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2011年10月24日 月曜日
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《Diary 2003年7月》

2003年7月31日 木曜日

午前中は洗濯とサンコーへ買出し。歩いてみたら片道12分しかかからなかった。クリープが欲しいなぁと思ったけど発見できず。こちらに来てからクリープを見ていない。みんな牛乳を使っているということか。まぁそれでもいいんだけど。

午後は電話局の人が来るというので部屋に居たけど結局来ず。夕方オーナーからの電話で、電話局の人は管理人室にだけ来たという事を聞く。でも工事が難しいだかなんだかでまた明日に延期ということになったらしい。これでまた明日の午後は部屋に缶詰だ。早いとこどうにかしてくれ。

夕方からようやく大学へ。トラジェクトリに問題があるかもしれないということで調べてみるも、バグは発見できず。問題があるのは****のトラジェクトリの方では?と思わないでもないけど、そうしたら被害を被る人が多数出るんだろうなぁ。うちのトラジェクトリでも被害者はそれなりに出るんだが。

来週のモントリオール行きの詳細が決定。8/6にShepherd研の人間全員で車で行って、8/13に帰ってくるということらしい。Summer Schoolでの各先生の講義は結構楽しみ。プログラムを見ると放射・力学・化学の幅広い人たちが来るようだ。参加者がどんな感じなのかは知らんが。ちなみにモントリオールってフランス語全く出来なくても問題ないんだろうか?


2003年7月30日 水曜日

朝一でBell Canadaの人が来て電話線について調べてくれる。その場でつないでくれるのかと思ったら、電話線の管理をしている部屋の鍵を開けてもらうために管理人さんのところに書類を提出し、それから改めてアポイントを取ってくれと言われた。どうにもよくわからないのでオーナーにヘルプを出して手続きをしてもらった。オーナーが電話を引くときにも1週間くらいかかったらしい。はぁ.....いつになったら電話が使えるのやら。

自宅からEMSで送ってもらった荷物が届く。発送からわずか2日半。うーん、速い。本なども何冊か届いてだいぶ生活感が出てきた。

同室のLuoさんと初めてディスカッション。AOの話とかDecadal Oscillationの話とか。最初はBlockingの研究者とか言ってたけど、しきりに海洋の大循環の重要性を説いたり、大気の力学は難しくてよくわからない、とか言っているので、大気海洋相互作用とかがメインなのかな?まぁお互いあまりうまくない英語でせっせとディスカッションしました。

大学からアパートまでのSpadina St.沿いのチャイナタウンを歩いてみる。途中の店にいろいろ入ってみたけど、わざわざサンコーまで行って買ったものがほとんど揃うことが判明。しかも値段は半分以下。あぁ損したなぁ。

今日はこちらに来てから初めて落ち着いて論文の読めた日でした。


2003年7月29日 火曜日

今日来るはずだった電話局の人が明日来ることに。これで電話開通は1日延期か。

昼はGroup LunchということでSpadina駅近くのレストランへ。Mark,Sollinらと初めて会う。Sollinはアルメニアかどこかの出身らしく、ロシアに10年ほど住んでいたそうな。英語もしばしば巻き舌が入っていた。食事中の会話にはまったくついていけず。

午後はS先生と初のディスカッション。最初どう切り出すべきかよくわからず行き当たりばったりでやっていたけど、どんどん質問してくれるので途中からはスムーズに出来た。とは言っても、こちらの貧弱な表現力・読解力のおかげでいらぬ手間が相当かかったと思われるが。波に関する話では、CMAMやメカニスティックモデルを使うのであればCharlesに話をしてくれるということだったのでお願いする。また、Orr mechanismとbaroclinic couplingを明確に区別するように言われる。Orr mechanismではwave activity自体は変化しないということを、そうだろうなぁと思いつつ確認できていなかったので、断言されてかなりほっとした。そんなことじゃいかんのだが。子午面循環の話に関しては特に何がやりたいという明確なビジョンがあるわけではないので、思うところをつらつらと述べて意見を聞いたりして勉強になるなぁという感じ。参考になるからと渡されたPさんの論文もちらっと見ただけだけど、本当に参考になりそうだ。

夕方からS先生を含むメンバー7人でブルージェイズの試合を見に行く。試合自体も逆転に次ぐ逆転の面白い試合だったけど、それ以外のことがさらに面白かった。座った席は(たぶん)3階席の最前列。急傾斜の階段と3階席の高さに、高所恐怖症の私は立った瞬間竦みました。7th inning stretchの頃には慣れて踊ってたけど。日本と違って組織された応援団も打楽器による応援も無いので、プレー中は観客のざわめきくらいしか聞こえなくて非常に静か。そんな中、"Say hit."と言って掛け声を強要(?)しながら歩いて回る球場関係者のおばちゃんと、"Homerun, Carlos.","Switch the pitcher.","Go home."などと叫びまくってた真後ろの席のラテン系の女の子が笑えました。試合開始時に小雨が降ってきたので、ひょっとして屋根の閉まるところを見られるか?と期待したけど、すぐ止んでしまって残念。試合は結局9対8でデビルレイズがブルージェイズに逆転勝ち。ア・リーグ最弱のチームに負けてどうするよ、ブルージェイズ。来年優勝争いするにはクローザーの補強が急務でしょう。そういえばこっち来て初めてビールを飲んだ。


2003年7月28日 月曜日

Bloor×Yonge駅近くのCanadian Tyreでアイロン等購入。さらにチャイナタウンの中の清源商店というお店で雑貨購入。馬鹿みたいに安かった。そのぶん品質に問題ありということだろうが。

シャワーが出なかったのでオーナーに電話で聞いてみたら直接部屋に来て教えてくれた。そういう風にするのか.....日本ではそんなの見たことないからなぁ、と言い訳。

チャイナタウンの中のレストラン街のようなところで晩御飯購入。好きな5品で3$、しかも量は2食分相当。みんな本当に一食でこんなに食べるのかなぁ。仕方ないので半分残して明日の朝食決定。

明日S先生と話をしなければいけないのに頭が研究モードに移行しない。やばいなぁ。


2003年7月27日 日曜日

今日でMassey Collegeをチェックアウトして完全に引越し。1週間宿泊して235$。最初聞いていたより安かったな。

今日もデイパスを買って一日中駆けずり回るつもりでSpadina駅でデイパスを買おうとしたら改札に駅員がいない。日曜日には無人になる改札らしい。仕方がないので他の改札に行こうとしたらおばさんに呼び止められる。窓口に人がいなくてTokenを買えないので1つ売ってくれと言う。自販機でまとめ買いすればいいのにと思いつつ売ってあげる。

今まで大学に持っていっていなかったもう1台のノートPCを持って大学へ。接続してメールを受信したりするのと、家電製品を売ってる店を調べてみる。そうすると、Yonge St.沿いにFuture Shopという家電製品のお店があることを発見。買出し先決定。

早速行って地下1階で電話、電子レンジ、電気ポットを購入。相手をしてくれた白人のお兄ちゃんは無茶苦茶童顔で10代中頃でも通りそうな感じだった。そのせいなのかなんなのか、もの凄いマシンガントーク。発音がきれいなのはわかるんだけど、速すぎて断片的にしか聞き取れない。かろうじて保証に関する話をした後は、日本には行ったことあるよ、いいところだよねぇ、とかいう話をしてた。重い電子レンジを抱えつつ、2本の市電を乗り継いでアパートまで持ち帰り、もう1度Future Shopへ。今度は1階で13型のテレビを購入。この頃にはもう疲れきっていて、やたらでかい20型を買う気にもなれず、安い13型は売り切れていたけど新しいものを探す気にもなれず、とりあえず持って帰れそうなものを買ってしまった。このとき相手をしてくれたヒスパニック系のおっちゃんは無口で必要な会話だけした。帰りの市電の中では見知らぬおじいさんに、これはコンピューターかとか、イヤホーンはついてるのか、など聞かれる。それにしてもこちらの人は見知らぬ相手にも簡単に話し掛ける。今日も道を聞かれたりしたし(俺に聞いてもしょうがないと思うけど)。日本では1日中歩き回っても話し掛けられることなんてそうは無いよなぁ。

あとはSpadina駅近くのスーパーに行って日用品の買出しをして今日のお出かけ終了。アパートに戻ってトロント初の自炊。オーナーに借りた炊飯器でご飯を炊いてみるといい感じで炊けた。ただ、しゃもじが無くて困った。あとはサンコーで買ったそばを作ってみるとちょっと固めだったけどまぁまぁ。ついでにこちらで初めての煎茶も飲む。やはりお茶は湯呑みで飲まないとダメだ。これで自炊も出来てテレビも見られるようになった。あとは電話がつながればほぼ生活基盤は完成かな。そろそろ研究も始めないと。


2003年7月26日 土曜日

朝起きて食堂に行ったら閉まっていた。そういえば土日は朝食無いんだっけ。仕方ないので買ってあったクロワッサン等で適当に朝食。そんでもってこちらに来てから初めての洗濯。洗濯機も乾燥機も至って普通。それぞれ1回1$だった。

Massey Collegeを完全に引き払うのは明日にして一部の荷物をアパートに持っていき、そのまま大学へ。ネットで電話の契約をしようと思ったけど、はたと困る。オーナーがやってる治療院と部屋は別とはいえ、マンション内での部屋番号は同じ。こういう場合、電話は新規になるのか増設になるのか?勝手に申し込んだら彼らに迷惑がかかるのでは、という心配が出てきたのでオーナーに電話して聞いてみる。そうしたらあちらで申し込みをしてくれることになって、そのあたりの話をするために午後会うことにする。

昼はアパート近くのファーストフード店でお弁当を買って食べる。ドリンクはどうするかと聞くのでGreen Teaはあるかと尋ねるとあるということだったのでそれを注文。でもBubble Teaとかなんとか言い始めてなんじゃそりゃと思っていたら、Green Teaの種類はどうするかと聞いてくる。なんでGreen Teaに種類があるんだろうと思ってメニューを見てみると、確かに20個近くの種類が書いてある。さっぱりわからなかったので適当にオリジナルというのを頼んだら、冷たい緑茶の中にたくさんのタピオカが入ったものが出てきた。どうやらタピオカのことをBubbleというらしい。飲んでみたら普通の緑茶だったけど、タピオカの存在価値がどこにあるのかよくわからなかった。

部屋で待っていたらオーナー夫妻がご登場。これまで交渉はすべて奥さんの方としてきたので旦那さんとは初対面。こちらは日本語ぺらぺらで、会話は全部日本語になってしまった。その場で奥さんがBell Canadaに電話して交渉してくれた。途中で2種類のID(パスポートと国際免許証)を知らせ、本人の声で"yes"と言わなければならないとかでただ"yes"と答える。あとは火曜日に工事の人が来て使えるようにしてくれるらしく、その時に79$払うようにということだった。心配した通り、新しく引く電話が新規なのか増設なのか奥さんにもわからず、電話局の人もよくわかっていなかったようでやたらと時間がかかった。ケーブルテレビについても聞いてみると、前の居住者の契約が残っていて使えるらしい。詳しいことはよくわからなかったけど、まぁ問題があったら後で聞いてみよう。

その後、買出しのためサンコーへ。とりあえず、ご飯と味噌汁とお茶、という目的で行って、必要なものはすべて手に入った。ただ、急須が40$もするのにはびっくりした。10kgの米より高いよ.....。買わなかったけどお箸とかも明らかに高い。日本固有の食器類は持って来るべきだったと今更ながらに思った。手に入るだけましかもしれんが。帰りの市電が一緒だった日系人のおばあさんと話をする。Wireを買ってたけど何に使うの?と聞かれたので、wireって何のことだろうと思ったらザルのことだった。金属製だったのでそういう表現になったらしい。このおばあさんはカナダ生まれのカナダ育ち、日本には数年前に1度行ったきり、日本語は両親との間でしか話していなかったので両親が亡くなって忘れてしまったということだった。日本がとても好きらしく、落書きなどが無くて街がきれいだった、としきりに懐かしんでいた。まぁ行ったところが金沢、高山、岐阜とか言ってたから、かなりきれいなところばかりを見たのかもしれんが。

電気製品を買おうと思ってEaton Centerへ。アパートはサンコーとEaton Centerのほぼ中間あたりにあって非常に便利。この両者を比較するのは間違いかもしれんが。しかし、Eaton Center内の店を覗いてみると、明らかに高い気がする。ここはあくまでファッション関係のショッピングセンターであって家電の店ではないということか。仕方ないので家電製品の買出しは明日に延期。


2003年7月25日 金曜日

初めてキャッシュカードを使って買い物。どういうわけか30¢の余分なFeeを取られていた。銀行との契約書を見ても30¢取られるような項目は何も無いんだが。地球の歩き方で調べてみると、どうやら1000$以上の預金残高が無いと取引のたびに取られるらしい。仕方が無いのでCitibankから1000$おろしてCanada Trustの口座へ。Citibankの口座からおろす場合には金額制限は無いらしい。でもそうすると、Citibankの口座からわざわざ送金してもらわなくても自分でおろして預けた方がいいか?レートはどうなるんだろう。

昼飯は中華の路上販売車で購入したチャーハン。あまりの本格的な味に驚いた。中国人3人くらいでやってたけど、さすがは本場の人が作っただけのことはある。ただサイズはカナダサイズで、半分ほど食べたところでもう1人前食ったよ、という感じだった。これで4$なら安いなぁ。

アパートの契約に行く。改めて考えてみたら聞き忘れていたことが多数判明。今日聞いてみたら、洗濯機は無いので近くのコインランドリーまで行かなければならないらしい。ゴミ出しはその階のゴミ置き場に置くだけでいいそうだ。また、炊飯器を貸してもらえるらしい。これはかなり嬉しい。あとはその場で新品のベッドを組み立ててから契約書を作る。しかし契約書に書いてある内容を理解できない.....。どう書けばいいのかをいちいち聞きながらなんとか契約成立。ちなみに契約の話は結局全部英語でした。そのまま銀行へ行って2ヶ月分の家賃をおろしてきて渡す。来月からは小切手で払うことになる。これでどうにか一仕事終わったぞ。

大学へ行ってアパートを借りたことをS先生に報告。その近辺の治安について聞いてみたけど、大丈夫だよ、ということなので一安心。ついでに来週研究の話をしたいので時間をください、ということで来週の火曜日に話をすることに決定。それまでに自分なりのビジョンをはっきりさせてなおかつ説明可能にしておかねば。そうは言っても週末は引越しと電話&ケーブルテレビの契約・設置などで忙しくなりそうだが。あとはメールボックスの場所を聞いたり、図書館のカードを作るための紹介状をもらったり。


2003年7月24日 木曜日

CitibankからTD Canada Trustの口座へ送金しようとしたら、citibankの方で送金先の登録をしなければいけないことが判明。しかもそれは窓口か郵送でしか受け付けないそうだ。仕方ないので、書類をネットで取ってきて書いて郵送。その際、カナダの銀行特有のTransit Numberを書かなければいけなかったんだが、これが昨日教えてもらった銀行&店舗の番号だった。この書類の入った封書を郵便局に持っていったら1$34¢だった。高いのか安いのか判断に困るところだ。

郵便局に行った後、Spadina St.沿いの市電とQueen St.沿いの市電を乗り継いで日本食料品店サンコーへ行ってみる。このとき、初めてTransferを使う。市電の運ちゃんにTransferを見せつつ、初めて使うんだけどこれでいいのかと聞いてもうんともすんとも言わなかった。そんでもってサンコーは見事に乗り過ごす。徒歩で10分ほど戻ってようやく発見。こんな小さな店気付くかぁ、と言いたかったけど、中は見事な品揃えだった。ここで木曜発売の日加タイムスを購入。これもあって木曜日に来たんだよなぁ。さらに店員のお兄ちゃんがアパート情報だったらこっちにも載ってますよ、といってフリーの冊子などをくれた。さらに掲示板を見てアパート情報をチェック。店員さんによれば、よいアパートが見つかるかどうかは運次第、だそうだ。

とりあえず、アパート情報をチェック。希望としては大学周辺、家具付き、光熱費込みの物件。安全と快適さを買うためには1000C$くらいはしょうがないだろうなぁと思いつつ読んでいたら、1000$未満で良さげな物件を2つ発見。早速電話してみると、一つは明日10時、もう一つは今日これから見に行くことに決定。早速見に行った物件は、中国人夫婦がクリニックのオフィスとして使っている高層マンションの1室で、オフィス以外の1部屋とバスルームを貸したいということだった。いろいろ条件を聞いていると、はっきり言って破格と言ってもいいような条件だった。場所的にもQueen St.とSpadina St.の交差点から100mくらいのところで交通・買い物の便もよく、治安的にもまぁまぁ良さそう(これは夜を見てみないとなんとも言えないが)。しかも光熱費等全部込みで700$ちょっと。また、その中国人のおばさんが日本語も片言ながら話せるので、契約等細かい話を日本語で出来そうなのもよかった。どうやら俺が最初に連絡してきたらしいが、こんないい物件早く決めないとなくなっちゃうよ、と急かされる。正直即決してしまおうかとも思ったが、もう1つの物件の様子を見てから連絡します、ということでもう1つの物件を見に行く。外から見た感じでは、どう考えてもあっちの方がいいなぁと思ったので、明日見に行く約束をキャンセルして中国人のおばさんに借ります、と電話連絡。過去こういう場面でひどい目にあったことは無いのでたぶん大丈夫だろうという安易な考えで決めてしまったが、果たしてどうなるか。まぁでも最大の懸案事項が解決したので非常に嬉しい。


2003年7月23日 水曜日

今日はいろいろ回ろうと思ってデイパスを購入。しかし、駅員にさっと見せて通ろうとしたら、ちゃんと止まってこちらにわかるように見せてくれないとダメじゃないか、と怒られたというよりも諭された。

今日はまず、St.Clair駅のほぼ目の前にあるHRDCのオフィスへ、とは言っても最初間違えて別のビルに入ったが。そこで社会保険番号(SIN)の申請。バンクーバー空港でもらった申請用紙にWork Permit付きのパスポートを添えて申請。母親の旧姓を聞かれただけで受理されてしまった。こんなもんか。

HRDCのオフィスを出たら目の前にTD Canada Trustの支店があったのでそこに入って銀行口座作り。小切手の支払いに必要なChecking accoutとキャッシュカードで支払いができるようにSaving accoutを作る。でも実は支払いはChecking accoutからも出来るということを後で知った。口座作りは結構難儀だった。店員は基本的に懇切丁寧なんだけど、こちらの貧弱な聞き取り能力と聞き取れても意味のわからない単語があったりで.....。しかも今回はインターネットバンキングも出来るようにしてもらったので手間も2割増といった感じ。インターネットバンキングに関しては、24h以内に指定の番号に電話してPIN番号を設定し、5日以内にインターネットでアクセスするようにということだった。また、心配した店員が最後に、口座番号と銀行・店舗のIDナンバーを書いておこうか、と言ってくれたのでそうしてもらった。実はこれが後で役に立った。

次は総領事館に行って在留届の提出。これは用紙をもらって申請して終わり。住所が変わったらまた申請に来ないといけないだろうし、その時には日本の免許をオンタリオの免許に書き換えるために必要な英文証明書をもらわなければということに後で気が付いた。

昼はダウンタウンの地下街でサンドイッチを食べる。海外経験が少ないのでサンドイッチと言っても日本と同じようなものを想像していたら、似ても似つかないものが出てきた。味はまぁまぁだったけど、玉ねぎだけが余計だった。

午後オフィスに行くと、こちらで使用するPCをどうするかと聞かれる。自分のノートPCで大体のことは出来るけど、もう1台使えるのがあるといいなぁ、というわけで、現在不在のLucyのLinux PCを使用させてもらえることになった。そのためのアカウント作りやらなんやらはKirillがやってくれた。彼がShepherd研の管理者的立場らしい。さらにS先生に連れられて物理学科の図書室へ。コピー機の使い方やらなんやらを教えてもらったけど既に記憶が曖昧。まぁ使ってみればわかるだろう。図書館のカードは聞き取りが間違ってなければ後でもらえるらしい。また、トロント大学ではいろいろな電子ジャーナルが利用可能だ。ただ、JGRは?と聞いたら、高いから契約していないということだった。S先生曰く、NCARですらJGRの電子ジャーナルは契約していないんだ(と聞こえた気がする)。さらに物理学科の事務らしきところに行って、建物とオフィスの鍵をもらう。まさか鍵をもらうのにお金を取られるとは思わなかった。多分鍵を返す際に戻ってくるんだろうと思うけど。あとは医療保険に関する話を聞く。どうやらオンタリオ州の医療保険に入る資格はあるみたいだけど、3ヶ月間の待機期間が必要だそうだ。代わりにトロント大学のポスドク用の医療保険に入ることも出来るけど、月70$ほど取られるそうな。まぁ年内は海外旅行保険に加入してきたからそれ以降だけオンタリオ州の保険に加入すればいいだろう。できることならトロント滞在中に保険のお世話にはなりたくないが。


2003年7月22日 火曜日

昨日の日記でToronto Dominion CenterとToronto Dominion Bank Tower、Royal Trust Towerが別物のように書いたけど、そのへん全部ひっくるめてToronto Dominion Centerと言うらしい。

朝一でS先生と連絡をとって研究室へ。パソコンの調達、アカウントの作成、メンバーの紹介、備品使用に関する説明などをしてもらう。また、地下にあるくつろぎスペースで火曜日の午前中だけはコーヒー・紅茶が無料だからということでそこへ行く。S先生が一緒にきたテファニーと2次元モデルにおける非地形性重力波のパラメタリゼーションに関する話を始めたのでそれを聞いていくつかコメント、というよりは質問。その後7階に戻って入ることになる部屋について説明を受ける。S先生の隣の703Aという部屋だけど、この部屋を中国からのVisiting ProfessorのDr. Luoという人と一緒に使うことに。また、EMSで送った荷物が届いたので地下にあるStore Roomに取りに行く。3箱無事に届いていた。箱は破れかかっていたけど。

昼はS先生他と大学の南にあるBaldwin St.沿いのFujiyamaという怪しい名前の日本食レストランへ。それにしても会話にまったくついていけなかった。頑張って聞いてはいるんだが、時差ぼけのせいか眠くなってきたところでいきなり話が飛んできて何度も聞き返す始末。これは相当頑張らんととてもサイエンスの話なんて出来んなぁ。料理の味はまぁまぁだった。

午後は持ってきたノートPCをつないでネットワークやプリンタの設定。Windowsからは日本語印刷が出来て一安心。それにしても同室のLuoさんとは話が噛み合わない。メールサーバのこととか話しててもどうにもよくわからん。結局、設定を見せてもらって解決したけど。また、Luoさんの子供が頻繁に出入りしていてS先生からもうるさくないか?と心配されてしまった。まぁ大丈夫なんだけど、この人あまり研究室に馴染んでないなぁと余計なお世話ながら思ってしまった。

どうにか居室の電話番号等もわかったので、明日こそは領事館や銀行へ行くぞ。


2003年7月21日 月曜日

朝起きて窓から中庭をのぞくと、黒い物体がちょこまか動いている。何かと思ったらリスだった。今日一日見た限りでは、庭という庭に2匹くらいずつリスがいる。まぁ日本の猫みたいなもんか。

Tokenという1円玉くらいのコインを買って地下鉄に乗ってみる。Tokenは普通に買うと2$25¢だけど、10枚まとめ買いしたら19$だった。改札を通るときに有人改札の箱に入れるか、自動改札のコイン投入口に入れればOKで、降りるときには改札を素通りするだけ。これでToken&地下鉄はマスターした。次はTransfer&バス・市電だ。

家に電話をかけようと思ってPay Phoneでやってみたら9$投入しろとか言われたので断念し、10$のCalling Cardを購入。25¢を入れて指定された市内の番号にかけ、音声案内にしたがってカードに印字されているPIN numberを入力し、最後に011-81-48-...という自宅の番号を入力するとつながる。音声案内によれば10$のカードで100分ちょっといけるとか言ってるけど本当かな。まぁかけるたびに25¢は必要になるんだが。

在留届の提出と日本の免許証の英文証明書をもらいに総領事館へ。手元の本ではToronto Dominion Bank Towerになっていたんだが勘違いしてToronto Dominion Centerへ。見当たらないので間違いに気付いてTDBTに行くもやはり見当たらない。おかしいなぁと思ってNさんにもらった地図を見たらRoyal Trust Towerになっていた。この3つの建物は同じ区画にひしめき合っていてどれがどれだかようわからん。とにもかくにもRTTの33階に総領事館を発見。しかし、本日は日本の祝日のためお休みの札。海の日が出来た頃には既に祝日なんて関係ない生活だったからなぁ.....明日来るしかないか。せっかく歩き回って見つけたというのに。

S先生のところには計3回電話したけどずっと留守電だったので、明日また電話しますというメッセージだけ残して今日は研究室に行かず。まぁ札幌で一緒になったメンバーもまだ帰ってきていないのが何人かいるはずだからいいんだけど。


2003年7月20日 日曜日

いつの間にやらトロントへの出発の日。この日記はトロントで書いているけど、予想通りてこずらせてくれた。まず、スーツケースの重さがほぼ30kgになり、制限引っかかるかなぁと思ってなんとか3kg減量。でもよくよく調べてみたら32kgまでOKだったらしい。午後2時過ぎに家を出て上野経由で成田へ。上野で乗る予定だったスカイライナーを1分差で乗り逃がし、40分待ちで次のスカイライナーへ。出発1時間半前に空港に着いて、まず手荷物のX線検査は問題なし。チェックインの際にはWork Permit申請に関する書類を見せて通過。身体検査と機内持込荷物の検査も問題なし。国際線だとPCは別にしなくていいんだなぁ。知らんかった。この時点で搭乗時刻直前だったのでそのまま搭乗。定刻より20分遅れくらいの7時頃離陸。ここまでは至って順調だった。

経由のバンクーバーには15分遅れくらいで着く。もともと乗り換え時間が1時間半しかなかったので、この時点で既にかなり焦っている。でも旅行会社のNさんが出口に一番近い席を取ってくれたおかげでかなり早い順番で入国審査の列に並ぶ。それでも30分弱かかったけど。次のImmigrationは、直前に到着したらしい上海からの便の人たちでごった返していた。手続き自体は簡単に済んだけど、結局ここで1時間ちょっとかかり、乗り継ぎ便は既に空へ。とにかく荷物を受け取りに行くと、成田からのフライトのターンテーブルが見当たらない。ポーターに聞くと24番だと言うので行ってみるも見つからず。仕方ないのでカウンターに行ってみたら、23番だと言われ、探してみたら即発見。ここでまた20分消費。税関は素通りし、国内線のチェックインカウンターへ。本来ならここでは並ばずに荷物だけベルトコンベアの上に置けばよかったんだけど、新しいフライトを取ってもらわなければいけないので仕方なく列へ。これがまた1時間近くかかり、カウンターのおばちゃんにも「ずいぶん遅れちゃったわねぇ」と言われてしまった。国内線の身体検査の直前で空港使用料の徴収もしてたけど、日本からのフライトの半券を見せたらタダで通してくれた。当然といえば当然だが。機内持込荷物の検査では、PCを出した上に画面を開かされチェックされた。こうしてなんとか予定より2時間遅れの便へ。乗ってみたらなんとエグゼクティブだった。エコノミーしか乗ったこと無かったので、この広さは本当に快適だった。今回の唯一の収穫がこれか。食事はイタリアンの結構本格的なのが出て、さすがにエコノミーとは違うなぁなんて思ったが、味ははっきりいってまずかった。

現地時間の午後10時頃、ようやくトロントに到着。エグゼクティブなので期待したけど、荷物が出てくるのはエコノミーの人たちと一緒だった。空港でタクシー拾って宿泊先のMassey Collegeへ。タクシーの運ちゃんにトロントの車事情などを聞くと、トロントは駐車場代高いから、あまり遠出しないんだったら車は持たなくてもいいんじゃない、と言われた。でもじゃあ、自転車は?と聞くと、あまり乗っている人はいないということで、冬場は結局みんな車だそうだ。料金44C$のところを小銭も無いので50C$払ったら、一緒にMassey Collegeの入り口のところまで来てくれた。しかし事前にメールでやり取りしていた通り閉まっていたので、隣のSt. Hilda's Collegeのポーターの所に行って鍵をもらう。いなかったらどうしようと思ったけど、居てくれて助かった。部屋はメインの部屋とベッドルームの2部屋。風呂・トイレは隣室の人と共同で、電話も無い。部屋からつないでメール読めるかなぁと思ってたけど甘かった。なんとか早いとこアパートを探さねば。あとは30kg近いスーツケースを持って3階までの上りはしんどかったくらいか。

まぁ何はともあれ無事トロントに着けたから良しとしよう。1日37時間は長かった。明日はシェパード先生の所に顔を出したり、領事館行ったりやることはたくさんあるなぁ、というわけで今夜のところはお休みなさい。


2003年7月18日 金曜日

カナダ渡航前に極地研に出向く最終日。送別会ということで飲みに行く。まぁ5ヵ月後にいったん帰ってくるわけだから、送別されちゃっても困るんだけど。飲み会の口実を提供したということかな。

T-N fluxの計算結果が出てきた。とりあえず月平均場を見て、Plumbのフラックスと対応していることを確認。頻度分布の形でプロットしてみると結構面白い。ただ、あまりにも情報量が多すぎて、どうやってまとめるかが悩ましい。飛行機の中ででも考えるか。


2003年7月17日 木曜日

EMSで荷物発送。EMSのように郵便局で扱う場合、支払いは各部門ごとでなく極地研全体で一括して払うことになるので、費用の心配はしなくてよかったということが判明。あとはTakaya-Nakamura fluxの計算を実行中。どんな結果が出るのやら。


2003年7月16日 水曜日

ずいぶんてこずったけど、宇宙研へのトラジェクトリ計算プログラムの移植がほぼ完了。あとは旅行会社の人から航空券を受け取ってビザに関する情報を少し聞いた程度で一日が終わってしまった。


2003年7月15日 火曜日

朝から行くつもりが二度寝して昼近くまで爆睡。今日はまず、極地研からトロントへ発送する荷物の整理。なんとか中段4個以内にしようと思っていたら、3個で収まってしまった。輸送費も公費から出してもらえることになってほっと一安心。次は、宇宙研で使ってもらうトラジェクトリ用のデータ整備。DLTに保存してあるものを展開して解凍するだけで済むかと思ったら、解凍に失敗するものがちらほら。どうもDLTが原因のような気がする。仕方がないので、NOAAのFTPサイトに行ってデータを取ってきて加工。トラジェクトリの方も、要望に合わせて変更。プログラムにバグが無ければよいのだが.....。あとは自分の解析用のデータ作成。これが予想通り、とはいかないまでも面白い結果を出してくれれば論文を書き始められるんだが、はてさて。そんなこんなで出発まであと5日となってしまった。みんなから、ずいぶんのんびりしてるね、と言われますが、はいその通りです。でもぼちぼち焦り始めてきたので、明日からは朝から晩まで準備に追われていることでしょう。


2003年7月14日 月曜日

午前中は国保関係の手続きで市役所へ。午後はカナダドルの購入のため東京三菱の池袋東口支店へ。あとはごちゃごちゃ雑用やってたけど、RAIDハードディスクがいきなりエラーを出してピーピー言い始めた。再起動したらrebuildが始まったので諦めて帰宅。きちんとrebuildしてくれたらいいんだが.....。


2003年7月13日 日曜日

折原一の模倣密室読了。黒星警部シリーズの短編集。面白くないわけではないんだが、キャラのダメダメ度でなんとかもっている感じ。


2003年7月12日 土曜日

極地研でぼちぼち作業実行中。今日は居室に空調機を入れる工事をやっていたようだ。これまでの空調は全館のもので平日9時5時しかついてないから、夏休みの時期には毎年しんどい思いをしてた。今年ようやく改善されることになったが、来週末にいなくなる俺はほとんど恩恵を受けることはなかったわけか。まぁしゃあない。

完全に夏風邪気味。札幌で空調つけたまま寝て喉をやられたのがまずかった。さすがに行く前に治さないとまずいよなぁ。海外旅行保険に入っているとはいえ、できることなら現地の病院のお世話にはなりたくない。SARSは怖いし、英語で病状説明なんてできないし。


2003年7月11日 金曜日

IUGG最終日。今日は重力波関連の発表がほとんどだった。個人的には、衛星データを用いた運動量フラックスの推定という話が面白そうかなと期待していたけど、それほどでもなかった気がする。次回のIUGGはどうやらイタリア・ペルージャになったのかな?そのときにまだ研究者をやっているかどうかも定かでないが、やってたら参加したいもんだ。


2003年7月10日 木曜日

今日聞いた発表の中ではGarciaさんの発表が面白かった。極渦をstrong vortexとcold vortexという2つのレジームに分け、それぞれの発生・回復過程を主に波動平均流相互作用の観点から捉えた物。理論的には従来からの古典的なお話とまぁ変わらない気がしたけど、この捉え方をすると突然昇温はweak vortex event、AOシグナルの下方伝播はstrong/weak vortexの下方伝播という形でまとめて議論できるかなという気がした。また、回復過程の話で、weak vortexからの回復は上部成層圏で早く、下部成層圏で遅い。これは放射のタイムスケールの違いと考えられるようだ。同時に、strong vortexから通常状態への復帰は、EP fluxの鉛直成分が減っていた状態から普段のそれなりに上向きフラックスがある状態へ戻るという力学的なプロセスなので、上部成層圏と下部成層圏で回復に要する時間があまり違わないらしい。ただ、500hPaで定義するstrong/weak vortexという話とそれに関連する力学プロセスがよくわからなかったので、機会があればもう一度聞いてみたいものだ。

Mさんと飲みにいった。予想外の出費だった。値段の付いてないものを注文するときは注意しましょう。


2003年7月9日 水曜日

現在、IUGG参加のため札幌滞在中。今日発表が終わってようやく一息ついて日記も再開。今回は発表準備が終わらなくて本当にやばかった。こっちに来てから昔書いた図を取り入れたり、今日の会場でも少し書き直したし。終わってみるとテンションの高い状態が続いて理解が深まったと思えるが、結構しんどかった。しかし、会場はガラガラ。どうやら他の会場でHoskins先生が喋っていたようで、皆さんそちらに流れたらしい。おかげで質問の手が緩かったが、ちょっと残念。


2003年7月1日 火曜日

ヤクルト・稲葉とダイエー・村松が史上初の同日サイクルヒット達成、というと素晴らしいことのように聞こえますが、それだけ投手陣大乱調の1日でした。

西沢保彦の神のロジック人間のマジック読了。どこかで読んだことあるようなお話でした。西沢作品にしてはあまり面白くなかった。

ア・リーグの球宴ファン投票最終中間発表で、イチローが指定席のリーグ1位の得票数に浮上。ヤンキース・松井は外野手部門2位に浮上。まぁ松井はそれなりの成績出してるからいいけど、日本人組織票のパワー炸裂という感じ。もう少し実力で評価しようという気運が生まれて欲しいというのが正直なところだけど。


 
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