南極観測隊便り 2018 - 2019

第60次南極地域観測隊 内陸調査隊の活動をお伝えしていきます。
2019/03/21

59次越冬隊・60次夏隊の帰国

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3/21(木)17:00過ぎに、59次越冬隊31名及び60次夏隊46名(同行者含む)が成田空港に到着しました。60次夏隊4名(金子さん、栗田さん、高村さん、山田さん)それに、59次越冬隊で昨年の内陸隊参加者の赤田さん、宮岡さんの2名が帰国しました。
23:13 | 投票する | 投票数(4)
2019/02/04

2月にはいって

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 内陸隊参加者の2月にはいってからの動静です。2月2日、内陸隊参加者のうち4名(川村さん、櫻井さん、津滝さん、藤田)が南極航空網を経由し、空路羽田空港に帰国しました。1月26日に移動を開始してから1週間での帰国となりました。2月1日、昭和基地では越冬交代式がおこなわれ、2名(伊藤さん、岡田さん)は越冬体制にはいりました。4名(金子さん、栗田さん、高村さん、山田さん)は「しらせ」に乗船し、帰国の途につきます。昨年の内陸隊参加者の赤田さん、宮岡さんの2名も、昨年の内陸隊終了ののち一年の越冬を経て、「しらせ」に乗船し、帰国の途につきます。

 本ブログの新規投稿はこれで終了します。今回の南極内陸行動にかかるアウトリーチとしてこのブログをおこなってきました。ここをご訪問くださり大変にありがとうございました。

12人の記念写真(氷床の広域でのレーダ観測完了時に)。


12人の記念写真(ベースキャンプでのアイスコア掘削完了時に)。


08:09 | 投票する | 投票数(12)
2019/01/25

S16から昭和基地へ・「しらせ」へ

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昭和基地および「しらせ」への人員と物資の輸送が、1月23日に実施されました。予定されたヘリ便は全部で4便。現地時間12:30頃から、午後16:00頃を予定していました。当日起床してみると、うっすらと積雪があり、雲がでていました。それでも視程は十分良く、気象担当隊員の視程判定は30km。雪面にはコントラスト(雪面の陰影)は十分にみえていました。そうした状況から、輸送が開始されていきました。


写真1:ヘリ第一便が「しらせ」を発艦したとの無線通信を受け、ヘリ着陸予定地点近傍でスタンバイしました。手前に見える大きな袋(タイコンといいます)は、総量1トンの廃棄物です。これは昭和基地に輸送します。写真に記録されている時刻は世界標準時(UTC)です。実際の現地時刻は、これに3時間を足して12:20。


写真2:上の写真の4分後、ヘリコプターが上空に到着したので、発煙筒をたいて風の状況をパイロットが視認できるようにします。


写真3:さらに2分後、着陸態勢にはいりました。雪煙が舞い上がります。


写真4:物資を順次ヘリコプターに搭載。


写真5:昭和基地行き物資を満載し、隊員の高村さん(フィールドアシスタント)が搭乗し、第一便は昭和基地に向かいました。高村さんは今後いくつかの野外オペレーションのなかでフィールドアシスタントとしての任をつとめつつ、「しらせ」で帰国の途につきます。


写真6:昭和基地に物資と人員を降ろしたヘリコプターが第2便として上の写真の約30分後に飛来しました。


写真7:「しらせ」に輸送する物資を搭載したのち、隊員の栗田さん(研究観測担当)がヘリコプターに乗り込みました。栗田さんは「しらせ」船上での帰路での観測を担当していきます。大陸からはこの時点で離れることとなりました。この時点での写真にはまだ青空がのぞいています。


この直後に、比較的低い雪雲が現地を覆いました。第3便のヘリコプターが「しらせ」を発艦したとの連絡がはいり、上空からはヘリコプターの音が聞こえましたが、視程が悪すぎたため、ヘリコプターはそのまま「しらせ」に戻りました。
その後、状況が改善し、ヘリコプターの機長がヘリオペ再開可能と判断するまで約3時間を要しました。現地に残っていた8名に対しては、最悪の場合現地に宿泊が可能かどうか、それに、食糧の点では大丈夫か等、照会がはいっていました。
その可能性も十分あるものと認識して待機を続けました。


写真8:第3便の飛来は、結果的は現地時間16:20までずれ込みました。依然曇天と弱い降雪は続いていました。


写真9:再度「しらせ」送りの物資を満載してヘリコプターが離陸しました。


写真10:物資と人が去る雪上車内を後部ドアから撮影。私達が去る前に、車内は念入りに清掃しました。掃除機がけ、粘着テープを用いての床の汚れのはぎ取り、棚のぞうきんがけ、カーテンの洗濯等。次回に来てこの車両を使用する方々が気持ちよく使用を開始できるように。最終便(第4便)到着をもって、昭和基地とヘリ便の運航に関する無線通信を続けていた無線機の電源を切りました。


写真11:最終便(第4便)が到着。残った人員と、最後の物資を、昭和基地に輸送します。既に夕方5時。メンバーには、昭和基地で越冬隊員として越冬に臨む方々、「しらせ」で帰国の途につく方々、南極航空網で帰国の途につく方々がいます。


写真12:ヘリコプターに搭乗。


写真13:飛行するヘリコプターの内部。昭和基地に着陸しようとしています。
これで残った全員が昭和基地に到着しました。


ヘリコプター輸送の長い一日は終わりました。そして、内陸ドーム隊としての大陸上でのチームの行動もこれで完了しました。昨年11月10日に昭和基地を出発してから再度昭和基地に戻るまで75日間の行動でした。


研究観測担当の者やそのプロジェクトメンバーは、これまでの努力と各方面からのご支援の大きさをかみしめながら、観測の結果を科学成果としてまとめ公表をしていきます。「スピードが命」プロジェクト関係者が研究発表までの早さがきわめて重要であることをしばしば話す認識です。
09:17 | 投票する | 投票数(17) | 日々のできごと
2019/01/24

S16での最終撤収作業

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1月19日にS16地点に到着後、22日までかけて内陸旅行に用いた車両や装備の撤収作業を実施しました。最後の大作業です。橇列の解体やデポ、燃料ドラムの整理、観測装備の解体・梱包、廃棄物の処理等。車両や橇は、越冬期に備えた処理やデポをします。廃棄物は昭和基地に輸送します。観測器材の大部分は国内に持ち帰ります。


写真1:燃料ドラムの処理。


写真2:115号車からレーダやアンテナを撤去し、国内持ち帰りのために梱包しました。写真に写る単管パイプも、この直後に解体しました。レーダ関連物資のみで約900kg。5立米の体積となりました。


写真3:1/19-1/21の期間に撤収作業をご支援くださった支援隊の4名は、22日の朝に昭和基地にヘリコプターで戻りました。


写真4:雪上車の屋根に設置していた2台のガソリン式発電機をクレーンを使って取り外しました。


写真5:ヘリコプターが離発着する場所に、23日に輸送する物資を集積しました。昭和基地に輸送する物資と、船「しらせ」に輸送する物資、CH型ヘリコプターで3便分輸送します。そのうち、廃棄物は約1トン。物資の後方には、多数の橇をデポしました。

昭和基地および「しらせ」への人員と物資の輸送は、明日1月23日です。内陸ドーム隊としてのチームの行動は間もなく解散です。22日の夕食後の歓談は弾み、23時頃まで食堂車両で皆で過ごしました。

藤田記
09:04 | 投票する | 投票数(17) | 日々のできごと
2019/01/23

日没の訪れと地球の影

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1月の中旬以降、内陸ドーム隊がARP2地点から沿岸に近づくまで、曇天や悪天が続いていました。移動にともなって緯度もだんだん低緯度側にうつります。ドームふじ南方の探査地域では南緯77度付近だったものが、沿岸のS16付近では南緯69度付近。季節としても、夏至がすぎて既に約1カ月経ち、そのうえ、緯度も約8度低緯度側に移動しました。日付けは特定できませんが、いつの間にか日没が訪れるようになっていました。

1月19日の深夜零時頃に、真北方向の地平線に満月が半分顔を出していました。振り返って真南方向をみたら、太陽は地平線の下に隠れていました。日没をはじめて確認。


写真1:地平線上の真北の方角に半分顔を出した満月。日射がまだあたっている上側の空と、地球の影が映った下側の空があることがわかります。


写真2:真南の地平線。この日、太陽は既に隠れていました。


写真3:夜の橇列。これは西側。車列の風下側になります。

南極で越冬すると、天文現象の変化を観察しやすい環境になります。月の動きや、満ち欠けのサイクル、あるいは、星々の動きなど。天文を観察するときに邪魔になるような街の灯りはありません。オーロラの観察とあわせ、天体としての「地球」を実感できる環境です。

地平線に半分顔を出すような月も、越冬隊の方々はきっと何度も観察されることとおもいます。三日月が地平線から昇りはじめるときには、蜃気楼の効果も重なって、地平線からあたかも炎が上に立ち昇るかのように見えます。ほぼ水平に移動しながらゆっくりと昇ってくるので、それが炎ではなく本当に三日月であるのか確認できるまでに何時間も待つことになります。

今回、内陸観測の観測走行の終了時期と、日没の到来時期が重なりました。南極での盛夏は過ぎようとしています。

藤田記
08:58 | 投票する | 投票数(18) | 日々のできごと
2019/01/22

どこまでも続く道

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こんにちは。医療の岡田です。
最後の投稿は詩的な感じでお伝えします。




雪上車で連日移動をしている
前方に見えるのは、どこまでも果てしなく続く雪原


同じ景色のように見えて

時には雲の上を走っているよう
時には海の上を走っているよう


晴れた日は、気持ちよく進むが

一旦天気が崩れると
命の危険を感じるほど、恐ろしい道となる


どこまでも続く道


この景色が変わる時
それは旅のゴール


早く終わりたいと思う自分と

もう少し、あと少しだけ
同じ景色を見ていたいと思う自分がいる


どこまでも続く道

僕はこの景色を
きっと忘れないだろう


13:41 | 投票する | 投票数(24) | いろいろ、何でも
2019/01/22

最終の走行

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1月19日。S16地点まであと50kmの地点から、朝8時に走行を開始しました。
晴天のなか、チームのメンバーは様々な思いを抱いて最終日の50km区間・約6時間の走行をしたとおもいます。


写真1:昨日のヘリオペの日に続いて、朝から晴れ上がりました。(撮影:櫻井)


写真2:凹凸の少ないカタい雪面はこの沿岸地域特有のものです。
走行につれて、これまでよりも傾斜がきつくなり標高が次第に下がっていくことを実感しました。(撮影:櫻井)


写真3:午後1時頃、雪上車の進行方向の地平線に海と氷山がみえてきました。
115号車から前方の車両を撮影。(撮影:藤田)


写真4:先頭を行くピステン車のコックピットからみたゴール、S16地点。(撮影:櫻井)


写真5:S16では4名の撤収作業支援隊員(59次隊赤田さん、60次隊倉持さん、松村さん、田井戸さん)が出迎えてくれました。(撮影:櫻井)

午後2時頃にS16に全車両が到着し、出迎えの4名の方々も含め、皆で握手を交わしました。
11月15日早朝にこの地点を出発してから56日目にここに帰還しました。内陸旅行での数々のタスクを終えて。ここで内陸旅行の装備を完全に解いて、後片付けをします。最後の撤収作業を23日頃までかけておこないます。23日に、内陸隊メンバーの全員がオングル海峡を越えて次の移動先に移動していく予定です。

藤田記
09:00 | 投票する | 投票数(17) | 日々のできごと
2019/01/21

アイスコアのヘリ空輸

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アイスコアのヘリコプター空輸は、1月18日に実現しました。90梱包の冷凍試料を、H128地点(S16から約80km内陸の地点、標高約1300m)に、「しらせ」からCH型ヘリコプターが4度飛来し、朝から午後までかけて全試料を船の冷凍コンテナに輸送しました。曇天と降雪が予報されていたなか、前日の段階ではヘリ輸送の実現に楽観的にはなれませんでしたが、天候が良好であったため輸送は順調にすすみました。気温は-10℃前後になっているため、アイスコアの保存にとっては氷の融点に近い「非常に高温状態」になっています。輸送の途中にどうしても避けることのできないこの沿岸地域での高温状態を如何に短時間で済ませるかという点が重要なのです。もし悪天がきて、数日~1週間程度経過してしまうと、アイスコアの劣化は避けられません。氷の結晶の状態が変わる(再結晶といいます)現象や、ガスの拡散の現象が起こってしまうのです。輸送船「しらせ」の冷凍コンテナの温度設定は-30℃。内陸からここに速やかにアイスコアを移送します。以下は写真特集です。


写真1:冷凍試料は、橇2台にアルミを表面に引いた断熱シートでおおっています。断熱シートのなかには雪を大量に詰めてあり、沿岸の-10℃付近の高温でも冷凍試料の温度が簡単には上昇しないように工夫をしています。冷凍梱包の中には温度記録計を入れてあり、温度履歴を追跡できるようにしています。



写真2:ヘリの到着を待つ間、冷凍試料の近くで待機するメンバー。川村、伊藤、津滝の3名がヘリに搭乗し、冷凍試料に同伴しました。取り扱い等に間違いが無く、確実に冷凍コンテナに収納されるまでを見届けてきます。


写真3:朝8時過ぎに「しらせ」を出発したヘリコプター第一便は、9時頃に到着しました。


写真4:発煙筒を使って、ヘリコプターのパイロットは風向きを視認します。そのうえで、風下から風上に向かって離発着をします。


写真5:ヘリコプターの着陸後、雪上車が冷凍梱包の入った橇を後ろから押して、物資をヘリコプターに接近させます。約30メートル程度まで接近したのち、物資は、人力で曳くさらに小型の橇「ナンセン橇」に載せ替えて、人力でヘリコプターの入り口付近まで運びます。ヘリコプ ターへの搭載作業には、ヘリに搭乗してやってきた「しらせ」乗員約10名が加わります。


写真6:物資と人員を搭載したのち雪煙を上げて離陸するヘリコプター。第一便では、原田夏隊長がH128地点に飛来し、第2便飛来までの間内陸ドーム隊のメンバーと歓談しました。


写真7:ヘリコプターから撮影した、南極氷床と海の境界「氷縁」。片道の飛行時間は約30分です。(撮影:津滝)


写真8:輸送船「しらせ」のヘリコプター甲板に着陸したヘリコプター。ただちに給油作業が行われます。そののち、再度H128地点に向かいます。こうしたサイクルを4セットおこないました。(撮影:津滝)


写真9:しらせの冷凍コンテナ入り口付近で、コンテナへの収納を待つ冷凍梱包。(撮影:津滝)


午後1時過ぎにはすべての輸送が完了し、また、しらせに出向いた3名も、冷凍試料のコンテナへの収納を見届けたのちH128に帰還しました。S16地点に向けて、午後2時に再出発。この日は30km移動し、S16地点まであと50kmの地点に到達しました。翌日は、内陸旅行としての走行の最終日となります。

藤田記
09:24 | 投票する | 投票数(15) | 日々のできごと
2019/01/18

我らスーパードーム人

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こんにちは。医療の岡田です。

今回のドーム旅行で医療担当として一番心配していたことは「高所滞在による影響」でした。以前このブログでも言いましたが、ドームふじ基地は標高3810mと富士山よりも高い場所にあるため、空気中の酸素が平地の2/3程度しかありません。我々はそこに1か月近く滞在するため、高所による体への負担は免れないと考えていました。

実際、ドーム基地やドーム基地から50㎞離れたベースキャンプ滞在中は低酸素による息苦しさに全員が悩まされました。

作業中はもちろんのこと、日常の会話やただ食事を摂るときでさえ息苦しく、常に呼吸を整えることを意識している状況でした。睡眠中は酸素濃度がさらに下がるため、何度も目が覚めました。

その後少しずつ順応してきたものの、息苦しさだけは最後まで改善しませんでした。

しかしながら復路に入り、変化が…

徐々に高度が下がっていき、中継地点を越えたあたりから
「空気が濃い!」と、誰もが口ぐちに言いはじめました。

その後、

日常動作で息切れを感じなくなり、
食欲はアップし、
夜はよく眠れるようになり、

体の隅々まで酸素がいきわたっている感覚で、
給油作業も楽々。

 休み休みだった歩行も、
小走りしても全く平気に。

我々はマラソン選手や水泳選手などが試合前に高地(通常は2000m位の場所)でトレーニングを行い持久力を上げるのと同じく、気がつかないうちに高地トレーニングを行っていた状態になっていたのです。しかも約4000mの高地で1か月間という、かなりハードな状況で。

我々の体はドラゴンボールの「スーパーサイヤ人」ならぬ、「スーパードーム人」になっていたのです。

最終地点のS16まであとわずか。この「スーパードーム人」のパワーを使って、最後まで気を抜くことなく、全員で笑顔のゴールを目指していきたいと思います。

岡田記
16:26 | 投票する | 投票数(17) | いろいろ、何でも
2019/01/18

帰路の白夜の夜景 その2

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写真は、1/16深夜零時の雪上車隊の光景です。これがこの日の異例のキャンプ体制です。ルート上に、進行方向である北に向けて就寝体制にはいりました。通常の、「卓越風に配慮した車両や橇の配置、それに、ルートの風下数百メートルの位置でのキャンプ」とは異なる状況です。


写真:1月16日のルート上のキャンプ体制の風景。深夜零時頃。

 1月9日にノルウェーの方々をARP2から送り出しました。翌日以降の状況です。悪天とホワイトアウトで、走行してもGPSのナビゲーションを用いたナビ走行でした。視界に頼れない時の走法です。走行区間は、全体を通じ最もサスツルギが多い「難所」区間であるMD246~みずほ基地間です。

10日:ホワイトアウトの悪天のため、わずか28kmの移動。
11日:ホワイトアウトの悪条件だが、60kmの移動。
12日:ブリザード停滞。移動は無し。
13日:悪天とホワイトアウトで、わずか30kmの移動。
14日:ホワイトアウトと吹雪のなか50kmの移動。
この日のキャンプインのときには、視界のないなかGPSナビ走法ののち、夕刻にはわずか20メートル先の車両や橇の視認も困難ななか何とかキャンプ体制にはいりました。
15日:数日後に予定されているアイスコアの「しらせ」へのヘリコプター空輸日程に間に合わせるため、朝7:00から深夜23:00の走行を実施。110kmの移動。この日みずほ基地を通過しました。みずほ基地の気象タワーも、吹雪のなかにかすかに見えた程度。
16日:夕刻19:00に、ヘリコプター空輸予定地点まであと60kmの地点
(H240)に到着。昭和基地のと定時交信の結果次第で、もし17日にヘリコプター空輸が行われるのであれば、再度の深夜走行をする準備をして、写真のように夕食と定時交信の時間にルート上に停車しました。定時交信の結果、17日のヘリ空輸の実現可能性は無しと判明。深夜走行は中止し、停車状態のまま車両も橇も動かさずキャンプインとしました。

写真では一時的に雲がうすれています。翌17日は、60kmの移動を終え、H128地点に到着し、ヘリ空輸の準備にはいりました。天気は再度悪化し、寒気がはいりこみ、降雪が続いています。この週末にはアイスコアのヘリ空輸を終え、雪上車旅行のゴールであるS16地点までラストランをすすめたいところ。天気次第です。
ピステン車はラストラン体制で、車両の両側に既に国旗と社旗を掲げています。

藤田記
14:20 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2019/01/18

ノルウェー極地研究所同行者が空路帰途へ

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1月9日に、当初の予定を一日早めてノルウェー隊員2名がARP2地点から空路帰途につきました。
その前日(8日)に、雪上車に設置していた米国のレーダは、撤収を既に完了し、また、3台の雪上車を用いた800m長の滑走路整備を済ませていました。
出発当日は、朝は休養をとれるようにして食事はブランチ、そしてこの日は比較的のんびりと時間が経過しました。滑走路作成の最後の仕上げで、雪上車が動きました。この日はカタバ風が比較的強く吹いていました。風が吹くと、飛行機は風下から進入し比較的ゆっくりとした動きで離着陸をします。

 夕刻17:00、ほぼ予定通りにBASのツインオッター機は到着し、約一時間半かけて、物資搭載や燃料補給を実施し、最後に2名の乗客を乗せて離陸しました。日本側の隊員は、これらの支援をおこなったあと、離陸を見送りました。



写真1:飛来し着陸するツインオッター機(撮影:岡田)

 ノルウェー極地研究所の2名の方々は、11/26に内陸にツインオッター機で飛来して以来、45日間この内陸ドーム隊で行動を共にしました。Briceさんは、主に米国レーダのオペレータ役として積極的な仕事をされました。移動経路の雪尺計測にも参加しました。設営担当の金子さんや、レーダ観測担当の津滝さんと3人のチームで、ドームふじ近傍の1240kmにわたるレーダ計測走行に参加されました。金子さんが運転、Briceさんと津滝さんがレーダーのオペレーターでした。JCさんは雪研究の専門家として、複数の先端計測器材を持参され、アルベド計測、雪の物理特性の計測などを実施されました。機器はそれぞれ欧州の雪研究の専門家等が開発してきた先端の機器です。ドームふじ近傍の雪を、これらの機器を用いてどう評価されるか、結果がでてくるこれからが楽しみです。 
 日本の南極地域観測隊の、彼等にとっては「異文化」のなかで、言語や食事や習慣や日本隊的チーム集団行動への対応をはじめご苦労は多々あったかとおもいます。現場を発つにあたり、印象に残ったことなどをいろいろお話されていました。ドームふじ調査の機会に、是非ということでご参加を選択したことなどを話されていました。このブログにもこれまで書いてきましたが、天候の影響から常に押し気味の日程のなかで、日本の隊員とともに観測に大きな努力をしてきました。休みもほとんどなく、最後の1週間はフライト日程に間に合わせるために帰路をひた走りました。ノルウェーに帰還し、今回の参加経験をどう総括されていくでしょうか。

 合計12名の内陸ドーム隊のうち、まず2名の同行者の方々がこれで内陸ドーム隊から離れます。私達日本人隊員も、沿岸に到着後、それぞれの次の行き先(昭和基地に越冬滞在される方々、しらせに乗船して日本に向かう方々、再度南極航空網を経由して帰国の方々)に解散していくことになります。日本出発前から開始し、こうしてつづけている本内陸ドーム隊ブログも、その「皆が大陸から離れオングル海峡を渡る頃」を目途に、毎日の投稿をほぼ終了する区切りとする予定です。移動等の経過を伝える散発的な記事は今後も追加していく予定です。

 9日に「ARP2」地点を発ったツインオッター機は、当初はベルギーのプリンセスエリザベス基地を経てその日の深夜にノルウェーのトロル基地に向かう計画でした。しかし、トロル基地方面の天候が飛行に適さなかったため、プリンセスエリザベス基地に1泊し、翌10日にトロル基地に着きました。ツインオッター機は続けて、英国隊の活動地域であるハレー基地方面に帰還しました。日本隊の居る内陸旅行ルート付近は、翌10日以降悪天となり、ホワイトアウト・降雪・強風に順次見舞われました。本原稿を執筆している16日まで、そうした状態が連日続きました。雪上車走行が全くできない日すらありました。ノルウェーの方々2名の飛行機によるピックアップをもし9日の機会を逃していれば、今頃まだ彼等は内陸隊からの帰途につくことができずにいたことになります。こうした天候状況がくることを、予め航空機を運航する方々が先読みした結果の迅速な帰還でした。

 私は、観測隊チームも、観測そのものも、世の中の諸事と同様に「一期一会」の世界であると思っています。限られた観測展開期間に、準備を周到にしたうえで臨み、最善を尽くします。今回の内陸チームも、ノルウェーからの同行者の方々も、まさにそうでした。観測隊に参加される「海千山千」の多分野の経験豊富な方々にめぐり会えるのは観測隊参加の間違い無く醍醐味です。ここに来なければこれだけ深く知りつきあうことのなかった方々。それぞれの道のプロ。同じ釜の飯を長期共にします。特に越冬隊でのつきあいは濃密になります。私が最初に大学院生として観測隊に越冬参加したときには、若い眼からみて「自分も人としてああなりたい。」と思わせてくれた諸先輩がおられました。

以下は彼等の出発当日の写真特集になります。



写真2:ツインオッター機のパイロットが、自らの積荷である補給燃料を機内から機外に落としました。(撮影:川村)


写真3:ノルウェー同行者の帰国物資の機内搭載が順次始まりました。(撮影:川村)


写真4:米国のアラバマ大学とカンザス大学に送り返すレーダー器材を搭載しました。(撮影:栗田)



写真5:飛行機の整備士(左)とパイロット(右)。どちらも女性の方です。(撮影:栗田)


写真6:左から、JC、金子、Brice(撮影:栗田)


写真7:離陸の直前に、抱擁の別れ。(撮影:川村)


写真8:いよいよ搭乗。(撮影:岡田)



写真9:滑走路から飛び立つツインオッター機。(撮影:岡田)


写真10:滑走路から飛び立つツインオッター機に、ピステン上から国旗を振る伊藤。(撮影:岡田)

藤田記
12:05 | 投票する | 投票数(16) | 日々のできごと
2019/01/17

ラッシングロープ

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写真は、私達が物資輸送に用いている通称「2トン橇」です。
観測隊の早い時期にノウハウとして確立し、これまで用いられてきました。物資を搭載した後、荷物を押さえるために、現在は「ラッシングベルト」と呼ばれる荷締めベルトが多く用いられています、写真に写っている橙色のベルトです。両端のフックを橇に引っかけ、あとはベルト長を調整してバックルを締めるだけなので大ざっぱで扱いは簡単です。古い時代の観測隊では、こうしたベルトではなく、荷締めには直径15mm程度、長さ10-20m程度のロープを用いていました。これを「ラッシングロープ」と呼んでいます。橇の両側にあるフックを用いて、「南京結び」というロープの結び方をします。写真に写っている橙色の細いロープは、かつてのラッ
シングロープとは異なりますが、この「南京結び」をしています。ラッシングベルトが多用されるようになり、今は「ラッシングロープ」は使用されなくなりました。近年はまず見ません。基地在庫の有無を尋ねてもどうも無いようです。ドームふじ基地には数本の在庫があるのを見ました。
 廃れた昔のスキル?。「でも」、です。ロープのいいところは、1本のロープで、写真のようにキメ細かに橇の多数箇所の荷物を押さえることができます。それに安価です。15メートル長程度のロープが一本あれば、現状でのラッシングベルト3~5本程度以上で押さえている荷物を押さえることができます。ランシングロープ全盛の時代の隊員は「南京結び」は基本スキルとして身につけていて、橇の両側にそれぞれ立ち、自分の側を結んでは橇の反対側に居る相手に投げ渡し、両サイドからテンポ良くどんどん荷を絞めていきました。ロープの利用は、ラッ
シングベルトの価格の高額さや、結果として観測隊の現場での数の不足にも悩まされる度合いは減るとおもいます。今回の現場でも不足気味でした。橇一台の荷を押さえるのに、5本程度のベルトをしばしば使っています。これでおそらく数万円の出費。1本のロープがあれば単純に皆済んでしまうのに。荷締め道具やスキルの多様性や選択肢は、廃れさせず今後に継承すべきものであるとおもいます。
「ラッシングベルト」登場時には、「便利だが大ざっぱな道具がきたもの」とおもっていました。いつの間にか今はそれがロープを駆逐してしまいました。写真のように、ベルトが不足していてもロープがあれば不足部分を「ささっ」と南京で締め上げることができます。


写真:2トン橇に積んだ荷物を押さえているラッシングベルトとラッシングロープ。

藤田記
18:20 | 投票する | 投票数(13) | 解説・説明
2019/01/17

米国レーダを用いた観測が完了!

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1月は冒頭からノルウェー同行者のピックアップ日程をにらみ沿岸方向に向けて移動を続けていました。1月7日夕刻を目標として航空機の離発着の場となる「ARP2」地点に向かいました。7日になって、航空機の運航を管理するノルウェートロル基地から、「天候を鑑み、9日にピックアップを早められないか?」との打診がはいりました。10日以降なると、航空機の運航に適さない天候状況が予報されていました。このタイミングを逃してしまうと、ノルウェー側の都合で2名の同行者の帰国日程に大きな影響がでるリスクがありました。米国のレーダはノルウェーの担当で、この内陸からまずはトロル基地、南ア、そして米国まで輸送することになっています。米国レーダを雪上車から撤収したり梱包をつくったりという手間を考えたときに時間的にはギリギリでした。設営的には、滑走路整備も必要です。しかし「この日程打診を受け入れない」という選択肢はありませんでした。結果的には、ARP2に内陸隊が到着したのは1月8日の午前9時過ぎとなりました。米国レーダを用いた観測は、これをもって完全終了となりました。あとは、いくつかの点検作業ののちに早急に解体・梱包。



写真1:1月8日の早朝に。大型のアンテナを積んだ雪上車が居る光景もこの日で見納めです。設置後約4週間経過し、見慣れた風景になっていました。



写真2:ARP2地点到着後に、記念写真撮影のために2台のレーダー観測用車両を隣あわせに置きました。



写真3:レーダー観測用車両2台を背景に、記念撮影。59次越冬隊の方々が、出発前に旗に「祈安全、祈目標達成」と筆と墨で書いてくれています。それらを皆の力のお陰で果たすことができました。深く感謝です。米国製レーダ用アンテナ(アンテナは日本製です!)の最後の姿。



 実は、レーダー観測では機器の調子を確認する「校正」作業も重要な仕事です。あらかじめレーダー技術関係者と連絡をとり、今現場に居るこの段階で最低限計測をしておかなければいけないことをリスト化していました。たとえば、(1) レーダーの送信信号の波形を記録しておく、(2)標準反射板をレーダーの下に置いて、そこからの反射波形を記録する、(3)アンテナ類の相対的な位置関係を記録する、等等です。帰国してからも行うのですが、機器の現場での状態を記録しておくことがとても重要なのです。チームで連携してこれらの作業をおこないました。



写真4:マイクロ波レーダーのアンテナ直下に金属導体(銅メッシュとアルミ板)を置いた反射校正計測の風景。


解体作業は、8~9日にかけて約1.5日を見込んでいました。アンテナを地上に降ろすには、再度クレーンが必要として作業手順を組みました。まずはアンテナを保持し変形や落下を防止していたロープ類の撤去作業が先決でした。撤去作業と設置作業の大きな違いは、設置作業には常に設置位置の厳密な正確さが必要であったのに対し、撤去作業はとにかく解体し順次地上に降ろすことです。結果として、解体は思いの外早くすすんでいきました。比較的小規模の部品を取り外して順次下ろせたので、クレーン車使用も必要がなくなり、すべて手作業ですすめていきました。


写真5: 解体中の米国レーダー用アンテナ。


写真6: まず左翼を解体し、その後右翼の解体にかかりました。



写真7: アンテナをすべて撤去。そして写真にみえる単管パイプもこの翌日撤去しました。雪上車の上に毛布にくるんだ発電機が2台あります。これは沿岸に移動した後に撤去予定です。


上のような経過を経て、111号車に搭載してきた米国レーダ関連機器の撤去をすすめました。雪上車内では、津滝・Briceの2名が、レーダー本体を棚から撤去し、順次収納ケースに詰めていきました。8日の夕刻には作業はだいたい完了していました。撤収作業が前倒しで完了し、うれしい誤算でした。あとは翌日17:00(現地時間)に予定された航空機到着日程にあわせ、物資の整理をすすめていきました。データバックアップ作業の仕上げや、進捗状況を日本・ノルウェー・米国の関係者にリアルタイムで伝え続けてきた「進捗レポート」のほぼ最終号を執筆し、これらの関係者に対しても諸作業の完了とあらためての感謝の言葉を伝えました。
現場でレーダーの直接オペレートを担った2名の隊員(津滝・Brice)は観測全般、特にオペレートに大変な努力を払ってきました。また、チーム全体の献身的なご支援の大努力なしにはこの完了までの状況はありませんでした。ここまで、着実にすすんできました。最先端の精巧・高性能の科学機器や道具が如何に優れているかを英語で表現するとき、しばしば「state-of-the-art」という言い方をします。文字通り、「芸術の領域に達した」という意味です。今回、国際共同研究を通じて、この「state-of-the-art」のレーダーを活用する機会に恵まれました。
こうしたレーダーを、長期に、巨大な資金と人的投資をおこなって開発してきた米国側の努力なしには、この観測はありませんでした。まさにノウハウと技術の蓄積です。最先端の氷床レーダー観測機器を脈々と開発し現場に供給し続ける米国側の長期の努力には大変に頭が下がります。大きな敬意。今回の国際共同観測の諸経過が、こうした方々との今後の太い共同研究体制の大きな礎になればいいと心から願っています。JAREや国立極地研究所とこれらの方々との連携で探り出せる「南極大陸氷床に関する知識」は甚大と確信しています。

今は、まずは、全ての機器を、そのホーム(大学や研究所)に無事に送り戻し、また、今回取得したデータの情報を関係者間で十分に共有し、それらを再度の出発点として、今度は今終わった「観測フェーズ」から「研究フェーズ」にはいります。現場に居た私達も疲労をとり一端は頭を冷却して。春には関係者で集まり、この研究フェーズを確固とした体制ですすめていくべきことなどをこの頃のメールで打ち合わせました。無機的な「生データ」を起こし、科学的に展開し、研究発表や数多くの論文としてお示ししていく、大きな~国際共同の仕事が待ち受けています。期待と畏れと覚悟。

藤田記
09:05 | 投票する | 投票数(13) | 日々のできごと
2019/01/16

走行する探査車の内側の風景 その2

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米国のレーダを用いた観測は、年を越して1月6日までの帰路ルート沿いでも継続しました。
機器を搭載したSM100型車両「111号車」車内の風景を紹介します。主に関連研究者向けのカタい記事になりますがご容赦を。

機器の設置は基本的に棚に収納することになります。振動や揺れの大きい車内に設置する電子機器なので、防振台を設置し、その上に装置を置いています。また、車内の通路空間に配線がはみ出ると、通行者が引っかかって破損するリスクがでるので、機器の一部や配線が決して通路空間にはみ出ることの無いように設置をしています。



写真:米国製のレーダを設置した観測装置棚(雪上車内左側)。
央上部はアラバマ大学によるマイクロ波レーダ、中央下段はカンザス大学による深部探査用レーダ。右にみえるのが、データ保存用のサーバーとオペレート用の端末。
配線の近くには警告テープを貼っています。機器は皆防振台のうえに載せています。

レーダを操作するオペレーターは、Linuxの端末を操作し、米国のリモートセンシング研究室が開発した制御・操作画面に従ってレーダを制御します。



写真:カンザス大学による深部探査用レーダのオペレート用の端末

車内では、運転者1名、レーダ操作者が2名搭乗します。レーダが正常に動作しているかを常に監視しています。



写真:車内を後方から眺めた写真。写真右下のところに、今回のレーダ観測に用いた電源装置2000Wインバーターを置いています。今回の観測はこの電源装置なしには実現しませんでした。このインバーターとあわせて別途用意した5500Wガソリンエンジンの発電機は、-30℃の温度環境下では運転はほぼ不可能でした。雪上車のバッテリーの直流電源を交流100Vに変換することで電源を確保できました。バックアップ手段を確保しておくことの重要性をあらためて強く認識することとなった出来事でした。



写真:助手席側から運転席をみました。このときの運転者は津滝さん。
この車両111号車は、こうした車内環境で、ドームふじ近傍で約1240km、それに帰路のルート沿い約600km、氷床内部環境や底面付近の情報を大量に取得しました。

もう一台のレーダ探査車115号車のレーダー棚もあわせて紹介します。中段と上段に2種類のレーダを搭載しています。防振台を活用する点や、ケーブル類を通路空間にはみ出させない対応は両方の車両で共通です。


写真:SM100型車両115号車の車内に設置した日本のレーダ。上段は、Pバンドマイクロ波レーダで、比較的表層の層構造を観測します。
中段は、ドームふじで活躍した深層部探査用レーダ。

今回、2台の雪上車に、合計4台の氷床探査用レーダ(通称、アイスレーダ)を搭載し活用してきました。観測の質・量、器材の質・量共に、かつて無い規模となります。国際的にも自信をもって観測内容や結果をこれから示していくことができます。今回のレーダ観測は、これまで蓄積してきたレーダ設置・運用のノウハウがとても活きた機会でした。そして、SM100型車を柔軟に活用できたからこそ実現できたものであったとおもっています。

藤田記
17:14 | 投票する | 投票数(10) | 解説・説明
2019/01/16

帰路の白夜の夜景

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少し以前の写真になりますが、元旦の夜23時頃のドームふじ基地の写真です。
雪上車や橇は沿岸に向かうため北向きに置いています。
白夜の太陽が「ハロー」とともに南側にでています。
橇列の後方には、天文観測のために過去に設置された櫓(やぐら)のような設備が見えます。
今日は1月13日。この元旦の写真のあと、約2週間沿岸に向けた走行を続けています。
車の向く方向はいまも北向きのまま変わりません。
約600kmの走行を延々と続け、残りはあと約450kmとなりました。
沿岸到着後の作業手順等を本隊と通信で打ち合わせをしつつ、徐々に沿岸に近づいています。

藤田記
09:51 | 投票する | 投票数(13) | 写真
2019/01/15

ドーム隊員の休日

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連続投稿します。大気観測担当の栗田です。今日はドーム隊員の休日についてお話しします。その前に、「前回の投稿で“休日はない“と書いてあったのに矛盾している」と思われる読者も多いと思いますので、少し補足説明します。前回のべた休日とは、 “事前に決まっている休日がない”という意味です。

ドーム旅行隊には、隊員が主導して行う観測研究に加えて、国内にいる研究者から委託された試料採取や機器メンテナンスなど数多くのミッションが課せられています。筆者(栗田)が担当している仕事(観測研究)も細かい仕事を含めると10項目あります。これらの仕事を限られた期間内に実施しなければなりませんので、必然的に休日は取りづらくなります。今年のお正月も、午前中は休養となりましたが、午後からは全員で観測機器のメンテナンスや出発前準備を行い、翌日からは通常営業となりました。

ではいつ休日となるかというと、悪天等で移動できず停滞となった場合です。数週間かけて沿岸域から内陸域まで移動しますので、晴天だけでなく悪天に遭遇することもあります。今回のドーム旅行では往路と復路あわせて5日間の停滞休日がありました。ただ、この休日ですが、決まるのが当日の早朝であり、外は地吹雪状態で視程も数百メートル以下という状況です。したがって、休日といっても、雪上車内で1日待機となります(雪上車間はライフロープでつながっていますので移動できます)。


ライフロープ

この待機の間、日頃の疲れをとるために睡眠にあてる隊員、読書する隊員、パソコンで映画を鑑賞する隊員など、皆さん自分の時間を満喫しています。個人的な印象では映画鑑賞されている隊員が多い気がします。筆者は、往路では観測データ解析プログラムの作成などに活用しましたが、復路では依頼された仕事も一段落しましたので、本ブログを書く時間に充てさせてもらっています。復路の旅も残りわずかなので停滞せずに早くゴールにたどり着きたいのですが、もし今後も停滞休日がありましたらまた投稿します!


50m先にあるソリ列がはっきり見える


ソリ列が霞んでしか見えない

栗田記
12:13 | 投票する | 投票数(16) | 解説・説明
2019/01/15

ドーム隊員の一日

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ドーム隊が出発して2ヶ月以上経過しましたが、はじめての投稿になります。大気観測担当の栗田です。これまでブログ執筆を試みながら、途中で断念してきました。今日はその理由(言い訳)をお話したいと思います。

本ブログの読者の皆様は、我々が南極大陸の内陸域にある調査地を目指して1000km以上の旅をし、現在帰路にあることはすでにご存じだと思います。今日は旅の途中のとある1日のスケジュールを紹介します。

【移動中】
 06:00 起床
 06:30 朝食(各雪上車で準備)
         慣らし運転後、ソリの連結作業を行う
 07:20 キャンプ地出発
           移動しながら毎10km毎に化学分析用の積雪サンプリング。
     雪上車の運転を2名1組で行い、交代で運転する。
     昼食は運転しないときに交互に取る。
 17:30 キャンプ地到着
     ソリを切り離した後、給油作業を行う。
 18:00 駐車場所に停車
     雪落とし作業
 18:30 サンプル整理
     採取した積雪サンプルを輸送用の段ボールに移し替える
 19:00 夕食(全員一緒に食堂車で食べる)
 20:00 定時交信
 20:30 就寝準備(着替え、洗顔、洗濯など)
 21:00 本日行った観測データ整理と明日の観測準備
 22:30 本日の行動を記録
 23:00 就寝


写真1:ソリ連結し出発準備完了


写真2:積雪サンプリング

出発時間やキャンプ地への到着時間は日によって変化しますが、移動中は概ねこのような生活を送っています。また、12月中にはベースキャンプ(BC)に3週間滞在しましたが、そのときのスケジュールは以下になります。

【BC滞在中】
 06:30 起床
 07:00 朝食(食堂車で全員で食事)
      気象観測、降雪があった場合は積雪サンプル採取
 08:00 観測支援(浅層コア掘削作業等)
 12:00 昼食(食堂車で全員で食事)
 13:00 観測支援(浅層コア掘削作業等)
 14:20 ラジオゾンデ放球(12 UTC)作業準備
 15:00 ラジオゾンデ放球(12 UTC)
     ラジオゾンデからの気象データ受信
 17:00 ラジオゾンデ観測終了
 17:00 観測支援(浅層コア掘削作業等)
 19:00 夕食(全員一緒に食堂車で食べる)
 20:00 定時交信
 20:20 ラジオゾンデ放球(18 UTC)作業準備
 21:00 ラジオゾンデ放球(18 UTC)
 23:00 ラジオゾンデ観測終了
       就寝準備(着替え、洗顔、洗濯など)
 24:00 就寝


写真3:ゾンデ放球する伊藤隊員

睡眠時間を削ればブログを書くヒマがあっただろうというお叱りの声があるかもしれませんが、ドーム旅行隊には休日がありません。それゆえ「継続」が重要と考え、規則正しい生活を送ることを徹底してきました。観測終了まで残りわずかとなりましたが、時間をみつけてまた投稿したいと思います。

栗田記
09:05 | 投票する | 投票数(17) | 解説・説明
2019/01/11

浅層掘削完了!(12/29の写真から)

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ドーム旅行チームは、ドームふじ基地から南へ約50kmにあるベースキャンプにおいて、12月29日に142mのアイスコア浅層掘削を完了しました。
掘削した資料は日本に持ち帰り、今後分析を行なっていきます。



写真、前列左から、JC、金子、岡田、藤田。後列左から、津滝、Brice、高村、山田、栗田、伊藤、川村、櫻井。
私達の今回の内陸ドーム旅行の目的達成の記念写真のひとつです。

藤田記
10:02 | 投票する | 投票数(22) | 写真
2019/01/11

ドーム隊あるある

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読者のみなさん、こんにちは。岡田(医療)からの投稿です。

ドーム旅行隊も徐々に終盤戦に差し掛かっていますが、今回はこの時期に限定した「ドーム隊あるある」についてお話しします。

①景色にあまり感動しなくなる
南極入りした当初は見るもの全てに感動していたが、内陸のあまりにも変化のない景色(360度見渡す限りの雪原)に心が動かなくなっている。

②写真をあまり撮らなくなる
①と同じ理由で、当初は毎日写真を撮りまくっていたものが、いつどこで撮ってもほぼ同じ景色なので、撮影する機会が激減。

③ぼーっとする時間が多くなる
メンバー同士一緒にいても、会話している時間よりぼーっとしている(瞑想している?)時間の方が多い。一点を見つめて動かない隊員もいる。

④体の汚れがあまり気にならない
常に体は汚れている状態なので、気にならなくなっている。着ている服もほぼ一緒。体は臭うが、あえて嗅がないようにしている。中には体の臭さを自慢する隊員もいる。

⑤動きはゆっくりだが、無駄がない
高所(空気が薄い場所)に滞在していたせいで、常に半分くらいの速さでしか動かない癖がついている。しかしながら、ゆっくりとした動きではあるが、全く無駄がない(最小限の力で最大限の働きをする技を身につけている)。

⑥甘いものが無性に食べたくなる
持ち込んだチョコレートなどの甘いお菓子はすでに品切れ状態。そのため、食材である「あずき」を缶ごと食べたり、チョコレートムースをそのまま食べたりしている隊員もいる。

⑦寒さにやたら強くなる
-20℃くらいでは「今日は暑いなあ」と口ぐちに言う。

⑧計算ができない
寒さ?疲れ?寝不足?からか、脳の回転が鈍り、足し算や引き算に時間がかかる。

⑨下ネタが増える
ダイレクトな下ネタが会話の中に連発する。

⑩涙もろくなる
恋愛映画やアニメを観ると、すぐに泣いてしまう。特に「宇宙よりも遠い場所(通称:よりもい)」に弱い。

⑪自分の存在を忘れられていないか気になる
昭和基地と定時交信を行うたびに「きっと我々ドーム隊のことは忘れられている」「名前なんて誰も覚えていない」と愚痴をこぼす。

⑫自分の人生について考えてしまう
これは僕の個人的な話であるが、連日長い時間雪上車を運転していると、「僕はなぜここにいるのか」とか「これからどう生きていくべきなのか」など、自分の人生について深く考えてしまう。

以上、僕が感じている「ドーム隊あるある」をお伝えしました。いかがだったでしょうか? もちろん、きれい好きな隊員や下ネタなどいっさい言わない隊員もいますので、ご了承のほど。

岡田記
09:18 | 投票する | 投票数(24) | いろいろ、何でも
2019/01/10

えいご

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皆様こんにちは。まだシャワーを浴びていない3名中の1人設営金子です。
ここにきて初投稿です。

昨年の海外出張で、自分の英語力の無さを痛感、教材を購入しこのドーム旅行中に英語力を高める事を目標の1つとしてやってきました。
ドーム隊の中には、英語ができる隊員がほとんどで、今年はノルウェー隊のJC Gallet(以下JC)Brice Van Liefferinge(以下Brice)の2名が同行しているため、英語力を高めるには最高の場であります。

ドームに向け出発してから、教材を片手にケープタウンから同室だった、設営の桜井さんから雪上車の車内で英会話のレッスンがはじまりました。


 

教室 笑


昨年11/26にJCとBriceが合流、Briceとは日本で面識があった為、覚えたての英語でしゃべりかけてみました。

金子 「It’s been to long mate」(久しぶり)陽気な日本人の振りをして笑
金子 「How was your fliht?」(フライトどうだった?)
Brice 「△□*&%$△」
・・・
金子「OK」苦笑いで・・・

何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。。。

それからも何度かJC、Briceとコミュニケーションをとろうとしてみるが、何を言っているのかわからなく、近くの通訳に頼ってしまい、伝えたい事があっても、知っている単語を並べて言うだけで、文にできません。。。

そんなこんなで月日が流れ、ベースキャンプ地を離れ、帰路に着く日がやってきました。
ベースキャンプを離れる当日に、JCから「帰路は同乗させてほしい」と言ってきました。(もちろん通訳してもらいました)
断る理由も無いので、チャンスと思い快く受け入れ、今日までの6日間の日中は、英語の話せない日本人と外人の2人きり。。。
幸い?移動中の車内はエンジンの爆音が響いている為、声を張らないと会話はできないので無言。休憩中の車内ではぎこちない会話が繰り広げられています。
知っている単語が聞き取れれば、なんとなく言っている事が理解できるのですが、知っている単語がわからなさ過ぎでほとんど理解できず。。。伝えたい事も単語が出てこず伝わらない。。。

あと5日でJCとBriceともお別れだけど、まだ帰国まで2か月半あるのであきらめず英語力を高めて帰国したいと思います。


金子記
17:22 | 投票する | 投票数(15) | いろいろ、何でも
2019/01/10

今、一番欲しているものは?

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皆さんこんにちは! 医療の岡田です。
現在、我々ドーム隊は連日帰路を突き進んでいます。

そんな中、先日夕食後のミーティングに、僕からメンバー全員にアンケートをとりました。

お題は「今、一番欲しているものは何ですか?」

選択肢は下記の通り(一人一つだけ選択、挙手制)。

①       お金
②       買いたいものがある
③       食べたいものがある
④       とにかく眠りたい
⑤       お風呂に入りたい
⑥       家族や友人など、会いたい人がいる
⑦       性的欲求

一見、ふざけた内容のように思われるかもしれませんが、過酷なドーム旅行の中で、今隊員が何を一番に考えているのか、何に困っているのか、何を望んでいるのかなど知りたいと思い、こんな内容にしました。



で、圧倒的に多く手が挙がったのは…

④の「とにかく眠りたい」でした。

連日休みなく、早朝からずっと動きまわり、睡眠時間があまりとれない状況で、さらに雪上車や機械モジュール内で寝る事の不自由さもあり、多くの隊員が「ゆっくり眠りたい」という意見でした。


人間は極限状態になると、生きていくために必要な事へ関心が向くようになると言われています。睡眠はその最たるもので、厳しい環境下にあるドーム旅行隊でこのような意見が多かったのは頷ける結果でした。


ちなみに番外編として
「早く帰りたい」
はどうかと尋ねてみたところ、全員手が挙がりました。

ドーム旅行を早く、無事に終えたい思いは全員同じでした。



えっ

僕は何に手を挙げたかって?

④以外に手を挙げたということだけお答えしておきますが、あとはご想像におまかせします。


長かったドーム旅行も残りあとわずかとなってきました。いろいろストレスは抱えつつも、任務をしっかり全うするため、全員で頑張っています。

岡田記
09:05 | 投票する | 投票数(15) | いろいろ、何でも
2019/01/09

ベースキャンプ撤収作業、そして帰路に向けて

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12/29までにベースキャンプでの大部分の観測作業を終えて、ドームふじ基地への移動目標日を大晦日12/31に定めました。
12月30日はチーム全体でベースキャンプの撤収作業にかかりました。
アイスコア掘削場の撤収、就寝の場となっていたテント村の撤収、燃料の整理、車両整備などなど。
大晦日12/31の昼頃までこれを続けました。幸い、作業中は好天に恵まれ、風もごく弱い状況でした。以下、写真特集でいきます。


写真1:装備とアイスコア掘削場の整備風景


写真2:車両のグリースアップをする金子さん(設営・車両担当)、それを後方で支援する栗田さん(気象・大気観測担当)


写真3:アイスコア処理場となっていたテント


写真4:車両整備道具を持ってキャンプ地を移動する金子さん。


写真5:燃料ドラムの整理。クレーンの操作は伊藤さん(設営担当)。ドラム缶の近傍に居るのが櫻井さん(設営担当)。


 写真6:ゾンデ観測は、栗田さんと山田さんらが滞在期間中おこなってきました。この日の最終放球をおこなったのは川村さんでした。撮影は津滝さん。


写真7:車両の底板付近のメンテナンスをする金子さん。

12月10日からこのキャンプをかまえて仕事をしてきましたので、撤収もそれなりに大きな作業です。
とても忙しいときは往々にして写真を残す余裕がありません。テント村の撤収風景など、写真がありませんでした。

チームはその後、大晦日の午後、ちょうど日本では紅白歌合戦がおこなわれている時間帯に約50キロメートル移動し、夕刻おそくドームふじ基地に到着。
基地横でキャンプしました。
元旦の午前のみ休息時間。

ブランチでおせち料理を楽しみました。元旦の午後にドームふじで一部の物資整
理をおこなったあと、翌1月2日朝、大陸沿岸部に向けた移動を開始しました。ノ
ルウェー極地研究所の2名の同行者を迎えに来るフライトに間に合わせるために。
 
藤田記
09:10 | 投票する | 投票数(15) | 日々のできごと
2019/01/08

アイスコア浅層掘削の完了

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筆者(藤田)は、前日12月28日までに主担のレーダ探査走行を終えていたので、翌29日は川村さんを主担当とするアイスコアの浅層掘削チームに参加しました。1月10日前後に、ここから約550km離れた略称でARP2と呼ぶ航空拠点からノルウェー極地研究所からの同行者を、彼等を迎えにくるツインオッター機に間に合わせて連れて行かなければならない、大きな時間的な制約があります。逆算して、1月7日にはその航空拠点に到着し、滑走路整備やレーダ機器の取り外し・収納を実施。さらに逆算して、遅くても1月2日にドームふじ基地を出発し長時間の雪上車隊の走行をしなければ、それに間に合わすことができなくなります。それをにらんで、当地でのレーダ走行探査も、アイスコアの浅層も、12月29日の完了が条件となりました。
 アイスコア浅層掘削については、既に岡田ドクターによる記事「南極で三線!?」で写真を中心とした紹介もありますので、そちらも再度ご覧下さいませ。筆者が体験したのは、あくまで最終日の一日の様子です。この地域で100数十メートル深までのアイスコアを掘削すると、過去3000年~4000年程度の雪の堆積を得ることができます。推定の年間の堆積量は、氷換算で約25mm程度です。こうしたわずかづつ積もる雪がだんだん焼結(粒子が分子拡散という現象によって融合し、瀬戸物のように固まっていく)するプロセスが、表層の約100メートルの区間で起こります。約100メートル深までは、雪のなかの通気があるのですが、約100メートルを超えると、氷の量が空隙の量を圧倒し、通気性が完全になくなります。筆者が参加した日には、掘削が既に130メートル台に達しており、通気がないので、掘削孔のなかの空気採取作業(岡田ドクターによる記事「南極で三線!?」参照)は既に終わっていました。掘削開始当初、この掘削作業を把握していたのは担当の川村さんだけで、他は専門外の方々でのチームとなっていました。しかし今は既に経験を積んだ方々のチームに変貌しています。アイスコアが地上に引き上げられて、コアを掘削機容器(バレルと呼びます)から取り出し、ドリル機器に各種の手入れをする段階を私達は「サービスタイム」と呼びます。作業内容や注意点を担当者それぞれが声を出して確認しながら迅速に作業をすすめていきます。F1サーキットのピットのような状態でした。参加されている方々はそれを楽しんておられました。


写真:当日撮影時の掘削チームの方々。左から、岡田さん(医療担当)、櫻井さん(設営担当)、伊藤さん(設営担当)。コアがあがってくると、迅速な処理作業をおこないます。掘削も、アイスコアの処理も、昼食時間や休憩時間を相互にずらしながら交替でおこない、実質、終日の連続作業でした。時間帯をずらし川村さん(リーダー、雪氷)や高村さん(フィールドアシスタント)、栗田さん(気象・大気観測担当)も掘削チームを担当していました。


写真:掘削したアイスコアをまさにバレルから取り出すところ。

 筆者はアイスコアの現場処理(掘削直後の記録や計測や梱包)を担当し、処理ラインに参加しました。山田さん(気象・大気担当)と交替交替でこれを担当。「F1ピットチーム」によって早いペースで40cm長程度のアイスコアが次々とあがってきます。コア同士の連続性確認や長さやコア径の記録、国内持ち帰りのためのパッキングを遅れないようにすすめていきました。最終掘削RUN後の処理にも立ち会うことができ、142m深に達した最終・最深コアの写真を撮影しました。


写真:60次夏期掘削の最終アイスコア。略称NDFNコア。今後各種の気候変動史の分析に用います。滞在中にドリルを掘削孔底に下ろしての掘削回数は通算321回。採取したコアの区切り(梱包)数は合計300試料となりました。


写真:コア処理を担当する山田さん(気象・大気観測担当)

この掘削作業をもって、今回のチームでの浅層掘削は、深度目標を達成し完了しました。残る作業は、国内にこれを持ち帰り、種々の分析を軌道に乗せることです。「氷」を「データ」に変換し、さらには気候学的な解釈を加え論文やデータとして出版するところまでやってはじめて本当の意味がでます。

29日の午後後半には、レーダ探査走行を続けていたもう一台の車両111号車(米国レーダ搭載車)も、全予定ルートの探査を終えてベースキャンプに戻りました。この日の夕食は、レーダ走行探査とアイスコア浅層掘削など、ベースキャンプを拠点としての多くの仕事の実質完了を祝してささやかな祝宴となりました。かに汁、刺身類、焼き肉などをつついて。翌日以降は、このベースキャンプの撤収開始という大仕事が待ち受けています。振り返れば、天候の影響をうけて予定よりも1週間程度遅れてここに到着して以来の作業の連続でした。疲労は正直とても大きいです。研究者にも、支援にあたる方々にも、疲労は蓄積しています。また、最初に書いたようにノルウェー同行者を国際的に打合せ済の航空機運航日程に沿って送り出さなければならない時間的な制約があります。事故やケガには十分に気をつけて、睡眠休養はしっかりとって、まずはノルウェー同行者の送り出しまで過ごしていく必要があります。

60次内陸ドーム隊チームの皆様、ベースキャンプでの数多くの観測へのここまでのご支援を大変にありがとうございました。この内陸ドーム隊はまだ1月下旬の昭和基地への帰還まで続きますが、この大きな区切りに、深い感謝を申しあげます。29日のチームミーティングの場でも、それを申しあげました。
 
2018年12月30日:藤田記
13:27 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2019/01/08

掘削世界大会!?いいえ撤収準備です

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みなさんこんにちは。設営伊藤です。

これを書いている数時間前、やっと大半の観測が終わり明日から撤収準備にはいります。
今回私は車両整備に多くの時間を費やした為、なかなか観測支援に入ることが出来ませんでした。
車両整備が終わり、車両の金子さん、櫻井さんはレーダー支援に。
私はベースキャンプに残り、雑務とアイスコア掘削支援に入りました。
アイスコアは去年も少しだけ手伝っていますので、ちょっとだけ流れはわかります。
去年と違うのは中澤さんと大藪さんが居ないこと。。。
なのでリーダー川村さん以外はほぼ設営チームです。
日々、淡々と掘って過ごしていましたがある日を境に現場は一気に盛り上がりだしました。
何がそうしたのかは分かりませんが、最初はとにかく声を出すように変化が起きました。



「目標掘削深度〇〇m!」「発射準備ヨーシ!発射!」
「下段構え!」「ヌンチャクヨーイ」「ジャケット確認!」
「予熱開始!」「ドリルシバキ!」「0.5トルクもどーせー」
「巻き上げ開始を要請!」「芋虫よーい!」
など意味不明のセリフを大声で叫び、笑い、楽しみながら掘削がすすむようになりました。これこそ設営の得意とする「大声」  疲れていても笑いで無理やり体を動かす得意技。
そして第2の変化もおきました。
タイムアタックです。1掘削にかかる時間を測りどこでロスがあったか、どこを変えたら改善できるかを掘りながら話し合い、深度130m付近でタイムアタックが開催されました。
浅い深度でも約14~15分だったのに、物の配置を変え、手順を見直し、ミスないように各自声出し、指さし確認を徹底。
そこで出した記録は10分32秒(深度138m)!!!
この記録がどれほどのものか読者の皆さんにも私たちにも全く分かりません。(汗)
ドリルが地表に出て来てからの動きはF1のピット作業並みの速さで。
3人いますが誰一人、手持無沙汰になるようなことは無く流れるような動きです。
アイスコア掘削世界大会があれば出場しようと思います。
絶対無いけど。

そんなことをぶっ通しで4時間。
目標深度を超えた瞬間、、、、、燃え尽きた、あしたのジョーのように、、、、
立ち上がるのも困難なほど疲弊してしまったのです、、、

もちろん騒ぎながらやっても大事なところは川村先生、藤田先生が冷静に押さえてますのでミスはありません。

伊藤記
09:11 | 投票する | 投票数(13) | 日々のできごと
2019/01/07

走行する探査車の内側の風景

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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
年末から年始にかけてのドーム隊の様子をお知らせしたいと思います。 
ICC事務局代理:石田

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継続してきたドームふじ南方域のレーダー観測走行は12/27-12/29の期間をもってこの地域の走行としては最終とすることとなりました。本稿では、走行中の雪上車の内部の様子をご紹介します。車両が探査走行する速度は概ね10-15km/時です。先にブログの記事で述べたように車内温度は40℃台に達する場合もあります。移動中の車内はエンジンの大きな音が響き、また、雪面の凸凹の上を走行するため、大揺れに揺れています。騒音の大きさは、耳栓とイヤマフをしても、重低音として耳に響いてきます。走行中に車内を移動するにはバランスをとりあちこちにつかまりながらの大変な注意が必要になります。

●運転席の様子
12/28のこの日、115号車の探査を支援をくださっているのはフィールドアシスタントの高村さんです。日中は車内と車外の光のコントラストはとても強く、車内の人物は黒っぽく写ってしまいました。眼を強烈な紫外線から守るためにサングラスを着用します。通信機マイクが運転席近傍にはいくつかあります。また、ナビゲーション画面は、助手席で制御するPCナビの画面を、高輝度のディスプレイで運転者が常にみています。

写真:助手席から運転席をみたところ。

●助手席の様子
助手席には、ナビ用のPC、それに、車両の位置と方位まで刻々記録できる「GPSコンパス」と呼ぶ機器を置いています。写真を撮影した時には、筆者(藤田)が共同研究者にデータを送り出すデータ通信をしています。イリジウム衛星携帯電話機のアンテナを窓の外に出して、通信を確保しています。助手的からは車両後部にあるレーダ機器を高頻度で監視にいきます。大揺れの車内を注意深く歩いて。車内には突起部があちこちにあります。このため、レーダ走行時ではないですが、ちょっとしたことで体をぶつけ打撲することが多いです。


写真:運転席から助手席側をみたところ。

●車両後部の様子
こちらの写真が車両後部です。右の棚には、レーダ機器や通信機がのっています。足元には、造水・造湯のために、雪を詰めたステンレス製の寸胴鍋を置いてまさに造水中です。写真左側には、2つの木箱があります。この木箱のなかにも、造水バケツを合計4個置いています。ここには雪上車の温風吹き出し口があり、木箱を置くことによって熱を閉じ込めています。そこに造水バケツを置くことで、効率良く温水をつくります。また、左側後方には2段ベッドがあり、就寝の場になります。実際の就寝の際には、床面に布団をしきそこに寝袋を置くことで床面に寝ることも多いです。木箱は、冷凍食品を解凍する場や、洗濯をした衣類の乾燥の場としても活用します。中水専用の造水バケツはそのまま洗濯バケツとしても活用します。車両の揺れを利用し、「洗い」に関しては自動でおこなうことができます。


写真:助手席の位置から、車両後部をみたところ。

●エンジンルーム直上
車両のエンジンは、運転席と助手席の中間を占めています。ここは走行中の高頻度で使うものを置く場所にもなります。水筒やペットボトルなど飲み物、お茶の類い、それに、野帳、イアマフなどを置いています。食事の時間には、ここをテーブルとして食事をおこないます。しかし、振動が激しいため、電気・電子機器をここに置くと故障の原因になります。過去にここに置いて故障したものは、PCやイリジウム通信機など。衝撃によりケーブルやコネクタなどの物理的な破損が多いです。将来に車両を利用する方は要注意です。


写真:助手席位置から、エンジン直上をみたところ。


●雪上車内部に関連したいろいろなこと
ブログでは、騒音や車両の揺れや高温状態をお伝えできてはいません。でも、車内の生活感も含めた雰囲気はご覧いただけたかなとおもいます。以下のような疑問がでるかもしれません。トイレはどこ?冷蔵庫は?洗濯機は?テレビは?シャワーは?お風呂は?。
トイレは車内にはありません。排泄物の扱いは条約で定まっていて、条約上は南極内陸部では埋設が認められています。ただ、日本の南極地域観測隊のルールでは、大便は持ち帰り廃棄物(その後焼却)として扱うルールになっています。このため、トイレは外置きのトイレで使用します。トイレを用意する余裕がないときのみは、テントなど用意せず野外で用をたしてそのまま埋設です。「車内にトイレ設置を」という意見もありますが、筆者としては、車内を今よりも狭溢にする新設備は極力排してほしいです。冷凍食品は外に置いておきますので冷凍庫は要りません。「冷蔵」物品は、車内後部のエンジン熱の伝わらないところに置いておきます。車内温度は夜間早朝にはマイナスになるので、冷蔵物品は保温箱に入れる必要があります。洗濯はバケツです。これも、機械の導入はきっと車内を狭溢にします。テレビやラジオの電波はもちろん届きません。シャワーは外置きのテントで行うか、車内で手ぬぐいを使って体ふきをするかです。今のやり方で十分に思えますので、将来新たに車内にシャワー室を設けるような車内を狭溢にすることも無しにしてほしいです。筆者は、「内部の利用に自由度がある十分な広さ」が、現在の雪上車の魅力だとおもっています。観測への応用性・柔軟性がでるほどに、様々なより高度な探査形態が実現します。生活面での便利さへの欲求・要望はきりがないとおもっています。日本の都市環境に似せた便利さを持ち込むことはかえって本質的なことを阻害するとおもっています。本質的なこと -観測活動に柔軟に快適に使える-を最大限重視して、あとの二次的なこと(あの生活便利も、この生活便利も、、、)はほどほどに止めておくことが重要に思えています。

なお、こうした観測専用車両(内部を多目的で使える)をもつのは、世界各国の南極観測のなかでも日本の独自性が高い部分です。諸外国にはないやり方で、大きな強みと私はとらえています。とはいえ、観測機器や生活物品を多数持ち込むと、内部はあっという間に物品で溢れ、内部を利用する人々の間でストレスや摩擦が発生しがちです。利用者はそれを理解し、最低限の本質的なもののみを車内に持ち込まなければなりません。また、各隊次の利用者が内部の清潔・清掃を心がけて次隊に引き継いでいく必要があります。今回の内陸チームでは、電気掃除機を1台持ち込み、チーム内で呼びかけて清掃したり、内部のカーテンの洗濯をしたり、汚れた壁や窓を拭いたりしています。ガムテープを床に貼り付け剥がすと、大変に汚れていたことがわかります。こうした清掃は日常生活では当然なのですが、南極内陸の雪上車内ではこれまで手がまわっていなかった部分です。

 2018年12月29日:藤田記
09:35 | 投票する | 投票数(15) | 日々のできごと
2018/12/28

本ブログをご訪問の皆様へ(ブログ責任者より)

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本ブログをご訪問くださり大変にありがとうございます。
内陸ドー
ム隊の観測活動は、着実に経過し、大きな峠を越えつつあります。
年末年始の1
2/29-1/6の期間は、種々の都合により、投稿および更新を控える見込みです。何卒お知りおき下さい。
1/7以降には、これまで通り更新をすす
めてまいります見込みです。

ブログ責任者:藤田


17:42 | 投票する | 投票数(17) | お知らせ
2018/12/28

南極で三線!?

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皆さんこんにちは!医療の岡田です。僕からは3回目の投稿になります。

現在、我々はドームふじ基地から50㎞離れたベースキャンプを中心に日々観測作業を行っています。
僕自身はアイスコアの掘削と掘削孔からの空気採取のお手伝いをさせていただいています。



(掘削作業の様子)



(掘削孔から空気採取を行っている様子)

 

(ウィンチを使って掘削中)

 

気温は-20℃台ですが、風が強い日が多くて、寒さと闘いながら掘削作業を行っています。また限られた(少ない)時間の中での作業のため、休みの日はなく、なかなか忙しい毎日です。

そんな中、僕は沖縄の楽器、三線(サンシン)を演奏しています。

「なぜ南極で三線?」とお思いでしょうが、僕はかつて沖縄の離島(西表島)の診療所に勤務していた縁で、長年三線を趣味としてきました。

今回是非ともドームふじ基地で演奏したいと思い、手荷物制限がある中、ここまで持ってきたのです。

 

(三線片手に南極に上陸)

 

普段は空いた時間に雪上車内で一人静かに弾いています。先日焼肉パーティーの際には、メンバー全員の前で演奏しました。

ここは空気が薄いため、唄うこと自体なかなか大変なのですが、沖縄の島唄を口ずさむと、忙しさを忘れ、気持ちが自然と落ち着きます。

おそらく、地球上最も南の地で、最も高い場所で、さらに最も寒い場所で三線を奏でた人間ではないかと密かに考えつつ、これからも出来る限り演奏を楽しんでいきたいと思っています。


 

(ドームふじ基地看板前にて)

岡田記


12:19 | 投票する | 投票数(23) | 日々のできごと
2018/12/27

さまざまな「命綱」

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南極の内陸の探査では、自分たちの周囲1000km程度の範囲には、どなたもおそらくは居られませんし、仮に居たとしても、数人程度の小規模観測チームや探検チームとおもわれます。傷病時等の航空機を用いた緊急救援の潜在的な可能性をのぞけば、安全確保は、内陸チーム内、そして、日本の観測隊内で十分な対応がなされておく必要があります。

内陸チームでは、チームの全ての方々がお互いに不可欠ですし、誰が欠けてもうまくいかなくなります。機械・装備・食糧・医療・通信など、生活や移動の存立に不可欠な「命綱」をそれぞれに握っている方々のチームですから

搭乗し移動する雪上車のエンジンが故障したりしたら、内陸観測チームはそのまま立ち往生することになります。本稿では、多数の命綱のひとつ、「通信」についての様相を述べたいとおもいます。若い世代の方々が、今後南極内陸活動に関わるとき、知っておいていただきたいとおもいました。

この極地の内陸で、チームで何かインシデントが起きたら、マザーステーションである昭和基地に報告し、救援を依頼していくことになります。通信機器が仮に無ければ、インシデント渦中の人々は孤立し、救援も受けられず、危機が一気に高まります。当然のことと思われるかもしれませんが、こうして記述するのは、時として人々の通信に対する認識が大きく異なることを歴代の観測隊のなかで眼にしてきたことが背景にあります。

ちょうど今の私たちのように、内陸のベースキャンプから数十キロ離れ活動し、もし事故やケガ、車両の故障があればまずはベースキャンプかマザーステーションに第一報を入れる必要があります。連絡を受けた側は、救援など必要な対応策をとっていくことになります。こうした体制があるからこそ、一定の安心のもとに現在のような雪上車走行探査を実施することができています。
HF無線は特に遠距離通話が可能です。また、イリジウム衛星携帯電話やインマルサット衛星携帯電話があれば、人工衛星を介してかなり安定した会話やデータ通信ができます。

また、今の時代はインターネットが極めて発達した時代になりました。南極内陸に居たとしても、通信機器は情報流通の場になります。私達の今回のような国際連携観測(日本、米国、ノルウェー)でも、電子メールでの連絡が一定のカギになっています。速報情報を現場から共同研究者にメールで流すことに関しても、現場からの情報に共同研究者からの応答が関係者に同報で流れます。メールシステムを自分自身が持っていなければ、行き交うそうした同報連絡の「かやの外」です。かやの内側の人のみが情報に接し、意図せずとも共同研究体制のなかでの存在感を示していくことになる。通信や情報流通を限られた人々に完全に依存してははならないです。一昔以前であれば、南極内陸に居ることが、情報通信からの隔絶を意味し、それを良しとする、あるいは当然とするようなメンタルもしばしばあったとおもいます。でももうそれは通用しないとおもっています。

初期の観測隊から変わらぬこととして、南極観測隊長やリーダーは、通信流通の常に要に身をおかなければなりません。必然的に、こうした立場の方々は基地通信室に高い頻度で駐在することになります。情報が自分のもとを経由するように、通信連絡体制をつくっていきます。日本の各方面との対応、観測船「しらせ」との連絡対応、内陸現場との対応など。過去に南極観測隊で実際に起こった様々な事故例でも、対応は通信からはじまりました。処理をめぐって様々な交渉や応酬が通信を通じて繰り広げられました。

私たち内陸チームは、イリジウム衛星携帯電話を今回合計4台もっています。電話の傍らには、パウチカードを置いており、緊急連絡先電話番号のリストになっています。そこには以下のように記載しています。

緊急時の連絡先は昭和基地
<伝達事項>
○誰に、何が起きたか?
○いつ、どこで起きたか?
○行った処置は?(緊急処置、搬送など)
○現在の状況は?(現場と現場の人員など)
○今、何をしてほしいか?

リーダーは通信専従隊員を指名し、その隊員が発生インシデントを刻々昭和基地に伝えることになっています。それを冷静に観察し適切な判断や処置をくださるのが昭和基地です。冷静・適切な判断や処置を下していくのが昭和基地長の役割になります。

通信が如何に「要」か、特に大先輩の通信担当隊員の方々に、ご教示いただいてきました。海上保安庁の警備救難部から観測隊に参加されてきた歴代の通信担当隊員の方々からは特に多くのことを教えていただいてきました。こうしたブログの記述で、若い世代の方々に認識の一端をお伝えしたいとおもいました。様々なレベルの通信機器をよく準備し動作確認し携帯して観測活動に臨まれて下さい。


写真:イリジウム衛星携帯電話のモトローラ9505A型機。数世代前の機種ですが、安定度は際立っています。-10℃の朝でも普通に起動しますし、バッテリーのもちも非常にいい。本ブログにかかるデータ通信はこの機器を介しています。勤務先との連絡や、留守家族の安全保障にもおおきな役割を果たしています。10年以上前に購入し、私や同僚の手で南極やグリーンランド氷床に何度も出向いた機器です。今回の国際連携観測のなかでは外部機器をつけてスピーカーホンにし、米国の大学の方々と南極を結び電話会議をこの機器で開催しました。この機器が如何に重要な役割を果たしてきたか。。。

藤田記
12:10 | 投票する | 投票数(20) | 解説・説明
2018/12/27

アメリカ製アイスレーダーによる氷床内部層構造探査

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当ブログ読者の皆様こんにちは、観測隊員の津滝です。いつの間にかクリスマスも過ぎ去りました。きっと皆様は美味しいクリスマスディナーを堪能したことでしょう。ちなみに私の12月25日の夕食は、カップ焼きそばでした。

ドーム隊では様々な観測が大詰めな上、ベースキャンプの撤収など帰路に向けた準備も控えており、各隊員は休日返上で慌ただしい毎日を過ごしています。そのうち5名の隊員は2台の雪上車に分乗し、アイスレーダーを用いた氷床内部層構造探査を行なっています。111号車にはアメリカのカンザス大学、アラバマ大学の2つのレーダーが設置されています。両側に4本のブドウのようなものが垂れ下がっているのがカンザス大学のレーダーアンテナで、氷床全層、特に深部の層構造を鮮明に観測することに特化しています。一方、ギザギザしたアンテナと黄色い箱がカンザス大学のレーダーで、主に表面から500m深までの詳細な層構造観測を目的としています。

111号車では3名の隊員が乗車し、レーダー観測を行なっています。車輌担当の金子隊員は、約1300kmに及ぶ探査ルートの運転と雪上車の管理を担っています。他2名はノルウェー極地研究所から外国人同行者として参加しているVan Liefferinge隊員と津滝で、2つのレーダーの測定、メンテナンスからデータ処理までを担当しています。

レーダー観測はベースキャンプ周辺にある3つのエリア(A、B、C)で行なっています。1エリア約200kmのルートを1泊2日で探査し、これを1セットとします。各エリアを2回ずつ探査するので、合計6セット、約1200kmを雪上車で走ります。これにベースキャンプからドームふじ基地までの往復100kmの観測を加えて、111号車では1300kmのレーダー観測を実施しています。1日あたり100~120kmを走行するため、朝5時半起床、7時前に出発して、途中1時間弱のお昼休憩を挟む以外は、17~18時まで走り続けます。その後キャンプの準備をして夕食を摂り、その日に取得したデータの処理とバックアップを行い、23時頃に就寝します。2つのレーダーで取得されたデータはとにかく大容量で、特にカンザス大学のレーダーは1日あたり1TB(テラバイト)にもなります。データのコピー、処理で毎日4~5時間を要するため、早朝出発し、夕方早めに観測を終えるスケジュールにしています。睡眠時間が少ないので、日中は絶えず襲い来る睡魔と闘いながら、レーダーシステムに接続されたノートパソコンの画面をにらめっこする毎日です。つらたん。。。


写真:カンザス大学、アラバマ大学のレーダーアンテナが設置された111号車

津滝記
09:26 | 投票する | 投票数(16) | 日々のできごと
2018/12/26

ベースキャンプの早朝

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ドームふじ南方ベースキャンプの12月25日の朝05:30の風景です。
低気圧の影響で曇天となりましたが、風のほとんどない静寂。昨日の探査から帰った2台の雪上車は、それぞれ今日の探査に出動するための待機位置についています。
隊員はまだカーテンを閉めた車内で就寝中。間もなく一日の観測活動がはじまります。

12/10に、ここ(ベースキャンプ)に到着。
レーダ探査や浅層アイスコア掘削などをおこなってきました。
レーダ探査は既に目標の半分をこえる探査走行を終え、12月29日に当地での探査走行全終了を目指しています。
浅層コア掘削や、掘削孔内の空気採取も、深度90m台後半まで進み、進捗中。当地での観測活動は仕上げの段階がみえはじめました。
ノルウェー極地研同行者の帰国日程やドーム隊の大陸沿岸に向けた帰還日程もミーティングの議題にしばしばのぼるようになりました。

昨夜はクリスマスイブのささやかな食事を全員で楽しみました。蓄積した疲労もいやして。
ご用意くださった昭和基地越冬隊の調理担当隊員の方々に感謝です。
今年はホットワインを大鍋で2回つくり皆で味わい、とてもおいしかったです。
お二人のノルウェー極地研同行者からはフランス語のクリスマスの歌の披露もありました。

残りの日程もご安全に。

藤田記
16:10 | 投票する | 投票数(16) | 日々のできごと
2018/12/26

走行する探査車からの風景

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 レーダ探査車2台による走行は継続しています。111号車(米国製の2つのレーダ搭載車)は3名体制(津滝、Brice、金子)で朝から夕方6時頃まで。115号車(日本製レーダ搭載車)は2名体制(藤田、櫻井)で、朝から夜遅くまで。前者の車両では、現場でデータを確認するためのクイックルック作成処理やバックアップデータ作成を実施しているため、夕方6時以降はそうした作業をおこなっています。後者の車両の方針は、この現場にこの装備をもって私たちが存在する「時間資源」をとにかく探査測線の確保に割りあてることです。日本製のレーダでこの近傍の氷床の深部がどう見えるかは、既に昨年の探査で大筋みえています。日本製のレーダのデータは極力コンパクトにできており、終日走行したとしても40MB(メガバイト)以下です。一日あたりテラバイト級のデータ処理をする最新の米国レーダとは極めて(5桁!)異なります。データのバックアップ作成はまさに一瞬で終わります。


 写真1:氷床の大雪原。ここでの走行探査を続けています。風景は刻々変わります。

115号車は、アンテナ設置の点で機動性を確保したこともあり、時速10キロ台の前半で走行優先の観測をしています。寝る暇と食事と燃料補給時以外はすべて走行。111号車の1.5倍の距離の走行を実施しています。こうした作業ができるのも、観測担当者と支援担当者の合意ができたときのみです。支援担当者のほうから、残業(夜間走行)を提案してくださる場合が時折あります。観測担当者(藤田)は通常は慎重に構え、標準は、「残業なし」の構え。話すなかで、こうした夜間走行まで支援くださる話をいただいた場合、お願いを申しあげることになります。現実には、「この観測機器資源をもち、このチームでここに居る時間」はもう2度とこないのです。この状態に私達が居ることに、既にどれだけの準備と資源と多くの人々の努力がかかっていることか!留守家族の負担も、職場の皆様のご負担も、観測隊全体(59次観測隊、60次観測隊)や「しらせ」からのご支援も。仮にこれまで行った準備をもう一度行ってここへやってくることを考えると、気が遠くなる思いです。南極観測事業で定めた実行タスクをおこなう義務はもちろん最優先ですし、研究者はしばしば、研究成果、観測に対して「非常に積極的」(強いどん欲)になります。それが、ご支援くださる研究者ではない隊員の方々のペースとどう折り合いをつけることができるか。標準では、まずは慎重に、当初定めたことを淡々とこなすことになります。「標準」か、「非常に積極的」か、思考の切り替えも、チームメンバーの状態の見極めも、柔軟・冷静にしなければなりません。それがスタンスです。「標準」が達成できれば既に100点満点!なのです。ご支援くださる方々も、既に全力を尽くして下さっています。まずは大感謝から;ここでこの観測を全力でやらせてくれて本当にありがとう。設営の皆様、この観測の場をこれだけ支えてくださって本当にありがとう。そしてその感謝は、当然、昨年こうした探査をご一緒くださったチームメンバーの皆々様にも。昨年のレーダ探査を終えた瞬間に、現場でチームメンバーの方々がどれだけ一緒に喜んでくださったことか。生涯の宝です。


 写真2:運転者が常にみるナビゲーション画面。昨年の探査結果の氷厚分布図を背景に置いています。過去10年にわたり活用してきた、Fugawi Global Navigatorというソフトウェアです。野外用の高輝度ディスプレイを採用・設置した結果、ナビ画面は夏至の時期の南極でも快適に視認できます。


さて、題目の話に戻ります。探査車からの車窓は、まさに、惑星探査です。360度は雪の地平線。雪の砂漠の上を、雪面の状態を確認しながらひたすら走行します。ナビゲーション用に予め用意した現地の人工衛星画像や、昨年までの探査をベースに作成した氷厚分布図のうえに、現在値や進行方向をプロットしたディスプレイ画面を運転席と助手席に用意し、これを外の風景と交互にみながら走行することになります。藤田は、レーダが動作を続けているか、位置記録のGPSが動作を続けているか、常に監視を続けます。風景は、雪、霜、雲、青空、光、風のおりなす世界です。昼間は概してまぶしく、白夜の夜は光量が抑制された落ち着いた風景になります。夜の太陽光はより地平線付近から来るため、雪面の陰影もよくみえるようになります。風は概して夜間の方が弱いようです。グリッド状の測線に沿って探査をするため、風や光に対する走行角度はしばしば変わります。111号車の3名の皆さんも、今同様の風景を見ているはず。2台の雪上車は、それぞれがレーダをもっており、電波を送信・受信しています。近くで探査を一緒にやってしまうと、相互の電波信号がお互いにノイズを与え合ってしまうのです。ですので、意図的に探査エリアを大きく変えて、離れた地域で探査を分担しています。

風光明媚な美しい砂漠の惑星探査という情緒的な側面とは離れ、この砂漠の下の雪と氷の層構造は、過去100万年以上の地球の気候変動史の歴史を含有しています。私達は、それを解明する遠大なプロセスの一断面として、ここでこのような探査を継続しています。支援の方々も、その目的をみとめてくださり、支援くださっている。どこで次の深層アイスコアを掘削することが気候変動史の解明に最も資するのか?今私達が上を走っている氷床の中にその情報はあります。共同研究者の方々と一緒に検討するためのデータ収集を続けています。目途はほぼ今年一杯。1月初旬にはドームふじ地域を発つ日程になっています。だからこそ、今の時間資源が本当に貴重です。


 写真3:夜間走行で、背中を太陽に向けたときの雪上車の影。車体やアンテナや雪上車の排気の輪郭がみえます。


2名だけで探査を長時間継続し、そのあと多くのメンバーが滞在するベースキャンプに戻ると、そこはまさに人気(ひとけ)の多い「街」です。橇や雪上車やテントなどの多くの設備ああります。櫻井さんが、「ここは街ですね」と言われました。UHF無線通信で「お帰りなさい」の声が聞こえてき、メンバーが迎えてくれ、ほっとします。探査走行中に余熱でつくった生活用水をまずは食堂車両112号車に届けます。

藤田記
09:18 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/12/25

3810mでの涙

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みなさんこんにちは。設営伊藤です。
ブログでご存知の方も多いと思いますが、我々はドーム基地、ベースキャンプへ到着しております。

2年連続でここに来た私としてはやはり去年、今年と比べてしまうことが多いです。
決定的な違いは越冬明けでの参加(去年)か越冬前(今年)という気持ちと体力の違い。
日本で怠惰な生活をしていた私は、日々ぶくぶくと太り続け、そのうち食べすぎで破裂してしまうのではと心配していました。  
そこで勇気を出しドームふじ基地で見つけた体重計に乗ってみました。
古い体重計なので信用できませんが、、、、、、 日本出発の時の体重と比べ-30kg!(汗)
さすがにそりゃないだろう と思いつつもニヤリとしています。

さて現在はここの景色にも飽き飽きし、仕事が終わるといつもDVDなどを車内で見ています。
58越冬後半に始まった「よりもい」 
アニメかよ ふーん程度に思っていたので今まで見ることはありませんでした。
しかしあの正確な描写、完璧な建物の配置、そして何よりもストーリー!
太ったおっさんは、、、涙が止まりません。 1話見るたびに大量の涙と鼻水。 
私の涙腺の緩さといったら。。。。  
思えば去年、先頭を走りドームふじ基地が見えた時に、準備を手伝ってくれた58次のみんなの事を思い出し「みんなのおかげで此処まで来れた、ありがとう!」と同時に「ピステンでドーム?絶対無理だ」と言っていた人に対して、「どうだ!!!成功したぞ!!!」と思い一人泣いたなぁ、、、
女子高生と太ったおっさんの違いこそあれ「よりもい」にも同じようなシーンがありますが。

時々「あ!このシーンはあの時のだ!」とか、「これはあの人がモデルかな?」 とか
色々な楽しみ方があります。 みなさんは何かお勧めの泣ける動画ありませんか?あればドームまで配達お願いします。

伊藤記
16:00 | 投票する | 投票数(24) | いろいろ、何でも
2018/12/25

温度にまつわるいろいろな話

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南極内陸の環境はもちろん寒冷ですが、観測隊の行動のなかでは冷源と熱源が入り交じり、また、気圧の効果などもあり、日常とはかなり異なる様相があります。
ちょっと長文になります。

●気温
 ドームふじ地域の夏期の気温は、高くて-25℃付近、低くて-40℃です。-25℃を上回ると猛暑といえる状況です。年平均気温は-57℃付近、最低気温は-79℃あたりです。-80℃の壁をなかなかこえないです。ドームふじには過去に通算4回の越冬隊が滞在しました。かつて、ドームふじ基地の越冬雪氷担当隊員は冬の暗夜期に、半月に一度、積雪量観測のために基地から約200m離れた「雪尺網」に一回約30分程度の観測に徒歩で出かけていました。気温-75℃付近ということもしばしばでした。暗夜のなか、観測後に基地に確実に戻れるように、雪尺網方向に基地から照明ライトを照らし、「絶対にこの照明ライトのスイッチをオフにしないでくれ!」と基地のメンバーに強く周知してから観測に出かけていました。-75℃では、外出直後にはメガネが凍り役立たなくなります。メガネ無しの裸眼で、照明が頼りでした。厚いオーバーミトンをしても手先は冷たくなります。筆記のための鉛筆を握るだけで血流に影響し、手先は更に冷たくなります。何度も、「今日はもうあきらめて基地に戻ろう」という考えが頭をよぎります。こうして日本隊によって得られた4つの越冬隊の通年の積雪量データは極めて貴重なものです。
 また、23年前に、37次ドームふじ越冬隊ミッドウィンター(冬至)祭のフィナーレに、野外で排木材を燃やしてキャンプファイヤーをおこなったことがあります。目前は熱い火、背中は-70℃という状況でした。体の腹面を火に向けたり、背面を火に向けたり、「くるくると」火にあたっていました。

●沸点
 お湯を沸かして沸騰温度を測ったら、約+85℃でした。気圧は約600ヘクトパスカルですから、中緯度の4,200m級の山に匹敵します。お茶やコーヒーをいれるときにはあまり不自由は感じませんが、炊飯には圧力鍋が必須です。インスタントラーメンも。

●雪上車内での造水の温度
 エンジンの余熱を利用して、造水をします。雪を水にするだけで融解熱を非常に必要としますが、最高温度に到達するまで待つと、お湯の温度は+50℃付近に達します。上記の沸点を考えれば、沸点より30~40℃低いだけですね。シャワーや体ふきには良好な温度です。雪をいれてわずかに温度を低下させながら使います。洗濯も快適にできます。一日の造水量は限られますから、貴重なお湯を隊員が交替で使います。造水を効率良く出来る車両とそうでない車両があるので、115号車は積極的に造水して水やお湯をチーム内に供給するようにしています。水やお湯の生産は、生活を実に快適にします。快適さは、メンタルヘルスにも大きく影響します。チームが食事に使用する生活水は、115号車がほぼ毎日20リットル供給しています。造水・造湯のノウハウがまだ少なめの時代には、旅行中一度もシャワーすらできないとか、洗濯をできないから下着・衣類を多めに持参するとか、隊員が蓄積した体のにおいを強く漂わせて昭和基地に帰還するとかがしばしば起こっていました。今は造水・造湯に関してはノウハウが出来てきました。これが当たり前のノウハウとして普及し、発展・継承しますように。

●雪上車内の温度(その1)
 車内の温度は日中の行動でエンジンや車体が熱をもつので、外気温よりはずっと高くなります。夏期の行動では、風が強く日射のない日は、朝の車内は-10℃程度。風が無く日射のある日は+10℃程度です。一日中走行が続くようなとき、車内気温を測ってみたら、日陰でも+44℃に達していました。こうしたときには、もちろん防寒着など着ていられません。防寒着類は脇に脱ぎ置き、真夏の日本の服装のような状況になります。あるいはほとんど下着で。空気が非常に乾燥しているため、不快感は小さいです。サウナのような環境ですね。問題はノートパソコン。私のPCは熱暴走して、突然停止することがしばしばです。そうした時車内気温を確認すると、日陰で+44℃。計り違いかと疑い待っても間違い無く+44℃。「このPCはもう不調かな」と南極ではおもっていても、昭和基地や日本の環境では決して熱暴走など起きないのです。南極ドームふじの近傍だけでこれが起きます。

●雪上車内の温度(その2)
 115号車内の、排気管に通じる配管がある付近(助手席後ろの床)は、時に運転中に温度が高くなります。断熱マットがなくボルトが剥き出しになっている部分の温度を測ってみたら、+100℃以上。ボルトを裸足で踏むと火傷します。何度かしました。車外の雪で火傷を冷やすことになります。この助手席後ろの床付近には、物資を置かないようにし、他のメンバーにも、それを周知しています。今年はこの様相をプラスに変えました。造水用の寸胴鍋に雪を詰めて、この付近に数個置いておきますと、急速に造水ができます。通常、車内で造水をおこなう部位(造水バケツを4個設置)に追加で、数個の造水ができるのです。合計7~8バケツの急速な(ただし5時間程度かかります)並行造水・造湯!。ポリ材製のバケツでも造水は可能ですが、ポリ材が熱で熔け始める始末!でしたので、ステンの寸胴鍋に置き換えました。将来の南極雪上車では、この廃熱利用(造水・造湯)をさらに上手にすすめることが必要とおもっています。移動にともないどうしても発生する貴重な熱資源として。

●簡易温度ロガー
 温度は、観測や生活の多くの側面で向き合うことになります。気温をすぐに知りたいとか、輸送物資の温度追跡も、観測装置の温度環境確認も。内陸活動に出向くチームあるいは観測隊員には数個~数十個の簡易温度ロガーを常備することをおすすめします。雪のなかの温度勾配を知りたいとか、掘削孔内の温度を知りたいとか、多用途で重宝しています。シャワー前の湯温の確認も、、、。温度範囲対応としては、-60℃までは欲しいところです。10mの深さの雪の温度はそのぐらいですから。

●テント内の温度
 最後に、今回、ベースキャンプでは4張りのテントで、テント泊就寝をするメンバーが居ます。快晴・無風の日には、このテントが案外快適なのです。テントの素材は赤外線を通し、太陽熱はテント内にはいってきます。朝のテント内の温度もせいぜい0℃ぐらい。雪上車内で就寝するよりも快適なぐらいです。雪上車内で特にカーテンもなく数名就寝のプライべートのない環境と違い、静寂のなかの個人空間です。街に居ても、南極内陸調査でも、「一人時間」はメンタルヘルス上とても必要とおもいます。テント泊は結構快適です。テント泊を数名が選択すれば、雪上車内の就寝人数も1~2名になります。テント宿泊時に重要な点は、床面の断熱をしっかり確保すること。日本の夏キャンプでも、冬山登山のテント泊・雪洞泊でも、これが基本です。断熱マット・衣類・段ボール材でも、断熱に役立つものであれば何でも敷きます。幸い、帰国梱包用の段ボール材を使用可能なので、筆者はこれを数枚床に敷いて断熱を確保しています。

南極の内陸行動では、人と人の摩擦やそれにともなうストレスが起こっても、街の環境にいるときのような逃げ場・避難所は一切ありません。自分一人だけと向き合う、一人時間の確保は特に重視されなければならないと思っています。皆それぞれが無くて七癖。皆尊敬が基本になります。

 
写真:個人就寝用テント

藤田記
09:11 | 投票する | 投票数(16) | 解説・説明
2018/12/21

111号車

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111号車(米国レーダ搭載車)は、12/19と12/20の2日間をかけて、Aエリアの約200km区間を走行し、データを収録してベースキャンプに帰還しました。
データは成功理に取得できたほか、帰還後の目視でも、アンテナ系の固定状況に変化はありませんでした。このまま継続できそうです。
米国・ノルウェー・日本の関係者で取得した最初のデータ画像が回覧され、精緻なレーダ画像に「fantastic!」の言葉が飛び交いました。このままあと約10日間継続したい。

こちらは間もなく夏至です。白夜の日差しは強く、気温も年間のなかで最高になります。
-25℃は盛夏の気温です。当地でのレーダ観測もピーク期間にはいりました。


写真:200km区間の観測を終えて帰還した雪上車。
このアンテナシステムを雪上車屋根上に高く搭載する観測法は、日本の南極内陸観測が確立してきたノウハウです。

藤田記
16:00 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/12/21

走行計測開始そして修正

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12/18を本格観測としての雪上車長距離走行開始の目標日と定め、計測準備をすすめました。
本格観測は、以下の手順で実施します。
このドームふじ南方の氷の下には、氷の下に山塊があることがこれまでの調査でわかっています。特に昨年度、総走行距離2950km、測線の基本間隔5kmの調査を広域で実施したため、山塊の形状や周囲の地形との関係はかなりよくわかっています。この11月には、約3日間をかけた国際的な議論を実施し、今回どこをどのような科学的根拠をもって優先づけするかを決定しました。調査地域を、約400平方kmの3つの領域A、B、Cに分け、それぞれの領域のなかを、測線間隔2kmで走行し、それをのべ4回繰り返します。これは、日本のレーダ、それに米国のレーダ、それぞれ2回ずつの走行です。その結果として、最終的には、測線間隔0.5kmでデータ収集が達成されます。1つの領域のなかの1回の走行距離は200km~220km。車両1台あたり(つまり各レーダあたり)の総走行距離は、今年度は約1,300kmを予定しています。

走行開始の初日は、111号車(米国レーダ搭載車)は、ベースキャンプとドームふじ基地間を往復し、約100km区間のデータを取得しました。115号車(日本レーダ搭載車)は、C領域のなかの約100km区間のデータを取得しました。データ取得は順調に開始されました。こうした初日の観測をするなかで、一つの決断をしました。それは、日本レーダ搭載車のアンテナのダウンサイズ・機動化です。このレーダは、初期設定としては、受信側のアンテナに4本の16素子八木アンテナを用いていました。


写真1:片側に4本16素子の八木アンテナを使用した初期観測設定。

実際の計測を1日・100km区間行ってみると、雪面の起伏を雪上車が乗り越えるたびにこの大型側(受信側)のアンテナの前端部と後端部が前後に大きくねじれて揺れ、アンテナ下部が雪面に接触することも数回発生しました。データの質そのものはとても良好で、この100km走行のデータは極めて貴重なものです。しかし、残りの1200kmの走行をこの初期設定のまま実施するには無理があると判断しました。アンテナ下部が雪面に接触し、アンテナ素子が破損しても、交換用予備素子は多くもっています。交換する手段はもっています。しかし、この受信側のアンテナを支える金属製の支柱が繰り返しの前後方向のねじれが原因で金属疲労で破壊するようなことになれば、実質残り約10日間の観測ではかなり大きなダメージになります。一方、16素子八木アンテナ2本で構成する送信側のアンテナの安定度は極めて良好でした。大型側のアンテナの揺れを押さえるには、雪上車の走行速度も、雪面状態が粗い(サスツルギに直交対面する)時には時速5-6キロまで抑制しなければなりませんでした。この走行速度では、調査期間を延長しなければ目的とするA~Cのエリアの全走行は無理です。走行速度は、上記の倍以上が必要です。調査走行を完遂する手段として、送信・受信それぞれを、16素子八木アンテナ2本で構成することとして修正することとしました。アンテナ性能としては、受信感度が約3デシベル低下します。しかし、これまでの計測試験によって、アンテナ性能を約3デシベル低下させても氷床の底面付近までの内部構造を読み取れることは判明していました。走行計測を1日おこなうなかで、データとアンテナと雪上車の様子を観察し、最終的にこの判断をしました。


写真2:受信側アンテナ全体を一旦クレーンで吊り下ろし。

作業は19日に実施しました。アンテナをクレーンで吊り降ろす必要があったため、設営担当隊員の方々(伊藤さん、櫻井さん)らにご協力をいただき、再度のクレーン作業となりました。吊り降ろしたアンテナを地上で分解・再構成し、16素子八木アンテナ2本の構成として置き換えました。


写真3: 再構成し、再度設置した16素子2本八木アンテナ(車両の左右それぞれは、送信、受信です)

結果的に、観測の機動性と走行安定性は格段に増しました。走行の平均速度は10-15キロ毎時で確保できるようになりました。アンテナ下部が雪面に接触することはもはやありません。アンテナを支持する金属棒にかかるねじれも小さくなりました。計算上も1/7です。氷床内部の氷から反射してくる信号も、氷床の底部付近までよく見えています。八木アンテナとしては最大規模の観測を実施した初日の観測結果はそのまま生きます。そして、今回機動性を選択した観測を今後観測終了まで実施していきます。
本稿は、観測・研究現場の機動的動きの特に生々しい部分を読者の方々にお伝えしたいとおもい、トピックとしてとりあげました。

藤田記
09:03 | 投票する | 投票数(15) | 解説・説明
2018/12/19

氷床のレーダ探査の準備

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12/10以降、ベースキャンプでおこなっている仕事のなかで、氷床探査用レーダの準備についてご紹介します。
今回の内陸旅行では、将来の氷床深層アイスコア(最古の氷)の掘削候補地を見いだすために、複数のレーダを用いて、ドームふじ南方域を調査します。これまで日本隊では日本のレーダのみを用いた探査をおこなってきましたが、今回は、米国のカンサス大学、アラバマ大学、それに、ノルウェーの極地研究所の連携体制をとっています。レーダも、日本のもののみではなく、米国のこれらの大学のリモートセンシング関連の研究室が開発した2台のレーダを用います。

観測の準備として、日本製のレーダのみで探査をおこなうよりも、準備作業はどうしても時間がかかります。新規機器への習熟度の点、それに、レーダシステムが高度化するほどに、使用するアンテナも大がかりなものになります。先の記事「更に内陸へ、そして調査地へ(Ⅲ)」で紹介した写真は日本のレーダ用のアンテナです。日本の観測隊としてもおそらく国際的にも、サイズが際立って大きい、そして、結果として「アンテナ利得」という特性が高いレーダです。本稿執筆時にはすでに試験運用を開始しており、氷床の大深部の層構造をとらえはじめています。

米国製のレーダでも、「ログペリオディックアンテナ」という広い周波数帯域の電波の送受ができるアンテナを日本の製造会社に製造いただき、用いています。地上探査は、航空機のように広域を短時間で探査するようなことはできないですが、航空機には装着が困難な大がかりなアンテナ系を用いて観測を実施することができます。その点が地上探査では特に有利です。

 地上でのアンテナ組み立て風景


地上で組み上げたアンテナを、クレーンで雪上車に搭載する作業です。


クレーンでアンテナを雪上車に搭載後、初期固定をした段階です。まだロープを使用した本格固定を実施する前です。


さらに、比較的浅い層(表層から数十メートル)の詳細な構造をとらえる、FMCWレーダと呼ぶレーダのアンテナも搭載しました。車両の後部に吊しています。この段階ではロープ固定がある程度すすんでいます。



こうした作業に取り組んできたのが、12/10-17の期間です。大がかりなアンテナを雪上車に搭載する際、車両が動いたときの安定性が非常に重要な問題となります。ロープやラッシングベルト(荷物固定用のベルト)を駆使し、車両が動いてもアンテナが上下や前後左右にゆがむことにないよう、念入りに固定しました。日本南極地域観測隊の冬期訓練では、ロープワークを特に訓練します。訓練したことが大いに役立った作業となりました。ロープやアンテナの固定のために、脚立への昇降、雪上車の屋根に昇降した回数は数えきれません。-30℃の寒風のなか、作業判断を冷静に、そして慎重に、こころがけました。12/17頃に作業がひととおり完了し、その際には体のあちこちに筋肉痛が起きていました。筋肉痛はともかく、本格観測を開始してから、アンテナがゆがんだとか壊れたとか、落下したとか、そんなことを起こすわけには決していきません。そんなことが起これば、簡単に数日はロスしてしまいます。それどころか、観測中断ということすら可能性はあります。1月初旬に観測を終えるまで、雪上車の上に安定して固定しておく必要があるのです。

機器の設置とあわせ、機器を開発・製造した各方面との連絡も断続的につづきました。12/16には、これで観測を開始できるという目途がつき、12/18を本格観測として
の雪上車長距離走行開始の目標日と定めました。

藤田記
09:19 | 投票する | 投票数(16) | 解説・説明
2018/12/17

さらに内陸へ、そして調査地へ Ⅲ

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12/9一杯までドームふじでレーダ用のアンテナ設置の時間をとったあと、12/10は早朝出発で調査地のベースキャンプへ向かいました。この地点は、ドームふじの南方約50km地点となります。昭和基地からは、約1,100kmの内陸になります。昼頃までにかけて移動したあと、ただちにベースキャンプでの作業にとりかかりました。

滞在中に浅層アイスコアと掘削孔の空気採集を掘削する場所の選定、氷床探査用レーダアンテナの組み立て継続や、一部の氷床探査レーダの試運転、キャンプ配置の整理など。テントを多数張り、各種作業や、宿泊場所にも用います。1月初旬まで、ここをベースに様々な観測作業を展開していきます。具体的なことは順次投稿しご紹介していきます。


写真説明;ベースキャンプの風景。左から、宿泊用テント4張、食堂に使用している車両と浅層アイスコア掘削場。作業テント。他の橇や車両が居る側から撮影しています。

藤田記
09:46 | 投票する | 投票数(15) | 日々のできごと
2018/12/14

さらに内陸へ、そして調査地へ Ⅱ

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ドームふじ基地には、12/7昼頃に到着し、12/9まで滞在しました。
今回の調査目的地は、この基地よりもさらに南方内陸域になります。基地は、途中通過地点のひとつです。
ドームふじ基地到着直後から、この基地で実施が必要とされている観測をおこないました。
降雪堆積量を計測するための雪尺測定、無人磁力計の保守、無人気象観測装置の保守など。
設営チームは、燃料のデポや橇に搭載している物資の整理をおこないました。

12/8は、基地内見学や休養。調査地に到着したら早期に実施しなければならない氷床レーダ観測については、アンテナの付け替え作業をここで休養返上で開始しました。
この仕事を12/8のうちに終わらせて、12/9にはすでに調査地(ベースキャンプ)に向かうべく用意を開始したのですが、思ったような早さで仕事をすすめることができず、結局12/9の午後までかかってしまいました。
車載アンテナの付け替えをひとたびはじめたら、完成するまで動くことはできなかったので、ここで予定よりも一日余計に時間をかけることとなりました。
-30℃、600ヘクトパスカルの環境で、大急ぎですすめた仕事でした。
担当者ら(藤田、津滝、Brice)の消耗度も大きい状況となりました。
写真にあるような巨大なシステムで、クレーンの力を借りて設置することとなりました。


写真1:組み上げた氷床観測用レーダのアンテナ。非常に高いアンテナ性能をもっています。

苦労の甲斐があって、できあがったのは巨大なアンテナシステムです。
本稿執筆現在、まだ設置作業は完了していませんが、氷床の大深部を明瞭に観測できると確信しています。

休養日課日12/8の午後には、基地看板の前で記念写真を撮影しました。いよいよ目的とする調査地であるドームふじ南方域へはいっていきます。


ドームふじ基地看板前で記念写真。(撮影:内陸ドーム隊)

藤田記
11:50 | 投票する | 投票数(17) | 日々のできごと
2018/12/14

6割の力で...

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ドームふじ付近の気圧は、約600ヘクトパスカル。平地の約6割です。
空気が薄いので簡単な作業で簡単に息がきれます。
チームで様々な作業をすると、どうしても急いてしまうときがあります。
急ぎ足などすると簡単に転んでしまう。
そんなとき、今年のチームでは「6割の力で!」とか、「2割の力で!」とか、リラックスを促すかけ声が仲間からでます。無線通信で。
穏やかに、無理をせず、ケガや疲労を防ぎ着実に仕事をこなしていく、いいかけ声だとおもっています。

藤田記
09:02 | 投票する | 投票数(13) | いろいろ、何でも
2018/12/13

さらに内陸へ、そして調査地へ

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本ブログの日記的側面の記述は、11/29(中継点到着)以降おろそかになっていました。
この内陸ドーム隊ブログの特徴、そして明らかに大きな弱点!は、隊員が忙しく活動がピークになってくると更新・投稿する余力がなくなってしまうのです。内陸隊は早朝から活動を開始し、一日中移動、移動は17時頃までに終えても、そのあとも様々なメンテナンスや整理があります。当初から目的とする観測成功が大目的ですので、アウトリーチとのバランスの確保は結構難しいです。ブリザード停滞のときなど、たくさん書けるときもありますが、日々の活動が多いと手足が全然でないときもあります。本文も、12/12夜に、日中の大作業のあとに現地時間深夜に書いています。

11月末以降の動きを超ダイジェストとして述べます。中継拠点を出て、ドームふじへ向かいました。11/30に中継拠点(MD364)での観測活動。その後、最大一日約70kmの移動を繰り返し、休養日課もいれながら、12/7にドームふじ基地に到着しています。中継拠点を過ぎてからは、サスツルギが減少し、雪がとても柔らかい領域、いわゆる「軟雪帯」にはいりました。日々の活動は、延々と雪の砂漠(年間降水量約25-100mm程度)を内陸に向かって前進することです。撮影した写真をみても、下記のような雪の大平原が大多数になります。



ピステン車が走り、そのあとをリーマン橇と呼ぶ大型の橇を引くと、写真のようなトレースになります。「軟雪帯」は雪が柔らかすぎて、車両と橇が通過すると深い雪のわだちができることで古くから知られているのですが、走行する車両や橇の組みあわせ次第では、走行トレースが良好になります。後続の車両も走行しやすい状態となっています。

移動中の日々の観測は、私達が「5点セット」と呼んでいるものをルーチン的に実施しています。
・積雪量を求めるための「雪尺観測」 (2km毎、担当津滝)
・雪の化学成分分析のための積雪サンプリング (10km毎、担当は栗田と山田)
・中性子線の観測 (担当は栗田)
・アイスレーダ観測 (担当は藤田)
・積雪の物理観測 (担当はJC)

今は、12月もなかばにはいり、観測活動はピーク期間にはいっています。
観測日程は押しています。不規則や短めになるかもしれませんが、活動状況やいろいろな出来事を投稿していきたいとおもいます。

藤田記
09:15 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2018/12/10

水の話

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60次機械担当の櫻井です。今日は内陸旅行中の生活について書きます。
内陸旅行を続ける上で重要な物の一つが水です。
内陸には水がないので、雪を溶かして水を作らなければなりません。
この作業を造水(ぞうすい)と言います。

内陸旅行では『風上・風下』という事を常に意識します。日本では風の向きは変わりますが、内陸旅行のルート上では風向きは常に同じです。造水の時も雪上車の排気ガス等からの汚染を避けるために、雪上車の『風上』の雪を使います。

造水の手順は、雪をポリバケツ等の容器に詰め、その雪を雪上車のヒーターの吹き出し口に設置した造水ボックスに入れておくと、数時間でヒーターの熱で雪が解けて、雪の体積の3分の1程度の水が出来ます。出来上がった水はヒーターで加熱されているので実際は50度近いお湯になっています。


(バケツに雪を詰める津滝隊員と115号車)



(水の素=雪)
標準的な車両で真面目に造水すれば1日あたり約80リットルの水を作る事が出来
ます。特に造水に熱心な車両ではおよそ160リットルの水を作っているそうです。


(造水に熱心な115号車)
こうして作った水で生活に必要な水のほぼ全てを賄います。水は作れますが、水の使い方も日本での生活とは一味違うのでまた別の機会に書きます。

櫻井記
09:57 | 投票する | 投票数(13) | 解説・説明
2018/12/07

設営、車両隊員のお仕事と付加価値

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皆さんこんにちは。伊藤です。

今日は観測系とは違う、私たち設営車両隊員のお仕事を紹介したいと思います。

 

今旅行では車両隊員は3名。オレンジ色の車体SMシリーズの運転&整備担当隊員が1名、PBの運転担当が1名、PBの運転&整備担当が私の計3名です。
実際にはみんなで力を合わせて4台のSM、2台のPBを整備するので区分けは無いものと思ってもいいかもしれません。

車両の運転から始まり、日々の点検、故障時の対応。 これらは最低限の事。

(整備中の写真はカメラを持つ暇も無いので写真が無いことに気が付きました、、、)

 

機械なので当然故障もしますし、日本国内と違い部品も限られています。

それでも出来る限りの事はし、動かすためなら本来やってはいけない事もしなければならない時もあります。
そういった意味で整備方法もまた日本国内とは違うと言えます。

ここで求められるのは技術もそうですが、柔軟な発想を持った頭。

 

ここが壊れた。部品は無い。ならばあそこから移植し、外した部品はまたあそこから外して、、 さらにここはバイパスさせて、、、等々

 

日々の整備とは予防整備とも言われます。 壊れないようにするために行う整備。

これはとても大事な事です。

私は運転中、音楽等はかけないようにしています。 ほんのわずかな音の違い、異音などを聞き逃さないようにするためです。

 

私たち専門家が来ていることで可能になることを提案、実践していき、今までできなかったことをやれて、初めて各個人の付加価値という物が出て来るのかと思います。

更にはそれを次の世代へ引き継いでいく事(実は私はこれが苦手。。。)

見て覚えろ!の時代は終わったんですかね

 

私個人の考えですが、我々設営は観測が出来る(成功する)為にフィールドを整えるのが仕事と思っています。
その名の通り「南極地域観測隊」

出来る限り観測に影響が出ないように、ドーム旅行の場合だと観測者、研究者、物資を速やかに運び、時にはサポート。
設営作業の為に気軽に観測を止めてもらうなど本末転倒。
こんな特殊な環境なので100%それが出来ない事も分かっています。
どうしても!というときは事情を話し止めてもらうことも当然あります。そして一番大事なのは対応力かと思ます。どんな事にもどんな時にも冷静に対処できる対応力。
それこそがその人の付加価値なのかもしれません。 


私に付加価値はあるのでしょうか。 考えると夜も眠れません(笑)


伊藤記

17:15 | 投票する | 投票数(16) | 解説・説明
2018/12/07

驚きと尊敬と時代の移り変わり

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皆さんお久しぶりです。去年58次越冬隊から越冬終盤にドーム旅行に参加した伊藤です。 今年もまた60次越冬隊として2度目のドーム旅行に来ています。
日本に滞在していたのは約六カ月。。。。 人は私の事を「世捨て人」 そう呼んでいる事でしょう。実は7年連続でお正月を南極で迎える事となりました。

少し前のブログに最近の内陸旅行の近代化について触れられていましたが、私の身の回りでも相当な近代化が進んでいます。 代表的なのはPB300やドローンですがそれよりも見た目のインパクトの強い機器。


写真1: スカウター。  

これは相手の戦闘力を測ることで有名な機械某漫画)ですが、私の使い方は違います。PB300はドーム旅行で先頭を走る役目。 PC画面でナビを確認し、外をみて目標物を探し、PB300の各情報を常にチェックし、さらに両手を使い操作し、サスツルギの大きさに合わせて逐一速度、排雪ブレードの角度などを調整しています。
正直なところ去年はPC画面に目をやったその一瞬で車体が曲がりクネクネと蛇行気味になってしまっていました。(スキー場などの敷地内とは比べ物にならないほど直進が困難) その悔しさから今年はこのハイテク機器を導入しました。


前を見ながらPC画面の必要な部分だけを左目で確認しつつ運転が可能になり、蛇行は劇的に改善しました。 


(Dr岡田撮影)

問題は、、、終わった後右目と左目の視点が合わなく、気持ちが悪くなることです。まだまだ改善の余地もあると思いますが、失敗無くして前へは進めません。
目標は飛行機のボーイング787ドリームライナーに搭載されているようなヘッドアップディスプレイがあればいいのですが。
恐らく私の生涯収入位の価格なんでしょうね。

去年今年の新しい機器の導入など、9次隊の先輩たちがみたら腰を抜かしてしまうかと思います。しかしこんなものが無い時代に此処まで来た事の驚き。 
それと同時に、先駆者がいたからこそ今の私たちがある事を痛感させられます。
驚きと尊敬。これに尽きます。

私も新しい時代の1ページを書けるように日々精進です。

伊藤記
09:31 | 投票する | 投票数(15) | 解説・説明
2018/12/06

A COOP

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こんにちは。医療隊員の岡田です。僕からは2回目の投稿になりますね。今回は「A COOP(エーコープ)」についてのお話しをします。

ドームふじ基地に向かうMDルートのMD364 (中継拠点)には、このような看板が立っています。



これは45次隊が立てたもので、「A COOP中継Camp支店」と称して、次に中継拠点に立ち寄る旅行隊のためにプレゼントを埋めたのが始まりとのことです。その後も、ドーム隊旅行の度に、次隊へ何らかのプレゼントを埋める習慣が続いています。名前は日本でおなじみのA COOPからヒントを得てA=Antarctica(南極)COOPと名付けたのでしょうか(僕の勝手な推測です)。

さて、我々も中継拠点に到着した翌朝、A COOPを訪問しました。

看板前の雪を掘り返してみたところ、



雪の下から一斗缶を発見!



蓋には一年前にここに訪れた59次ドーム隊からメッセージが。



蓋を開けてみると…



中からたくさんのお菓子や食べ物が出てきました。



中にはこんなものも入っていました。



 59次ドーム隊からの嬉しいプレゼントに、メンバー全員大喜びしました。



ドーム基地に到着したら、全員で美味しく頂きます。

もちろん、帰路で中継拠点に寄った際には、我々も次のドーム隊に向けて、プレゼントを埋めておきます。中身を何にするかは「秘密」です。

過酷な旅行の中で、嬉しい出来事でした。

岡田記
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★昨年、こっそり埋めた食料の話はこちら
09:00 | 投票する | 投票数(16) | 日々のできごと
2018/12/05

中継拠点へ 11/27 - 11/29

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11/27 - 11/29の3日間をかけて、MD180を出発し、みずほ基地とドームふじの中間点である「中継拠点」(MD364)に向かいました。

ノルウェーからの同行者、BriceさんとJCさんは、移動時の車両としては、全部で6台ある車両のうち、SM100型雪上車の1台「115」号車に、津滝、藤田と共に搭乗し、4人搭乗体制でドームふじに向かいます。皆物理系の研究者なので、研究の話や打合せを折々しながら移動できるメリットをとりました。就寝時はまた別な体制をとっています。ノルウェー極地研究所に所属する同行者なのですが、そのご出身の国は、それぞれ、ベルギーとフランスです。このため、この車両の中の会話では、英語、日本語、フランス語が飛び交います。時には言語教え合いの様相にもなります。英語はともかく、日本の観測隊のなかでフランス語が飛び交う状況は、筆者の記憶にはありません。JCさんは、フランス隊でデュモンデュルビル基地からドームCへの内陸旅行にも参加経験があるため、日本隊とフランス隊の内陸トラバースを比較してのコメントは参考になります。そうしたことはまたいつか書きたいとおもいます。

11/27はMD180→MD230(50km)、翌11/28はMD230→MD302 (72km)、11/29は、MD302 -> 中継拠点(62km)の移動となりました。依然サスツルギ帯は続き、場所によっては巨大なサスツルギを多数眼にしました。往路を急ぐため、06:00朝食、07:00出発として、17:00頃まで走行します。ピステン車のうちの1台(伊藤が操縦)は、先行してピステン道をつくる目的で04:00に早出をします。

日常的なこととして、燃料補給等の作業や造水などの日常作業も、既にノルウェーの方々にも一緒にやっていただいています。Briceさん、津滝、藤田は、レーダ観測の準備の話をはじめています。JCさんは雪の観測を開始しつつあります。

11/29午後中盤に到着した中継拠点では、橇の組み替え、この地点にある各種観測装置(自動気象装置)のメンテナンスを開始しました。気圧は既に650hPaを下回りました。気温は-30℃前後です。風が無く日射が照りつける状況があれば、感じる寒さは大きく軽減されます。

11/29 夕刻の天気状況
風向150度、風速4.2m/s、気温-30.1℃、気圧636.3hPa、天気:快晴、雲量0、視程30km


 
写真1:食堂に使用している車両では、人数が12人に増えたために食卓が2つに分けられました。こちらは、車両前側に着席し食事をとる人々。左から、Brice、山田、川村、JC、藤田、他(岡田撮影)


写真2:こちらは、車両後ろ側の食卓で食事をとる人々。左から、金子、伊藤、高村。テーブルは、昭和基地越冬隊の建築担当の方が作成下さいました。(岡田撮影)


写真3:MD180から中継拠点に向かうなかで、移動路に頻出する巨大なサスツルギの連鎖。ルートはこれを延々と乗り越えてすすんでいきます。(岡田撮影)


写真4:中継拠点に到着後、無人気象観測装置のメンテナンス作業を行いました。(岡田撮影)


写真5:ノルウェー極地研究所のJCさんは、移動開始の2日目(11/28)には積雪の断面観測をキャンプ地で開始しました。(岡田撮影

藤田記
15:00 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/12/04

ノルウェーからの同行者の到着!11/26

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いよいよノルウェーからの同行者が到着するその日が来ました。長い一日のことを書くので、本日の記述はやや長いです。

フライト実施の前日である11/25の段階から、当該のBritish Antarctic Survey ( BAS)のツインオッター機の内陸隊までの運航を管理するトロル基地から、「明日はフライトを実施する」旨の連絡がはいっていました。当日11/26は、朝から穏やかな天気で、青空がひろがりました。先日まで10メートルやそれ以上あった風も弱まり、気温は-30℃前後と低い状況でした。航空機の運航にかかる事前の打ち合わせに沿って、朝から一時間毎に内陸隊からMD180地点の気象通報をトロル基地へ送り続けました。トロル基地からは、航空機がベルギーのプリンスエリザベス基地を09:07UTCに発ってフライトを開始したとの連絡がはいり、約2時間後の到着予定時刻も伝えられました。

滑走路は、降雪をともなう荒天のあとだったので、再度荒れてしまっていました。雪上車4台で再度の整地作業が実施されました。


写真1: 滑走路を再度整地するピステン車。



写真2: 整地されて航空機の到着を待つ滑走路。長さ500m、幅60mです。滑走路の片側には、50メートル毎に黒い旗を設置しており、離着陸するパイロットが距離をはかれるようになっています。


私達の居たキャンプ地も、降雪と風で雪上車や橇の周囲に吹きだまりがたくさんできていたので、航空機が到着する前にキャンプ地を約50メートル移動し、ピステン車が吹きだまりを整地をして平坦な雪面にしました。地上に居た私達は、12:00UTC過ぎに、まず双眼鏡で地平線近くに飛行機が接近してきたことを視認しました。最初遠くに見えた黒い点は、航空機が接近してくるにつれて機体の実際の色である赤い色として視認できました。

航空機は滑走路上空を通り過ぎたあと旋回し、そのまま一度滑走路に向けて降下しました。着陸するかに見えましたが、速度を落とすことはなく後脚を滑走路に接触させたのみで再び上昇しました。後に聞いたところによると、滑走路の固さや粗さを確かめるための通常の着陸前の確認手順であるそうです。前脚を着地させずまずは後脚のみで滑走路の状態をはかるのだそうです。航空機は、再度上空で旋回してから降下し、今度は着陸しました。12:21UTCでした。ベルギー基地からの所要時間は約3時間でした


写真3: 滑走路に着陸する直前のツインオッター機(川村撮影)


日本隊のメンバーは、着陸の際には、滑走路から約200メートル離れた位置に待機して着陸の様子をうかがっていました。航空機が動きを停止し、乗員が機体から機外へ降りる動作をすることを確認したのち、機体に雪上車や徒歩で接近し、降りてきた人々を挨拶を交わしました。着陸後、約1時間の短い時間を使って、ただちに荷下ろしや燃料補給が行われました。燃料は、内陸隊が輸送してきた航空機用燃料です。



写真4: 荷下ろしされた物資



写真5: 航空燃料を橇に積んだドラム缶から給油。(川村撮影)


荷下ろしや給油のひとおおりの作業を終えた後、現場に居た全員で記念撮影をしました。日本の南極観測隊員10名、ノルウェー極地研究所から同行者として参加した2名、それに、ツインオッター機のクルー(パイロットと整備士、各1名)です。


写真6: 全員で航空機を背景に記念撮影。(内陸隊撮影)


ツインオッター機のクルーの方々は、その後ただちに同日中に、まずはベルギーのプリンスエリザベス基地、そしてさらにノルウェーのトロル基地への帰路につかなければならないということで、ただちに離陸準備、そして離陸し、私達の居たMD180地点を離れました。



写真7: ツインオッター機へ乗り込む整備士の方。パイロットは男性、整備士は女性でした。(川村撮影)


以上に述べた約1時間の出来事は、すべて気温-30℃での冷たい風のなかの出来事でした。着陸から離陸に至る約1時間の作業のなかで、現場に居たメンバーの体は冷え、消耗していました。特に、暖かい機内から突然この標高2800メートルの寒冷&寒風環境に降り立ったノルウェーの方々にはこたえたようです。航空機が離陸後、到着直後のノルウェーの方々をまずは雪上車にご案内し、暖かい飲み物や甘い物で冷え切った状態からの回復をはかりました。その後、同日は、夕方までかけて、今後の行動にかかる打合せや、居住体制等の打合せ・確認作業をしました。内陸隊としての移動の再開は翌日からです。

本航空機のオペレーションの実施にあたっては、航空機の運航に関わった多方面から非常に大きな支援を受けました。オペレーション後には、ノルウェーの方2名の到着の事実を伝える連絡メール、それに、関係者間・関係機関間の連絡や礼状が多数のメールで行き交うこととなりました。日本、ノルウェー、英国、ベルギー、そして米国の方々です。

内陸隊では、これで12名のメンバー全員が揃いました。米国のカンサス大学やアラバマ大学が開発した高性能のレーダー機器も、ノルウェーの方々とともに内陸隊へ輸送されました。これらの機器は、寒冷環境に置くことはできず、到着後ただちに、保温された雪上車内に収納しました。

ここMD180地点からドームふじ地域までは、さらに陸路550キロメートルを移動しなければなりません。更なるサスツルギ帯合計約数百キロと、軟雪帯と呼ばれる地域合計約数百キロを越えてすすんでいきます。そしてそこで、今回目的としている氷床のレーダ-観測をはじめとした多くの観測タスクが待っています。荒天がもたらした遅延によって、日程的には、当初の合流日程よりも約1週間遅れています。さらには合流地点は当初予定よりも沿岸側に約60kmずれました。この遅れを、今後の日程のなかでどうやって消化していくことになるか?国際チームとしてのチーム内の調和作り・維持も、これからの課題になります。ノルウェーの方々とは、研究打合せに加え、富士山高所合宿訓練や、米国で実施したレーダ操作訓練でご一緒してきましたので、呼吸はだいぶお互いにわかっています。如何に今後、フルメンバーで、皆が納得できるような科学観測活動をすすめていくか。気をひきしめて、前進していきます。

同日、11月26日、今回人員と物資を輸送したBAS ツインオッター機は、乗員2名で13:29UTCにMD180離陸し、約2時間半後の15:53UTCにプリンセスエリザベス基地(ベルギー)に着陸。さらに16:34UTCにここを離陸、19:50UTCにトロル基地(ノルウェー)に帰還しました。これは約3時間半のフライト。そしてその二日後、この飛行機は、11月28日17:33 UTCにトロル基地を出発し、英国の基地であるハレー基地に同日20:45 UTCに到着しました。最後は約3時間のフライトでした。英国の通常の活動域(南極半島や近傍の棚氷地域など)から片道の移動で、飛行時間の総和だけでも9時間を超えます。離着陸地や経由空路の天候条件が確保される必要がありますから、自ずと日数はかかることになります。南極での活動では、陸上活動でも航空機の移動でも、荒天との遭遇状況によって簡単に1~2週間の待機・停滞時間を余儀なくされます。今回の一連の飛行オペレーションは、日程的にもかなり首尾良くすすんだと私はとらえています。実現を主導あるいは支援くださった関係諸機関には深く感謝しています。BAS ツインオッター機は、来年1月の上旬~中旬にかけて、再度ノルウェーの方々を迎えに内陸隊のところへ飛来する予定になっています。そのときに、そのときまでに続く観測活動の経過をどう振り返っているでしょうか。

藤田記
09:13 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2018/12/03

ノルウェーからの同行者の受入準備11/23 - 11/25

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11/23
前日11/22夜に、ノルウェー人同行者を乗せたフライトが11/23夕刻に来る可能性について連絡がありました。着陸に適した積雪表面として、MD180を選択し、ここへ移動しました。晴天のなか朝一番に移動し、そして種々の準備にとりかかりました。車両4台を活用した滑走路整備や、飛来する航空機に給油するための燃料ドラムの設置。人数が増えたときの居住に対応できるように雪上車内の整理や、布団等睡眠関係装備の整理等。天候は非常に良く、夕方に向けてさらに穏やかさが増してきたため、飛来するのではないかという期待がありました。しかし、結果的には、ノルウェー人同行者を乗せた航空機は、経由地のベルギーのプリンセスエリザベス基地までは午後後半に到達したものの、この日に私達のところへ飛来するのはパイロットによる判断で中止となりました。航空機の移動範囲は広く経路の気象状況も重要であるため、各離発着地点や経由地の気象条件が整わない限りフライトは困難になります。MD180まで来て、標高は約2800メートル。夜の気温はマイナス30℃を下回るようになってきました。


11/24, 11/25
降雪をともなう高い地吹雪で荒天のため、フライトはこれらの二日間も無しとなりました。筆者が寝起きする雪上車で、起床時の車外の気温は-30℃、車内は -10℃になっていました。特に寒さを実感した日々でした。冷たい風は車両の内外の熱を急速に奪っていきます。車内の水は凍り、起床後にます触るものは全て -10℃。まるで国立極地研究所の低温室の温度設定のようです。コンロの設置に手間取り、触るものはとにかく冷たい。前日の夜に火をつける直前のところまでしっかり準備しておけばよかったとつくづく思ったものでした。前日から、航空機のフライト実施には適さない天候が予報されていましたが、それが的中していました。この機会に、写真を整理したり、対応が遅れ気味になっていたブログの原稿を作成し国内へ送りました。雪上車の移動が多いときには、早朝から夕刻まで作業が続き、なかなかデス
ワークに対応する時間を見つけるのが難しいのです。

結果的には、フライトを実現できる天候状況の出現と同行者の到着を待つために、この地点に11/23夕刻から11/27朝まで滞在することとなりました。こうしたときには「待ち」が基本です。そして、フライトは翌11/26に実現します(!)。



写真1: 地吹雪で埋まり気味の橇(11/25 川村撮影)



写真2: 地吹雪で埋まり気味の雪上車列。1つの雪上車から隣の雪上車への移動には、吹きだまりの上をのぼったり下ったりすることになります。
油断すると転倒しかねません。眼をしっかりあけて地表の起伏をみるには、ゴーグル着用が必要です。(11/25 川村撮影)

藤田記
09:41 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2018/12/03

第9次隊南極点旅行隊員ならば何と言うか?

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ブログ題「2度目のブリ停滞11/19」でこんな記述をしました。

「今の時代ならではのハイテクはいろいろあります。GPSを基盤にしたPCナビゲーション、NAS、衛星を活用した通信、食材を短時間に加熱する電子レンジ。本ブログもそうです。第9次観測隊で、昭和基地から南極点までの往復旅行をおこなった方々がこれをみたらどう思うだろうかという話題が持ち上がりました。」

「昭和」の時代の古い話を書きます。
第9次隊南極点旅行隊の隊長は村山雅美氏(故人)です。観測隊のごく初期から観測隊を中心的に牽引した方々のお一人です。その時第9次南極点旅行隊の最若手の隊員は、矢内先生という方でした。第29次隊に、筆者は最若手(当時23歳)で「あすか基地」越冬に参加しました。矢内先生はこのとき基地の長でした。そこに、テレビ朝日がプロジェクトとして仕立てた「朝日南極飛行隊」がツインオッター機でTV報道クルーと村山氏などを乗せて飛来しました。基地に着いた村山氏が言った言葉は、「基地には最近の技術がたくさんあるが、本当の安全は大丈夫か?何かあったときの脱出口はどうする?」等等の辛口のことでした。先のブログの記述のあと、あの方が今の内陸隊をみても、きっとそんなことを言われるに違いないと私は勝手に想像をしていました。第29次隊であすか基地内でおこなわれたの朝日南極飛行隊の歓迎会の場では、歓迎会の宴席の間中、最若手の私は台所で皿洗い専従でした。古い思い出です。29次隊では基地の長であった矢内先生も、南極点旅行隊の場では、雪上車内の雑巾がけをたくさんやる立場にあったということをおっしゃっていました。

今の観測隊も、「安全」は最優先事項です。観測隊の永遠の課題です。

藤田記
09:29 | 投票する | 投票数(12) | 解説・説明
2018/11/30

医療隊員のお仕事

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60次ドーム隊ブログ読者の皆様、こんにちは。今回は医療隊員の岡田からお届けします。

ドーム隊において医療担当として行っている事として「健康チェック」があります。ドームふじ基地は標高3810mの高所にあるため、基地に近づくにつれて高山病を発症する可能性が出てきます。そのため常に体の状態をチェックする必要があり、酸素飽和度や血圧、体温などバイタルサイン測定を毎朝行っています。


(朝食前に健康チェックで血圧を測定している様子)

またポケットエコーによる高山病検査も60次ドーム隊にて初めて行っています。
雪上車の中とはいえ、寒い環境で行う検査は隊員にとってストレスになりますが、現在3000m地点を越え、徐々に酸素飽和度が下がってきている隊員が増えていることもあり、体調の変化があれば、いち早く見つけたいと思っています。


(エコー検査の様子)

南極の内陸旅行では、高山病以外にも日焼けや凍傷、ケガに注意が必要です。もちろん急な疾病が起こった場合、すぐに対応できるよう医療物品を含めて準備はしていますが、病気やケガを起こさないよう注意することの方が大事です。

「任務を遂行して、全員元気に帰ってくる」ことを目指して!

岡田記
17:28 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/11/30

サスツルギ帯を前進 11/22

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地吹雪はあるものの、天候が良好な状態は昨日に続いています。前日11/21と同様に06:00朝食、07:00出発としました。サスツルギによる「最大の難所」区間を通過して、76kmを前進。18:00頃にMD170でキャンプインしました。この地点で標高は2765メートル。吹き付ける寒風の気温は夕方には約-27℃。夜半には-30℃を下回ります。まさに極寒。外作業で感じる寒さは格段にきついものです。寒風が瞬く間に温もりを奪い去ります。

この日の夜23:00頃に届いたメール連絡で、翌日にノルウェー極地研究所からの人員を載せたツインオッター機が私達の内陸調査隊のところまでやってくる可能性があるとの連絡がありました。ノルウェーのトロル基地を発ったツインオッター機が、まず、沿岸にあるベルギーの基地プリンセスエリザベスに立ち寄り、その時点でこちらまで飛来するか判断をするとのこと。急遽チーム内で検討にはいり、着陸ポイントの候補地の選定や、明日一日の段取りについて目途をつけました。人工衛星データを元にした雪面の粗さの評価や、過去のルート通過時の雪面粗さの記載記録に基づき、着陸地点候補地は、現在居るMD170地点からもう10km内陸にすすんだMD180地点付近にすることとしました。また、日中に、複数の雪上車を動員して雪面を整地し滑走路とすることを検討しました。結果的には、翌日は好天が予報されていましたが移動距離は10kmとすることをこの深夜に検討することとなりました。

11/22 夕刻19:00頃の天気状況
風向170度、風速9.9m/s、気温-26.8℃、気圧694.8hPa、天気:地吹雪、雲量1、視程0.5km


写真:凸凹の多い雪面を整地しつつ先導するピステン車。

藤田記
17:21 | 投票する | 投票数(11) | 日々のできごと
2018/11/30

ドームふじルートの難所の区間 みずほ - MD180

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ドームふじルートのうち、みずほ基地付近から、MD180までは、サスツルギが多いため、車両や橇の走行にとって最大の難所になります。
吹きさらしの硬く締まった雪の凸凹の上を通過する車両や橇にとって、衝撃や振動はとても大きいのです。そうした衝撃や振動は、雪上車の故障、橇の損傷や破壊、燃料ドラムの損傷として過去に頻発してきました。平坦な場所であれば、時速7-10キロで走行できるものも、この難所区間で車両や橇を守るためには、場所によっては平均時速を3-4キロまで落とさなければなりませんでした。この180キロ区間を通過するのに、過去には5日間以上の時間が必要でした。無理して速度をあげる結果、33次隊~38次隊頃の時期には特に、橇の破壊や燃料ドラムの損傷を招いてきました。

サスツルギを極力避けるルートとして「新MDルート」として、人工衛星からみた雪面の凸凹の分布をもとに、新ルートをデザインし、54次隊、59次隊などでこれを利用してきました。この新MDルートでは、遠回りをするにもかかわらず、この難所の区間を通過する時間はMDルートよりも短くて済んでいました。

昨年はじめて、Pisten Bully PB300型車が内陸旅行での先導役をつとめました。この車両は、スキー場での雪面の整地を得意とするため、サスツルギによる雪面の凹凸を取り除きながら前進します。「新MDルート」で試した結果として、後続の車両は、時速7-10キロで走行できるようになりました。今回はじめて、このMDルートの「みずほ - MD180」の約180km区間でこのPB300型車が先導役をつとめました。かつて、第49次隊夏期に実施した内陸旅行と比べると、みずほ基地以降でのこの「難所区間」の移動効率は2倍以上となっています。かつて向き合わなければならなかったサスツルギによる衝撃や振動は大幅に減少しました。各車両にはそれぞれの特徴と役割があります。PB300型車の先導と整地があるときには、移動の効率化、他の各種車両や橇の損傷の回避、乗員の感じる衝撃やストレスの回避、移動日程の短縮という多くの点で利点が発生しています

凸凹の多いサスツルギ帯にできた整地した一本道は、通称「ピステン道」と呼ぶ道路になります。隊員間では、「高速道路だね」などと話すこともあります。結果的には、他の多くの車両や装備の寿命も延ばすことになります。そうした分析が今後必要かとおもいます。新MDルートは今後不要になるのか、その点はまだわかりません。これも、分析が必要です。


写真1:雪原に整地された通称「ピステン道」。後続の車両や橇は、このトレースをスムーズに進行できます。遠方に見えるのは、伊藤が操縦するPB100型車。(撮影:岡田)




 写真2:みずほ基地通過以降、特に高頻度で出現をはじめたサスツルギ雪面。ピステン道がもしなければ、このサスツルギ雪面の上をゆっくりと慎重にすすむことになります。(撮影:栗田)

藤田記
11:22 | 投票する | 投票数(15) | 解説・説明
2018/11/29

みずほ基地からMD94へ 11/21

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好天に恵まれ、みずほ基地を7:00に出発。夕方21:00頃まで走行を継続し、MD94とよぶ地点に到着しました。
ほぼ97kmの移動となりました。時間で獲得した大きな移動距離です。
翌日も好天が予報されており、走行を伸ばす予定です。
週末の金土に荒天が来るとの情報があります。
21日と22日で内陸高地に移動し、悪天の影響圏内から逃げ切りたいところです。

当初の到達目標地点は、MD100と呼ぶ地点でした。
ただ、そこはサスツルギ帯に相当するため、そこへのキャンプインは避けて6km手前のMD94にしたのです。

MDルートとは、みずほ(M)とドームふじ(D)地域を結ぶルートです。ルート番号は、キロメートルの距離を表します。
ドームふじは、MD732とMD734の中間地点にあります。みずほ付近からは735キロあまりの距離があります。そのうちの約7分の1を、今日一日で走行しました。
本ブログへの投稿は、実際の日程よりも遅れ気味が続いています。日中の行動に夜までかけて時間を使っていることが一因です。終日の車両の運転や諸観測で、その日一日の余力を使い果たし気味です。

みずほ基地やMDルートは、進行約2km毎に標高が約5-10メートル程度あがります。MD94地点の標高は2514メートル。気圧も700hPa前後になりました。空気が薄くなっていることを日々実感しています。


写真:日中の行動中、観測を担う車両が2台あります。1台(SM111、栗田・山田が搭乗)は、積雪サンプリングを担います。もう1台(SM115、津滝・高村・藤田が搭乗)は氷床レーダ観測と氷床質量収支観測(雪尺計測)を担います。観測頻度や所要時間がそれぞれ異なるので、これらの2台の車両は、6台の雪上車隊列の最後尾を、追い越したり追い越されたりして進行します。写真は、SM115号車の右側から追い越していくSM111号車です。車窓には氷床レーダ観測のアンテナの一部が映っています。

藤田記
17:22 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/11/29

みずほ基地へ11/20

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ほぼ3日間続いた悪天傾向の後、11月20日の朝には晴れ間ものぞき視程も改善、天候はだいぶ回復していました。
午前中に、約20km移動し、みずほ基地に到着しました。
基地から約16kmの地点で、双眼鏡を使って、30メートル気象観測タワーを視認できていました。

午後からは当初から予定していた各種作業にとりかかりました。
地横に設置されている101本雪尺列の観測、インターバルカメラや無人気象観測のメンテナンス。
設営系では、帰路に利用する燃料をここにデポ。また、雪上車の整備をおこないました。

キャンプ地は、実際の基地からは約2km離れているIM1と呼ばれる場所です。
夕食をとった後に、全員で基地を訪問しました。

11/20 夕刻の天気状況
風向90度、風速3.9m/s、気温-18.5℃、気圧740.7hPa、天気:晴れ、雲量3、視程2km


写真1:みずほ基地の30メートル気象観測タワー。第20次越冬隊が設置したものです。現在も安定感を保ってそびえています。
基地から16kmまで近づいたところですでに視認できました。



写真2:基地中心部遠景。基地施設は建立間もなく雪に埋まったものです。
飛雪の多い地域に建築物があると、それをおおうように雪がつきます。
結果的に、基地はあたかも雪の丘のようになっています。
南極内陸では、高床式の構造にしない限り、建築物は間もなく埋まる運命にあります。基地を建てなければ、ここに雪の丘は存在しなかったはずです。


 
写真3:みずほ基地の看板。この看板も、雪に埋まることなく何十年も安定感をもって立ち続けています。
木製看板の裏側には、かつてここを訪れた各観測隊員の記念記名が無数にあります。
現在は雪の下に埋まっている基地に降りる入り口は、この看板の後方にあります。



 写真4:赤白ポールの位置は、測量級GPSを用いて氷床流動観測をする基準点です。
この基地は、年間に約20メートル以上の早さでしらせ氷河方向に向かって流動しています。津滝隊員が三脚を立てて、GPSセンサーをここに設置する作業をおこなっているところです。2時間の測位観測をおこないました。後方にみえるのは、101本雪尺列です。



写真5:上と同じ付近の写真です。101本雪尺を背景に、GPS観測点。
二人の隊員(栗田、山田)は、昨年ここに設置したインターバルカメラのメンテナンス作業をおこなっています。


 
写真6:インターバルカメラのメンテナンス。
1年間この地点の雪面状況を繰り返し撮影の画像記録として観測したデータは成功理に回収されました。
作業者は栗田と山田。


写真7:午後後半には、西の空の太陽の両側にハロー(眩日)が出現しました。(撮影:津滝)



 写真8:夕食後、全員で基地の場所を訪れ、基地の看板を囲んで記念撮影をしました。
看板がやや東向きなので、西に太陽があったためやや逆光気味。(撮影:内陸ドーム隊)


 
写真9:IM1でのキャンプ体制。翌日は好天が予報されており、長めに移動することが計画されています。

藤田記
11:12 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2018/11/28

2度目のブリ停滞11/19

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前日から続いた悪天のため、終日停滞しました。みずほ基地まであと約20kmの地点Z80です。こうした日には、無理をせず、好天時に歩みを早めることが効率がいいです。荒天をついてノロノロすすむのでは、わずかな前進と引き替えに貴重な燃料を普段通りに消費してしまい、結果的には非効率な側面がでます。


今回のチームは、6台ある雪上車のうちの1台に、NAS(Network Assisted Storage; ネットワーク上に置いた記録装置)を装備しています。撮影した写真や動画や、運営上必要なファイルをここに集めてWiFi経由で各車で隊員が操作するPCからアクセスします。今回のブログ書きでは、写真を多用できていますが、これはNASの存在が大きいのです。多くの隊員が撮影した写真から選択することができます。この日、PCに向かう余裕ができたため、NASにアクセスし、ブログ書きをすすめました。忙し過ぎて、すぐには手が出なかったのです。S16での一連の出発準備期間の出来事をこの日まとめて投稿しました。


今の時代ならではのハイテクはいろいろあります。GPSを基盤にしたPCナビゲーション、NAS、衛星を活用した通信、食材を短時間に加熱する電子レンジ。

本ブログもそうです。第9次観測隊で、昭和基地から南極点までの往復旅行をおこなった方々がこれをみたらどう思うだろうかという話題が持ち上がりました。


食事は朝昼はブランチ。塩焼きそばを楽しみました(下の写真)。



11/19 夕刻の天気状況

風向80度、風速8.9m/s、気温-13.8℃、気圧736.9hPa、天気:曇り、雲量10、視程0.5km



写真1:外はブリのなか、雪上車内で食事の調理にあたる栗田(敬称略)。メニューは塩焼きそば。


写真2:雪上車内での食事(岡田、高村)




写真3:雪上車内での食事(川村)



写真4:インマルサット衛星回線経由でインターネットから取得した気象情報。

Antarctic Mesoscale Prediction System 略称AMPS。米国の大学が運営するサイトです。この先5日間の天候の推移を読み取ることができます。19日現在、南極みずほ基地近傍は擾乱が入り込み、湿度があがり、降雪がある状況です(緑色の表示)。22日、23日頃に、高気圧帯におおわれ天候が良好になることが読み取れます。その好天時に一気に前進できれば良いなという話題になりました。これも、現代ならではの科学技術のお陰で入手できている情報です。


藤田記
16:30 | 投票する | 投票数(11) | 日々のできごと
2018/11/28

悪天傾向のなかの移動 11/18

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ブリザード明けの早朝07:00に、天候が一時的に改善したためH288を出発しました。ホワイトアウト状態のなかでしたが、ルートに沿って観測をおこないながら、Z80地点まで約70km移動しました。視界が悪く、雪面の陰影も地平線も非常に見えにくい状態でした。雪面をみても前方を直前に走行した車両のトレースを認識することが難しく、また、前方を走行する車両も、100メートルも離れるともはや視認できません。時折、車載のナビゲーションシステムに頼るナビ走行となりました。運転者にとっては、窓の外の景色の情報や役にたたず、PCナビ画面に現れる位置情報や車速、進行方向、ルートからのずれの情報に注意力を注ぎ込むことになります。こうした状況で、天候は夕刻に向けてさらに悪化しました。この日の午後後半は進行速度が特に落ちました。キャンプインした地点から、みずほ基地到着まで、残りの走行は約20kmとなりました。

この地域は、沿岸からの距離が約200km程度の地域にあり、標高はまだ2千メートル程度です。沿岸に接近する低気圧の影響を強く受ける環境下にあります。標高が2500mをこえるような内陸に入ると、沿岸の低気圧圏内から徐々に脱し、逆に、大陸内陸部をおおう高気圧帯「極冠高気圧」の圏内にはいっていくことになります。降雪を伴う雲も進入して来にくく、そこでは晴天となる確率があがってきます。昨年同時期に内陸ドームふじに向かった内陸調査チームも、ちょうどみずほ基地手前のこの地域でブリザード停滞(ブリ停滞といいます)し、1地点で合計5日間の足止めとなりました。今年のブリ停滞の足止め日数はまだそこまでは行っていません。

11/18 夕刻の天気状況
天気:吹雪、雲量10、視程0.1km以下(下の写真)


写真:夕刻にキャンプ体制に入る際に、約数十メートル先を走行する車両と橇が上のように見えました。こうした天候では、進行効率が著しく落ち、様々なリスクも増大することになります。キャンプ体制の構築までも、通常より多くの時間がかかりました。翌日は朝から同様の天候で、ブリ停滞することになりました。

藤田記
10:02 | 投票する | 投票数(10) | 日々のできごと
2018/11/27

H288での悪天停滞11/17

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昨夕から続く終日の雪嵐の悪天となり、内陸隊は移動せずH288地点に停滞しました。
こうした停滞の日は、休養にあてます。朝食と昼食をあわせてブランチに。そして、まだ出発して3日めですから、物品の配置など、合理化しなければいけないことも多々あります。車内の整理をおこないました。

11/17 19:00の天気状況
風向75度、風速9.8m/s、気温-15.0℃、気圧772.8hPa、天気:吹雪、雲量10、視程0.1km

 
車両から隣の車両をのぞむ。雪嵐でほとんど輪郭がみえません。
両の下側に縦線のようにみえるのは、車間の移動時の安全確保のための命綱(ライフロープ)。
嵐の激しいときにはこれを目印に隣の車両に移動します。

藤田記
16:17 | 投票する | 投票数(12) | 日々のできごと
2018/11/27

H128-H288への移動11/16

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内陸行動の2日目は、約86kmの移動となり、内陸旅行初期としては大きな移動量となりました。悪天が間もなく来ます。できるだけ、悪天度合いの激しい沿岸から早期に遠ざかることができれば、その後の行動の負担も軽減します。
天気は朝から曇天、ホワイトアウトとなりました。ホワイトアウトとは、全天をおおう雲と、雪と、降雪のために、すべて白色のなかで光が散乱し、雪の表面のコントラスト(陰影)も、地平線の位置も、わかりにくくなる現象です。ほぼ終日ホワイトアウトだった後、夕刻、南方に若干の晴れ間がみえました。しかし、夕刻に夕食を終えた頃には風雪が強まり、予報されていたブリザード(雪嵐)がついにはじまりました。日中に移動できただけでもタイミング的には幸運でした。早朝から行動し、夕方19:30頃まで行動を続けたため、食事は21:00過ぎとなりました。もう一時間でも行動時間を引き延ばしていれば、雪嵐に巻き込まれ、キャンプ体制の構築に支障が起こったことでしょう。
追って日本隊に参加するノルウェーからの同行者2名はすでにノルウェーの南極基地であるトロル基地に滞在し待機しています。これらの2名を輸送する航空機の回送が遅れているため、合流はさらに1週間程度先になりそうです。

初日と2日目で、片道全体行程約1050kmの約1/7を移動した計算になります。でも、きっと悪天等で移動できない日もきます。移動量を増やすには、運転速度を上げることはできません。車体や橇や橇積載物資に過度の負担を与えるためです。走行時間を増やすことが唯一の方策になります。車速は、雪面の状態や、視界の状況等に応じ、概ねの平均時速5キロ~10キロの範囲です。凸凹の激しい、サスツルギ帯と呼ぶ地域では、時速3キロ~4キロの範囲に落ち込むときもあります。この場合、通常の徒歩の方が早いくらいです。

生活としては、雪上車の廃熱でつくったお湯を使って、衣類の洗濯を開始したメンバーが居ました。この日の夕食はカレーでした。

11/16 19:20の天気状況
風向90度、風速6.9m/s、気温-16.7℃、気圧777.0hPa、天気:曇り、雲量10-、視程0.5km


 
ホワイトアウトのなかでキャンプイン体制にはいる雪上車隊列(川村撮影)


キャンプイン後、雪嵐がはじまりつつあるなか、ピステン車に燃料補給を行う隊員(川村撮影)

藤田記
09:03 | 投票する | 投票数(13) | 日々のできごと
2018/11/26

雪尺による表面質量収支モニタリング観測

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今回の記事は、東京大学大気海洋研究所の特任研究員である津滝さんからの報告です!
普段は氷河の流動や質量収支にかかる研究をされています。(Researchmapより)
ICC事務局代理

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当ブログ読者のみなさま、はじめまして。60次観測隊員の津滝です。
私は今回の内陸トラバース調査のなかで、主にアイスレーダによる氷厚・氷床内部層構造探査と、氷床の表面質量収支モニタリングを担当しています。
今日は表面質量収支モニタリングについてご紹介します。

南極氷床は地球上の淡水の約90%を占めています。氷床が全て海洋に融出すると、海水面は約60メートル上昇すると見積もられています。人工衛星観測や数値モデル実験の成果によって、近年では氷床量が年々減少していることが報告されており、地球規模での環境変化への影響が指摘されています。

南極氷床の質量収支は、降雪量や融解・流出量の収支からなる表面質量収支と、氷床沿岸から海洋へ流出する氷の量のバランスで決まります。このうち前者は主に氷床質量を増やす量(涵養量)、後者は減らす量(消耗量)に関わります。今回の内陸調査では、氷床を増やす量に関わる、表面質量収支を明らかにすることを目的としています。日本南極地域観測隊の中で、表面質量収支モニタリングは長い歴史を持っています。昭和基地周辺の沿岸からみずほ基地に至る、約250キロメートルのトラバースルート沿いでは1970年代前半から、ドームふじ基地に至る約1000キロメートルのルート沿いでは、1990年代から継続して調査が行われています。60次内陸調査でも、モニタリング観測課題「南極氷床の質量収支モニタリング」(代表:国立極地研究所 本山秀明教授)の一環として実施しています。

氷床上のある地点での表面質量収支は、ある期間の氷床表面(雪面)の高さの変化に積雪の密度をかけて、水当量に換算して求めます。水当量に換算する理由は、氷床表面が場所によってはフワフワの軽い雪だったり、カチカチに固まった雪だったりするためです。雪面を上昇させる要素は、主に降雪と、風によって他所から飛ばされてきた積雪(再堆積)です。一方低下させる要素は、主に積雪が風によって他所へ飛ばされる削剥です。トラバースルート沿いでは、気温は夏期でもほぼ氷点下であり、日射で融解したとしてもすぐに再凍結するため、積雪の融解・融解水の流出はほとんど起こりません。南極地域観測隊では、この雪面の高さの変化を、雪尺と称する赤旗がついた、長さ2.5メートルの竹竿を用いて計測しています(写真1左)。雪面から雪尺の上端までの長さを定規で測定し(写真1右)、前回測定時との差を求めることで、雪面の高さの変化を明らかにします。雪尺は雪面から1.8~2.0メートル飛び出すように埋設しますが、基本的に氷床内陸の表面質量収支は涵養(雪面が上昇)なので、雪尺はやがて雪に埋もれていきます。そのため、雪面から雪尺上端までの長さが80センチメートル以下の場合は、新しい雪尺をすぐ近くに立て直しています(写真1左)。このようにして、40年以上にわたって観測を継続させています。


写真1:(左)トラバースルート沿いに埋設された雪尺、(右)表面質量収支の調査風景

このような雪尺は、沿岸のS16地点からドームふじ基地に至る約1000キロメートルのルート沿いに、約2キロメートル毎に約500点埋設されています。この間、表面質量収支や雪面の状態は大きく変化しています。沿岸に近い地域では降雪量が多く、雪面も比較的なだらかですが(写真2)、現在滞在している内陸へ約400キロメートル入った地域では、降雪量は減少していく一方、強い大陸表面下降風(カタバ風)による積雪の削剥が顕著で、サスツルギと呼ばれる雪面起伏形状が多く見られます(写真1右)。これらの多様な積雪環境の違いが、表面質量収支にどのような影響を及ぼすのかを、明らかにしていきたいと思います。


写真2:沿岸に近い地域の比較的なだらかな雪面

雪尺観測は点数が非常に多いため、正確さとともにスピードも重要です。写真3のように、雪上車から雪尺へのアプローチはダッシュが基本です!
 (最近は標高が上がってきて空気が薄いので、ダッシュが辛いです…)



写真3:雪尺へ向かってダッシュ!

津滝記
11:12 | 投票する | 投票数(13) | 解説・説明
2018/11/26

内陸行動初日11/15

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内陸行動の初日、移動は、S16地点から、より内陸H128と呼ぶ地点まで、合計約77kmの移動となりました。初日ですから、まだ車両や装備・物資の調子を確認したり、各種作業手順やルートの走り方などを確認しつつの行動になります。初日の移動77kmというのは、内陸隊の往路初日としてはかなり大きな移動量です。よくある例は、午前中に車両や橇を確認し、夕方16:00頃まで走行してキャンプインするような事例です。今回は、荒天が来ることが予測されていたこと、それに、日程が既に計画時から4~5日遅れていることなども検討材料にし、天気の状況が良好なうちになるべく移動しておきたいという事情がありました。

観測も初日から開始しています。雪尺と呼び、ルート沿い2kmおきに雪上に設置したステークの高さを計測し、前年の同時期からの積雪量を計測します。1980年代後半から継続している、非常に高い価値をもったデータを蓄積してきています。積雪に含まれる各種イオン成分や、水同位体比などを計測するための積雪サンプリングも、ルート沿い10km毎に実施を開始しました。氷床レーダ観測(UHF帯レーダ)は、ルートに沿った連続観測です。

この日の夕方、走行中の車両の廃熱を利用し雪を融かしてお湯にし、早速お湯のシャワーを浴びたメンバーも居ました。ケープタウンを離れてからこれまでの長い道のりの重労働でたまった汗と汚れを落とすことができました。

11/15 19:50の天気状況
風向70度、風速2.1m/s、気温-26.2℃、気圧822.8hPa、天気:曇り、雲量9、視程30km


南極氷床の上にトレースを刻んで前進する雪上車と橇(櫻井撮影)


氷床のレーダ観測を実施しつつ前進する雪上車(津滝撮影)


氷床の上に2km毎に設置されたルート標識の竹竿。これは積雪量を観測するためのステークです。(津滝撮影)


77kmの移動には、移動中や移動後に、あわせて数回の燃料補給を実施します。軽油入りの燃料ドラムから、専用の手回しポンプを用いて、雪上車の給油口に燃料を送り込みます。(櫻井撮影)

藤田記
11:04 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/11/26

内陸に向けて出発!

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ドーム隊から便りが届きましたので、少し時差がありますが、随時公開していきます!
ICC事務局代理

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11月15日早朝、ついに出発の時を迎えました。朝06:00から朝食、そして、準備がととのった7時過ぎに出発となりました。
低気圧が接近し、翌日には悪天が来ることが予報されていました。
曇天のなか、記念写真を撮影し、各車両が橇を牽引しルートに沿った内陸への移動を開始しました。


第59次観測隊と第60次観測隊の隊旗を掲げ記念撮影。11月15日早朝、内陸ドーム隊撮影。

藤田記
09:04 | 投票する | 投票数(11) | 日々のできごと
2018/11/20

S16での出発準備作業

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11月10日~14日の期間に行われた60次夏期内陸旅行の出発準備について紹介します。

この期間におこなった作業は、ドームふじ旅行隊出発準備として、雪上車や橇の回送、車両整備、物資整理、橇編成などがありました
旅行隊メンバーは全員で10名、さらに、第59次越冬隊からも4名の方々が現地作業の支援にあたってくださいました。

内陸ドーム隊員は、11月10日に大陸に向けて出発しました。一部の人員は先行して大陸沿岸の拠点「S16」へこの日のうちに行き、残りの人員は途中の海氷から大陸への上陸地点「とっつき岬」に一泊し、翌日昼に到着しました。この段階で、とっつき岬からS16へ、内陸旅行で使用する雪上車や橇の一部を回送しました。

11月11日以降、車両整備、物資整理、橇編成の作業を本格化し、これを14日まで継続しました。
4日間をかけた大作業でしたため、写真を使ってご紹介したいと思います。

59次隊が、今から約1年前に既にこの旅行隊のために南極昭和基地に船舶輸送していた物資と、新たに60次隊が先遣隊として航空輸送した物資を整理し、橇に積載し、橇を必要な順番で配列・連結していきました。


写真1:物資を搭載し連結作業途中の通称「2トン橇」(撮影:川村)


写真2:燃料輸送に主力として用いる大型橇「リーマン橇」(撮影:川村)


写真3:橇の連結作業にあたる隊員。ワイヤーを、シャックルと呼ぶ留め具で連結していきます。(撮影:川村)


一方、旅行開始とともにただちに開始する観測の準備や、ドームふじ地域に到着したらただちに開始する観測の準備もここでおこないました。
氷床レーダ観測として、厚さ2千~3千メートルに及ぶ厚い氷「氷床」の内部の層構造を計測するレーダ装置の設置をおこないました。
「UHF帯」の電磁波を用いるレーダで、このレーダで往路S16地点からドームふじ到着までの片道の観測を実施します


写真4:雪上車を風よけにして、雪面でレーダの送受信用のアンテナを組み上げました。


写真5:組み上げたアンテナを、脚立を使って雪上車に設置された単管パイプ機構に設置していきます。(撮影:川村)


写真6:出発の前日である11月14日夕刻までに、レーダの本体、アンテナ、アンテナ用の信号の配線の設置を完了し、電波の送受信の試験も行いました。
写真中の左側のアンテナから電波を送信し、氷の内部で反射・散乱して戻ってきた信号を、右側のアンテナで受信します。
レーダは順調に動作し、約600メートルの厚さの氷の内部での散乱信号と、氷と大陸岩盤の境界面から跳ね返ってくる信号をとらえました。


写真7:雪上車の内部の棚に設置したレーダ機器の数々。上段の棚に設置したレーダは、ドームふじまでの往路で使用するUHFレーダです。
ドームふじに到着後は、下段の棚に設置したVHFレーダを用いて氷床の底面付近の層構造を観測します。


ドームふじに到着した後には、こうして雪上車に搭載をすすめている日本のレーダとあわせ、米国カンサス大学やアラバマ大学が製作し、今回日本・米国・ノルウェーが3国共同で運用するレーダを使用します。
このレーダが使用する電力が比較的大きいため、専用のガソリンエンジン式発電機を雪上車に設置します。
ガソリンエンジンを密閉空間である雪上車内で運転するわけにはいかないため、今回、雪上車の屋根に2台のガソリンエンジン式発電機を設置しました。
機械担当の方々がこの作業を担いました。


写真8:雪上車の屋根に、ガソリンエンジン式発電機をクレーンを用いて設置。
雪上車前部の単管パイプには、ドームふじへの到着後に大型のアンテナを設置する予定です。


写真9:2台の発電機を搭載し、その後、それらに毛布を巻いて保護しました。ドームふじ近傍でその力を発揮する予定です。


現地の作業としては、ピステンPB300型車と呼ぶ車種の2台の雪上車の整備がすすめられたほか、車両の連結作業がすすめられ、11月14日の夕刻までかかって完了しました。今回使用する雪上車としては、大原SM100型車と呼ぶ車種の4台の雪上車もあります。これらの雪上車の整備作業は、8月以降、第59次越冬隊の方々がすすめてくださっていました。


写真10:雪上車後部での作業。(撮影:川村)


この期間現地で作業に携わった人々の写真を紹介します。


写真11:59次越冬隊のメンバー。うち2名は今回の旅行に参加します。4名は、準備の支援にあたってくださった方々です。


写真12:今回の内陸ドーム旅行に参加する10名の隊員。後日、ノルウェーの隊員2名が、内陸に航空機で飛来し、このチームに加わります。(11月14日朝、支援隊撮影)


写真13:支援隊4名と内陸ドーム旅行隊10名の全員写真。左側の車両はピステンPB300型車、右側の車両は大原SM100型車。(11月14日朝、支援隊撮影)


いよいよ翌日からの出発に向けて、万全を期した準備を心がけました。緊急必要物資が発生し、昭和基地に依頼して届けていただいた物資もありました。
力を尽くしてくれた昭和越冬隊の皆様、それに、出発支援にあたってくださった支援隊の皆様、大変にありがとうございました。


写真14:翌朝早朝の出発に備え、出発隊列を組んだ雪上車と橇。この頃には曇天となりました。低気圧の接近が予報されていました。(11月14日夕刻、川村撮影)


写真15:同上(11月14日夕刻、山田撮影)


写真16:南に沈んでゆく深夜の太陽(櫻井撮影)

藤田記
15:21 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/11/20

昭和基地到着時の写真

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去る11月9日に、昭和基地近傍の海氷上に整備された滑走路に到着した際の集合写真を紹介します。
撮影者は、第59次越冬隊です。この日、59次越冬隊員のみなさんに温かく迎えて頂きました。
59次越冬隊員のみなさんには、滑走路の整備からドームふじ基地旅行の準備に至るまで、大変なご尽力を頂きました。深く感謝申しあげます。



藤田記
09:10 | 投票する | 投票数(11) | 日々のできごと
2018/11/16

ケープから昭和基地への道のり

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ドーム隊より連絡がありました!
現在は無事に内陸旅行を開始したとのことです。ICC事務局代理

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ブログへの投稿が久しぶりになってしまいました。南極入りに際して、日々の動きが大きく、チームとしてとても忙しい時期が続いていました。
ブログには手を出せずにいました。

チームに起こった動きを順次記載します。ちょっと長いです。

 

11月8日
第60次観測隊先遣隊チームは、11月8日にケープタウンを発ち南極に向かいました。ケープタウンから、南極ノボラザレフスカヤ基地への移動は、南極に向かう航空網であるDROMLANのチャーター機で、約5時間の飛行になります。現地の天候の影響から、結果的にこのフライト実行はここまで延期されました。

 

上図:ケープタウンから、南極ノボラザレフスカヤ基地への飛行ルート。

 

上図:ケープタウンの空港の出発案内表示。Antarcticaとして行き先が表示されました。

 

上図:搭乗直前に撮影したイリューシン76型機。
「機体の安定性は際立っている」とALCIの関係者は口を揃えて評価していました。日本の観測隊員の防寒着一式が入った袋が航空機の前に並べられています。航空機が現地に着く直前に、-15℃前後の寒風にも耐えられるような衣類を着込みます。

 

上図:南極に向かう経路で、飛行行程の1/3を過ぎた頃、海氷が海をおおう領域の上空の飛行となりました。飛行機の窓から。

 

上図:ノボ基地滑走路に着陸直後のイリューシン機。16:50ノボ滑走路着陸。

20:30迄約3時間半、機中から機外へのの搭載物資の荷下ろしに立ち会い。-15℃程度の冷たい風の吹きさらしのなかでの作業となりました。一部すぐに確認できなかった物資が発生し一時ヒヤリとしましたが、翌日までに解決しました。

 

11月9日
10名の先遣隊員は、ノボ滑走路横の簡易宿泊施設に一泊したあと、バスラ-ターボ67型機というプロペラ機に乗り換え、昭和基地に向かいました。航空機の運航にかかる状況は、天候状況に応じて大きく変化します。実際に現地指揮官から出発が言い渡されるのが出発数時間前になります。早い昼食を11時半頃に済ませ、航空機に荷物を搭載後、13:00頃に出発となりました。昭和基地までの飛行は約3時間半でした。

上図:バスラ-ターボ機への物資の積み込み風景。
物資の総量は、約1,400kg。この重量を、搭乗人員の重量と合わせると、約2,500kgとなります。当初は、給油せずに昭和基地へ直行は無理と運行側が判断し、途中経路にあるベルギー基地に一旦着陸・給油する予定でした。運行側のその後の判断で、結果的には途中着陸と給油のない直行便となりました。ベルギー基地近傍から近くにある山塊を眺めることができなかったのは少々残念でした。

 

上図:スマホ画面に表示された移動の軌跡。上はアフリカ大陸南端です。下側が南極大陸。昭和基地の近傍にある湾で「リュッツォ・ホルム湾」上空でのものです。間もなく昭和基地に着陸。

 

 昭和基地への到着は、現地時間の夕刻となりました。昭和基地近くの海氷の上につくられた滑走録に着陸。越冬隊の方々の暖かい出迎えをいただき、昭和基地にはいりました。

先遣隊チームの昭和基地入りの様子は、国立極地研究所のホームページ「60次隊NOW」に掲載されたはず、、、。翌11月10日には昭和基地を離れたので、私達は確認できていません。「第60次隊先遣隊」の往路に行動を共にした10名のチームの一緒の行動はここまでです。10名中8名は、内陸ドーム隊として、内陸に向かいます。地学研究の2名の方々は、昭和基地近傍での調査活動にあたります。

11月10日
8名の先遣隊内陸ドーム隊員は、昭和基地で越冬隊員として過ごしてきた2名の方々と合流し、東オングル島という島にある昭和基地から、南極大陸の沿岸の拠点「S16」に雪上車で向かいました。当初予定では、昭和基地に数日滞在するはずでした。しかし、天候不順で航空機の諸日程が遅れたため、早期に内陸行動にはいる必要がありました。こうして、航空機での到着の翌日には既に内陸活動の準備として大陸に向かいました。こうした機動的な動きができたのは、第59次越冬隊の方々が昭和基地をベースとして全面的にこの内陸旅行準備を支援してくださったお陰です。深い感謝を申しあげます。

藤田記
21:41 | 投票する | 投票数(14) | 日々のできごと
2018/11/06

南極に向かうフライトを待つ時間

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ケープタウンに到着してから、週末も挟んで5日経過しました。気持ちは南極へ急ぎます。昭和基地の方々も大変な努力をして受入体制をつくっていると伺っています。
 
南極に向かうフライトは、主に南極大陸側の気象条件によって影響されます。現状では、南極大陸の経由地である「ノボラザレフスカヤ基地滑走路」の天候状況が離着陸には適さない状況となっているため、フライトは11月8日(木)まで順延となりました。離着陸に適さない横風が滑走路に吹いているためです。一方、ノボラザレフスカヤ基地滑走路では、10月下旬に既に南極大陸入りしている外国隊の隊員が、2週間以上足止めとなっているという情報もあります。私達が順調に11月8日(木)に南極大陸入りしても、足止めを食らっている外国隊の移動が優先される見込みです。ですので、私達が昭和基地に到達するまでは、まだ様々な条件によって影響され、遅れる可能性も大きく存在します。

 
私達先遣隊隊員は、こうした状況のなか、ケープタウンで待機時間を過ごしています。
昨日は、チーム内でレーダ観測の打合せを実施しました。観測にこれから臨むイメージトレーニング的な打合せです。また、航空機への預け荷物はすでに航空機を運航するALCIに預けました。情報の事前確認など、観測準備に念を入れるチャンスでもあります。前向きにとらえ、遅れを少しでも補っていければとおもっています。また、先遣隊のなかには、越冬隊として2020年3月まで南極に越冬滞在される方々がおられます。これらの方々は、街の環境で過ごすラストチャンスのひとときでもあります。次に街の環境に出るのは、約15カ月も先になります。先遣隊で南極入りし、越冬後に本隊とともに「しらせ」で帰国すると、通常の本隊の越冬隊員の方々よりも1月長い南極の滞在になります。
 
この週末には、郊外に出かける機会もありました。宿泊地周辺や外出先、あるいは諸行事など、写真をいくつか紹介していきます。
 
 
  
 
  
【宿泊先】 現在の宿泊先は、ケープタウン市内のwaterfrontと呼ばれる地域にあるBreak Water Lodge (BWL)というホテルです。過去には、刑務所として使用されていた建物です。その建物が、現在は一部をホテル、そして一部を大学キャンパスとして使用しています。写真左は現在。右は、刑務所として使用されていた時代のものです。
 

  

  
【ホテル近傍の風景】ホテルの庭付近からみた風景。左上:市内に見える小高い丘には登りたくなりますが、治安は良くない町なので、出向くことはできません。右上:近くのショッピング区画に出かける方々。左下:向かいには水族館が。右下:ホテル庭からみた風景。
 


【週末】 週末には、航空機を運航するALCIの方々とケープタウン郊外で食事を共にし、航空機運行側の方々との貴重なコミュニケーションの時間をとることができました。経営を実質的に担う4名の方々とじっくり話すことができました。背景の遠くにはテーブルマウンテンが写っています。

 
  
【航空機預け荷物を預け】11月5日には、既に航空機への預け荷物を計量し、ALCIに届けました。物資は、私達よりも先に航空機に搭載されています。
 
 
  

【街の周辺の山々】左上:近郊にある「ライオンヘッド」と呼ばれる山。右上:宿泊先近くに見える丘。その後ろにはライオンヘッドがみえています。これらは、テーブルマウンテンから連なる大小の一連の山々です。左下:waterfrontからみた、テーブルマウンテン。標高千メートルを超えています。山頂へは、登山道のほか、ケーブルカーでごく短時間で訪れることができます。
 
 
  

  
【Food Market】宿泊先近くの、V&A Food Market という施設やその周辺。多くの食堂や食品店が入っています。この地域の治安は比較的安全と言われています。それでも外出時は要注意で過ごしています。

【ホテルからwaterfront付近の夕景】天気は「曇り時々晴れ一時雨」のような天気です。寒気がはいり、空気は肌寒いです。時折、小雨や大雨が降っています。寒いときには、南極行きのための用意してある衣類を着ることもあります。風は概して強いです。


20:00 | 投票する | 投票数(20) | 日々のできごと
2018/11/03

プレフライトブリーフィング、他

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ケープタウンに到着後11/2の作業などを紹介します。

・物資の確認や調整
 南極へ輸送する物資を保管する倉庫へ出向き、物資が間違いなく届いているか確認する作業、それに、そのなかから一部の装備品を取り出し、携行用に回収する作業をおこなっています。

・気象観測ウェブセミナー
 南極での活動の安全を高める上で、気象観測技術を高めるための研修として、ウェブセミナー(Webinar)がALCIで実施されました。ドイツのアルフレットウェゲナー極地海洋研究所、南極トロル基地(ノルウェーが運営)、それにケープタウンのALCIをビデオ会議で結び、約1時間の研修が行われました。先遣隊員は全員で参加しました。


写真: ウェブセミナーで南極トロル基地(左側)とケープタウン(右側)を繋いだディスプレイ画面。ケープタウン側の参加者の多くは日本隊の隊員です。

・プレフライトブリーフィング
 気象観測ウェブセミナーに続き、南極に向かう航空網(DROMLAN)の航空機搭乗前の事前説明会が行われました。搭乗にあたっての諸注意を聞いてきました。南極の各基地の気象状況から、航空機の運航スケジュールは影響を受けています。私達が南極入りするフライトは、週明け火曜日(6日)として現時点ではスケジュールされています。



11:24 | 投票する | 投票数(17) | 日々のできごと
2018/11/01

羽田出発後24時間の移動

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 先遣隊は、10月31日夕刻に羽田空港を出発後、ほぼ24時間をかけて航空機で移動し、日本時間の11月1日夕刻(南ア時間09:30頃)ケープタウン空港に到着しました。

図は、シンガポール航空での移動経路です。機内のスクリーンから。

まず、羽田からシンガポールへ。現地深夜着。乗り継ぎ時間は約2時間。


インド洋上を深夜から早朝にかけて飛行し、南アのヨハネススブルグへ。ここで一旦着陸。


再度離陸して、ヨハネスブルグから更に2時間あまりのフライトでした。

現地では、先に現地入りをしていた極地研職員とALCI(南極航空網の運行組織)の方が迎えてくださり、市内の宿泊地に移動しました。時差のため、既に日本の夕刻のタイミングでしたが、24時間の移動のあとに現地時間の朝となりました。市内の宿泊先に移動し、現地の確認や、明日以降の準備や打合せに入りました。人員・装備共に異常ありません。


私たちが搭乗したシンガポール航空機。ケープタウン空港にて。


入国審査を通過して、預け荷物を受け取りました。ケープタウン空港にて。


荷物を車両に積載し出発(空港にて)

23:15 | 投票する | 投票数(23) | 日々のできごと
2018/11/01

60次隊NOW!!

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本日、国立極地研究所広報室からアナウンスされた連絡です。本ブログとあわせ、ご覧くださればとおもいます。
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10/31(水)60次隊先遣隊が無事、出発しました。
それを機に「60次隊NOW!! ~第60次南極地域観測隊の夏行動を発信します~」をスタートしました!
60次隊の夏行動をお知らせしますので、皆様是非ご覧ください。
http://science-museum-blog.nipr.ac.jp/jare_summer_now/
22:10 | 投票する | 投票数(17) | お知らせ
2018/10/29

南極内陸旅行のアウトリーチ

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 今回の南極内陸行動にかかるアウトリーチ体制は、以下のようになっています。

●ブログ(このページ)
 これは、比較的長い文面でもじっくり読んで下さる方に向けた情報発信になります。そうした読み手としては、「(1) こうした地球環境変動に関わる研究や南極内陸調査活動にご興味をもってくださる方、(2) 参加メンバーの勤務先の同僚やお知り合いやご家族の方々、(3) 研究プロジェクトのメンバーや、関連研究者の方々、(4) 国立極地研究所の関係者の方々」を想定します。

●ツイッター、Facebook、インスタグラム
 これらのSNSを通じた情報発信については、国立極地研究所広報室と、ノルウェー極地研究所との共同作業で企画しています。同じ写真や情報源を用いて、週1~2回、日本とノルウェーが同時に情報を発信することとして準備をすすめています。発信がはじまったら、これについてもお知らせします。

いよいよ、ドームふじ内陸旅行への参加者8名を含む60次先遣隊の出発を、明後日10/31(水)に待つ段階となりました。

00:05 | 投票する | 投票数(19) | 解説・説明
2018/10/28

はじめに(その2)

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●今回の観測にる移動ルート等の模式図を紹介します。

観測チームは、日本からまず南アフリカのケープタウンに移動し、そこで準備をすすめたのち、空路、ノボラザレフスカヤスカヤ基地(ロシア)の滑走路へ移動します。その後、航空機を乗り換え、空路昭和基地近傍へ向かいます。昭和基地で59次隊員(川村、山田)と合流し、内陸旅行の準備を整えたうえで陸路内陸へ向かいます。途中、ノルウェー極地研究所からの研究者2名が、南極トロル基地(ノルウェー)経由で航空機で標高3,000メートル付近の地点で飛来し、合流し、日本側の隊員10名とともに、合計12名でドームふじに向かい調査をすすめます。





行動日程は、下記の線表のようになっています。12月一杯の期間をドームふじ近傍の観測に充てる予定です。

21:26 | 投票する | 投票数(18) | 解説・説明
2018/10/28

はじめに(その1)

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ごあいさつ

●南極地域観測事業の重点研究観測、課題名「地球システム変動の解明を目指す南極古環境復元」(実施期間2016年-2022年、代表者:川村賢二(国立極地研究所)は、昨年度に続き、2018年11月~2019年1月迄の期間、南極内陸部での調査活動を行います。本記事は、イントロダクションとして調査の目的や概要を説明いたします。イントロダクションは、研究計画の説明なので堅苦しいですが、私達がおこなっている事業の重要な点として説明します。

目的(実施期間全体を通して):  南極域の環境変動史を復元し、全球気候変動に南極が果たす役割を解明することが重要な課題となっています。本計画では、南極内陸から沿岸付近にかけての雪氷学・地質学的調査から、南極域の環境変動の復元を第四紀の様々な(数千年~数百万年の)時間スケールにおいて進めます。現存する世界最古のアイスコア(80万年)より古い年代まで遡るアイスコアの掘削を目指した新たな掘削点の探査や掘削拠点となる内陸新基地の設営、パイロット孔掘削を実施するとともに、過去数千年の氷床や環境の変動史を復元するための掘削を行ないます。また、南極ドロンイングモードランド地域に氷河地形地質調査の範囲を広げ、氷床変動史をより三次元的に復元することや、国際共同による大陸棚の地形探査と過去数百万年をカバーする堆積物採取等をより広域で実施し、南極氷床の拡大・縮小を復元することで、地球規模の海水準変動に与える氷床体積変化量の見積もり等を行ないます。

2018年度(60次隊)における達成目標
 夏期計画としてドーム旅行を実施し、ドームふじ周辺での国際雪氷観測を行ないます。基盤・深部・浅部のレーダー探査や浅層掘削、フィルン空気採取、積雪深、雪の物性の観測などを行い、南極内陸における氷床流動や基盤地形、底面融解・凍結、表面質量収支、積雪の各種物理量(衛星検証データも)、気体封じ込め過程を把握し、次期掘削点選定にも不可欠なデータや試料を得ます。

参加メンバー
参加メンバーは合計12名です。
観測系: 川村賢二(国立極地研究所、第59次越冬隊員)、藤田秀二(国立極地研究所)、津滝俊(東京大学)、栗田直幸(名古屋大学、一般観測)、山田恭平(国立極地研究所、第59次越冬隊員)
設営系: 伊藤太市(車両担当、第60次越冬隊員)、金子弘幸(車両担当)、櫻井忍(車両担当)、高村真司(フィールドアシスタント)、岡田豊(医療担当、第60次越冬隊員)
外国人同行者: Jean-Charles Gallet, Brice Van Liefferinge (ノルウェー極地研究所)

●観測の概要
 日本から出発する第60次日本南極地域観測隊の8名は、南極の国際共同の航空路ネットワークである「DROMLAN」を利用し、10月末に日出発し、2019年の1月末にかけて調査を実施します。日本・米国・ノルウェーの国際共同観測により、地上からの氷床レーダー探査を中心とした南極内陸調査を実施します。今回使用する氷床探査用のレーダーのうちの2台は、アラバマ大学およびカンサス大学が開発し、今回の観測に向け供給するものです。これを、日本側のレーダ2台とあわせて観測に活用します。前年度である第59次観測隊や、外国隊によって過去に南極「ドームふじ」地域でおこなわれた観測結果を踏まえ、国際会合によって入念に検討し絞りこんだ地域において、現場と国内外機関の連絡をとりながら詳細な観測を実施します。これにより、この地域の氷床について、高解像度の基盤地形と、大深度の氷床内部構造の検出、表層堆積量のマッピングなどが得られると期待しています。雪氷観測・化学観測、衛星データ検証のための観測も、ノルウェーとの共同で行います。堆積環境と、氷床への空気取り込み過程の理解のため、150m級の浅層コア掘削とフィルンエア(雪と氷の中間状態に含まれる空気)の採取も実施します。

●共同探査参加機関(測器開発、現場観測、データ解析、モデリング)
国立極地研究所(観測主体、解析)、東京大学(観測、解析、年代モデル)、JAMSTEC(氷床モデル)、ノルウェー極地研究所(観測参加、解析、モデル)、米国アラバマ大学、米国カンサス大学(高性能氷床探査レーダーの開発と、本観測計画への供給、データ解析)

続きます。
20:27 | 投票する | 投票数(18) | 解説・説明