな。できれば、波動的な性質の強さは渦位勾配の2乗に比例するけど、乱流的な性質の強さは渦位勾配の1乗に比例するので、渦位勾配の大きい領域では波動的性質が強く出る、というような結論になると嬉しいんだが。今回のSummer Schoolでは、何も暇つぶしの道具を持ってこなかったので、研究に関することをいろいろ考えることができた(なぜこんなに英語ができないんだろうという自己嫌悪も同じくらいしたが)。たまにはこういうのもいいかもしれない。雑談の時間が一番しんどいという状態はなんとかせねばならんが。

夜はバンケット。バンケットでは新たにScott&Mahesと話をした。Scottはウィスコンシン大学から唯一の参加。高3の時に日本語を習ったそうだが、会話できるレベルではないらしい。彼は元々MBAを取って働いていたらしいが、どういうわけか大気科学の分野に来たそうな。MahesはネパールからDalhousie Univ.に来ているPh.D.の学生(だと思う)。修士号はタイで取ったそうだ。最初ちょっと変則的な彼の英語がうまく聞き取れなくて謝ったら、かつて彼と同じ研究室に来ていたS大の日本人よりはマシだよと慰められてしまった(あまり嬉しくないが)。彼は現在ライダーでエアロソルを測っているらしい。世界でもまだ15台は無い新しい測器なんだと自慢していた。


2003年8月11日 月曜日

Summer School四日目。午前はJohnのextratropical dynamicsのお話。前半はHolton先生の教科書をなぞるかのような大気力学の基礎。後半は特に物質輸送に関する基本的な話というか、filamentary structureの形成にかかわる話(CAS, effective diffusivityなど)。大体聞いたことがある話だったけど、Petre number(だったと思うが)の話は知らなかったので勉強せねば。たぶんOttinoさんの教科書あたりに載ってそうな話だ。自分の中で埋もれていた疑問をいくつか思い出した。今回の話をヒントに改めて考えてみよう。午後はMcFarlaneさんのAGCMに関するお話。前半はどんな方程式系を使うか、どんな座標系を使うかといった話で、後半はパラメタリゼーションの話。後半の境界層と対流のパラメタリゼーションの話はまったくついていけず。


2003年8月10日 日曜日

今日はSummer Schoolはお休み。午前中は洗濯して買物行って。昼からはSt. Lawrence川でラフティングの予定だったけど、あいにくの雨。雨の中で屋根の無いボートには乗りたくないなぁなんて思ってたけど、実際に乗ってみたら雨の心配なんぞしたのがあほらしいくらいによく濡れた。何度も波をかぶるので、川の中で泳いでいるのとさして変わらないくらいの濡れ方(実際に川に入って泳ぐこともできたけど遠慮した)。とにかくこれは病み付きになりそうなくらい面白かった。手持ちのガイドブックには載ってなかったけど、機会があればまた来たいと本気で思う。まぁモントリオールである必要はたぶん無いのでどこでもいいんだけど。晩御飯の後はビリヤードへ。ビリヤードをやるのも2,3年ぶりといったところだろうか。まぁ相変わらず下手くそだったが、こちらも結構楽しめた。今日は新たにJeffやもう一人のMattとも話が出来たし、まぁよい一日だったかな。

中古CD&本屋に寄ったら、北斗の拳のフランス語版とかが置いてあった。他にも結構新しそうなのも置いてあったし、トロントではテレビでドラゴンボールとかやっていた。Japanimation強し、といったところか。


2003年8月9日 土曜日

Summer Shool三日目。朝は結局早起きできなかったので散歩には行かず。午前中は水循環の話。UNESCOの報告書などを見ると、この分野と日常生活との関わりの深さがよくわかる。その割に、無茶苦茶古い論文が引用されていたりして、あまり発展していないんだろうかという気がした。午後はFolkinsさんの熱帯力学に関する話。とは言っても対流活動に限定したかなり特殊な話だった。特に面白かったのが、熱帯における対流活動の新しい描像として、Melting Layer付近に卓越する鉛直スケールの短い加熱・冷却によってスケールの小さな波が励起され、その波に伴う循環がConvection周辺のMelting Layer以下に上昇流域を作り出すというもの。しかもその波の水平スケールはせいぜい数百kmで、上空のAnvilの水平スケールにも依存するそうな。その波が一体何に分類される波なのかよくわからなかったが、従来の単純な上昇流域・下降流域という区別では不十分という仮説で、新鮮だった。また、対流活動に伴う加熱領域の鉛直スケールによって、熱帯域における浅水方程式系の等価深度が変化し、出てくる波の位相速度が変わってくるという話は、力学をもう一度きちんと勉強しなおさなくてはと思わされました。

夜はホテルの中庭でみんなでワインやビールを飲んでいたんだが、これがまたしんどかった。結局3時間近く何も食わずにお酒だけでひたすら喋ってるんだもんなぁ。こっちは話についていけないから酒ばかり飲んでいたら、2時間くらいでもう勘弁してという状態になってしまったので一時撤退。午後8時頃に再び集まって晩御飯に行った。今日はS先生、John(この人がScinoccaさんなんだよなぁ)、McFarlaneさんなどの大御所たちと川沿いのお店へ。とにかくJohnがよく喋る。しかも無茶苦茶速い。おかげでまったく聞き取れず、レストランにいる間はほとんど喋らんかった。McFarlaneさんが聞き取れるか?と聞くので、全く、と答えたら、これがCanadian conversationだとか言ってた。ようやく帰り道でMcFarlaneさんとモデルの話など出来た。最近興味を持っているHolton-Tang Mechanismが太陽活動極大期に成り立たなくなる話について聞いてみたところ、Victorに聞いてみるといいということだった。McFarlaneさんところのモデルでも、現在放射は4成分に分けているだけで、8成分にわけるものを現在開発中だそうな。GCMの放射に関する部分なんて、NOAAあたりに転がってそうな放射コードを使えば高い波長分解能で計算できるんじゃないのなんて思っていたけど、それは1次元・2次元モデルの話ということなんだろうか。やっぱりモデルに関してもいろいろと勉強する必要あり。


2003年8月8日 金曜日

Summer School二日目。前日のレセプションで飲みすぎて二日酔いだったため、午前中の前半をキャンセル。午前中は雲とエアロソルの話。エアロソルの間接効果の話では、粒径の小さなエアロソルが多いと雨になりにくく雲の寿命が長くなる効果、なんていう話もあって、へぇと思いながら聞いていた。午後はVOCの話。アルカン、アルケン、アルキン、芳香族.....このあたりの話はまったくついていけん。

夜はこちらに来てから初めて単独行動。ホテルから適当に歩いていたら中華街を発見。中国人は本当にどこに行ってもたくましい。さらに歩いてフードコートを見つけたので晩御飯を食べて帰ってきた。歩いていると教会風の建物がいろいろあって面白い。明日の朝、早起きして歩いてみるかな。


2003年8月7日 木曜日

Summer School初日。参加者はほとんどカナダからで日本からは予想通り俺一人。初日の午前中は放射のお話。あまり聞き取れなくてよくわからんかったが、そんな難しい話はしてなかったように思う。Folkinsさんといろいろ話を出来てよかった。まだ本郷にいた頃にFさんから面白い論文があると言われて渡されたのがFolkinsさんの論文だった。あれがTTLの火付け役になったんだよなぁ。その論文を渡してくれたFさんもさすがだ。午後は対流圏化学。昔近藤研のセミナーでやったなぁと思うような内容がたくさん出てきて、記憶の奥底に沈んでいたものを少し呼び出せたかな。残念ながら、PANやVOCの話になると全くついていけないが。それにしても自分の英語の聞き取り能力の無さには泣けてくる。面と向かって話しているときには何度も聞き返したりしながら会話が成立するが、複数人数の会話では何を言っているのかさっぱりわからん。おかげで全く口を挟めない。さぞ無口なやつだと思われたことだろう。気を使って話し掛けてくれる人もいるが、それもまた情けない話だ。まぁ頑張って聞き取るしかないんだが。

MikeからKayakingに行かないかと誘われたが、うーん.....。

昼休みに主にShepherdグループで散歩して川沿いまで歩く。後で地図を見てそれが川であることを知ったが。途中大きな教会風の建物があったりして写真の被写体を探すには絶好の場所だった。ただ、トロントに比べるとどう考えても治安は良くないなぁという感じ。今日だけで手錠をかけられてる人を2人見たし、至る所に黒ずくめでタトゥー入りの男女がたむろしてる。まぁ中心部を明るい時間に歩いている限りはまったく問題ないとは思うが。夜は窓を開けて寝ているとたまに奇声が聞こえてくる。


2003年8月6日 水曜日

今日はモントリオールへの出発の日なので朝から洗濯と荷造り。10時過ぎに大学に行ったらLuoさんとディスカッションになってしまった。NさんのMidwinter suppression of baroclinic wave activityを説明する理論に関する論文を現在書いているということだったので聞いてみる。要するに、波数2と総観規模擾乱の共鳴によって総観規模擾乱が増幅されるため、共鳴の最も起きやすい背景風速を境に総観規模擾乱の活動度が減少するというお話。どうにも信じがたいなぁと思っていろいろ質問するも時間切れでうやむやに。自分の中で整理できていないのでなんとも言いようが無いが、これはそもそも総観規模擾乱の発達過程が傾圧不安定であるという前提を覆してしまうのではなかろうか。Nさんの論文などを読んで、背景風の鉛直シアが強すぎると地面付近と圏界面付近の渦のカップリングが起こりにくくなるというような話だと思っていたんだが。また、成層圏だったらHさんがResonant Interactionによる波数2の増幅の話をしてたと思うけど、いろいろな要素が複雑に絡み合う対流圏でResonant Interactionがdominantになるんだろうか?またそれが傾圧不安定よりもdominantになるんだろうか?ようわからん。単純に俺が勘違いしているのかもしれんが。

6人でレンタカーに乗ってモントリオールへ出発。運転はMattだったんだが、結構怖い運転だった。とにかく車間距離が短い。自分だったらここでブレーキを踏むという場所を簡単に越えてくれるので、途中で前を見るのをやめました。6時間ほどでモントリオールのホテルに到着。ケベック州に入った途端、標識がほとんどフランス語になってしまったが、モントリオール市内を見ても大部分はフランス語。とは言っても、皆さん英語も話せるようだが。公用語が2つあるというのは大変そうだけどうらやましい。


2003年8月5日 火曜日

今日は朝一で総領事館へ。住所が変わったので在留届の変更と、免許書き換えに必要な英文証明書の申請。在留届は以前書いた住所を消して裏に新しい住所を書いて終わり。免許の方は、日本の免許と申請料金27$を払って8日以降受け取りということに。

その後、Library Cardを作りにRobert Libraryへ。ここがトロント大学の図書館の総本山だそうだ。カードが無いと入れないのかと思ったら、入るだけならカード無しでもいいようだ。窓口でS先生に書いてもらった図書館への紹介状を見せ、住所その他の情報を入力、最後に写真を撮ってその場で写真つきのカードを発行してくれた。よくは知らんが、このカードで買い物とかもできるらしい。今のところ使う予定は無いが。

初めて生協へ行ってみる。外から眺めてても生協には全く見えないが。中は本屋が主体で、その他に購買部みたいなところと喫茶店Second Cup、あとは学生のための相談オフィスが何種類か。本屋を眺めてみたけどいまいち商品配置がよくわからん。まぁちょくちょく来ればそのうちわかるだろう。

持ってきたと思っていたJMSJの論文を持ってき忘れたことが判明。ちょうど読もうと思ったのに。しかもトロント大学にはJMSJは置いてない。かつては素晴らしい論文がたくさんあったのに.....。仕方ないので日本の後輩に頼んで送ってもらうことに。


2003年8月4日 月曜日

朝起きてテレビを付けたら今日開いている場所とそうでない場所の情報を流している。なんだろうと思ったら、今日はCivic Holidayという休日だそうな。総領事館と図書館に行くつもりだったのに.....。

ケーブルテレビの料金を小切手で支払い。書き方がさっぱりなので、オーナーに教えてもらいながらなんとか書く。サインを日本語にしたか英語にしたか若干記憶が曖昧だが、まぁ大丈夫だろう。返信用封筒に入れてポストに投函。

昼食は、大学近くの定食屋・こんにちわで食べる。天丼を食べたけどまぁ日本国内だったら中の下というところか。でもこちらでこの味なら許せる。


2003年8月3日 日曜日

今日は一日中小雨模様。こちらに来てから全く雨の降らなかった日というのはほとんど無い気がする。こういうもんなのか?

とりあえず、調子の悪い電話機の交換のためにFuture Shopへ。地下の売り場で調子が悪いから交換したいんだけど、と言ったら、交換する新しい商品を持って上へ行けと言う。交換する電話機と新しいのを持って1階のカウンターに行ったら、どこが悪いのかをちょっと聞かれただけですぐに交換してくれた。レシートさえあればこんな簡単に交換してくれるんだなぁ。逆にいえば、それだけ交換に慣れてるのかもしれんが。

そのまま大学に行ってちょっとだけ仕事。こちらの人は本当に土日は仕事しないんだねぇ。同室のLuoさんだけは来ていたが。

だいぶ生活も落ち着いて来たのでこちらに来て困ったことを一つ。こちらにはA4サイズの紙というものがほぼ存在しない。最初プリンタに出力しようとしたときに、手差しトレイからA4の紙を入れろといわれるのでどうしてだろうと不思議に思ったら、紙は全部レターサイズだった。そんなわけで、全てのアプリケーションの印刷設定・ページ設定をA4からレターサイズに変更しなければならなかった。


2003年8月2日 土曜日

現在カリフォルニア留学中の友人S氏がトロントに来たので一緒に市内観光。彼と会うのは実に5年ぶりだが、お互いあまり変わってないかも。

まずは、Fort Yorkへ。かつて建設された砦の名残らしいが、単に塀で囲まれた小さな集落という感じ。でも、イギリス式の軍服を来た人たち(たぶんアルバイトの高校生)が、実際に当時と同じ方式で鉄砲を撃つアトラクションは迫力がありました。もちろん空砲だけど。アトラクションの種類は時間によって変わるらしい。

リトルイタリーで昼食を取った後、Mackenzie Houseへ。トロントの初代市長だったMackenzieさんの邸宅。住宅街の中にひっそりと立っていて最初は気付かなかったくらいの普通の家。面白いのは案内のお姉ちゃんがユーモアたっぷりに各部屋で過去の逸話を紹介してくれること。Mackenzieさんがその後のカナダ大統領の祖父にあたる話とか。また、彼は新聞も作っていたらしく、当時の印刷技術で名前を印刷した紙をもらってしまった。これはいい記念だ。大文字・小文字をuppercase,lowercaseというのは当時のタイプライターで大文字・小文字がそれぞれ上・下についていたためらしい。

次はCasa Romaへ。かつての大富豪Henry卿の邸宅で、まさしく西洋のお城といった感じ。案内の流れるトランシーバーを持って館内を回るんだが、日本語の案内があるのには驚いた。とにかく広くて豪華。見て回るのに1時間以上かかった。

最後にCN Towerへ。まず300mくらいのところにある展望台へ。高い...。特に、床がガラス張りになっていて下まで見通せるところに立てるようになっているんだが、ここに立つと本気で足が竦む。まぁそんなことばかり言ってられないので、Sky Podで高度447m、現在世界で最も高い展望台へ。うーん、本当に高い。雲が下にあるよ。Towerの頂上自体は533mにあるらしいが、そんなところで建設工事をしていた人は頭おかしいんじゃないの、と言いたくなってしまった。

最後に食事をしてS氏と別れる。彼はあと1年カリフォルニアに滞在するらしい。安全、かつ快適に過ごして欲しいもんです。今日はよく歩いて本当に疲れた。でもこちらに来て初めて観光できました。


2003年8月1日 金曜日

Bell Canadaの人が来てようやく電話開通。ついでにホームページの日記も久しぶりにアップロード。日本から電話をかける場合は001-1-416-...ではダメで、001-010-1-416-...ということを再認識。

シャワールームの修理の人も来て、シャワーの上についているタンクを交換して、シャワールームの水漏れも直していってくれた。おかげでこれまで濁っていたり変な匂いがしたりした水も改善。ようやくミネラルウォーターに頼りきった生活からも脱却。

現在住んでいるアパートでは、入り口のドア付近の映像をテレビのあるチャンネルでリアルタイムで見ることができる。昨日これに気付いたときには驚いたなぁ。見ていて面白いもんでもないけど、たまに挙動不審な人がいる。初めて入り口のカードキーを使おうとして使い方がよくわからなかった俺もさぞ挙動不審人物に見えたことだろう。


 
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