極限の雪原を越えて─わが南極遊記― 
木崎甲子郎著、極地研ライブラリー
平成24年12月18日 成山堂書店発行, 185ページ
ISBN:978-4-425-57061-4
定価 本体2,200円(税別)
絶望の崖っぷちを乗り越えてきた「極地探検請負人」のストーリー!!

日本の南極探検史上唯一の殉職者を出した観測隊への参加、 地図にない極地の未踏山の登頂、複数の外国観測隊への参加...。 極地探検請負人と呼んでいい著者の木崎甲子郎は、 「今まで絶望なんて事は、ただの一度も感じた事がない」と笑い飛ばす。 彼は、常人の予想もつかない極地での苦境をどう乗り越えてきたのか。


第1章 南極観測の始まり
「どうにもならない」とは、こういうことか?
茅誠司会長の決断が日本の南極観測を動かした
南極は金がかかる
最後の正念場、ブリュッセル会議


第2章 犬ソリ話、今は昔
加納一郎と「世界最悪の旅」
農学部動物学教室、犬飼哲夫教授
白瀬隊の犬ソリ
1954年春、大橋先生の話
北大極地研究グループ発足
ソリ犬―カラフト犬
犬ソリ
曳き綱
曳き具
犬の食糧
稚内カラフト犬訓練所


第3章 内陸旅行前夜―福島紳を失う
存在すら確認されなかった「やまと山脈」
偵察デポ旅行
クレバス帯に迷い込む
「クレバスだ」の寝言
ブリザードの3日間
テントの夜
帰途につく
ベルギー機来たる
ベルギー隊の要請
ウィリアムを捜しに出る
雪洞を掘る
福島帰らず


第4章 やまと山脈へ向かう
やまと山脈か、クイーン・ファビオラ山脈か?
歌うハーケン


第5章 昭和基地再開へ
「エストニア」でミルヌイへ
東欧諸国の目
カレンダーのご利益
1月15日、マラジョージナヤからミルヌイへ


第6章 モーソン基地で暮らす
出発まで
隊員は公募
モーソン基地
最初の旅行―ケイシー山脈氷河調査
モーソンタイム
パット老は近視
ボブリルのペミカン
モーソン基地の暮らし
個人主義
基地では会議がない…
パーティ
最後の旅行

あとがき―白い砂漠―
参考文献






【著者略歴】

木崎甲子郎(きざき・こうしろう) 琉球大学名誉教授・理学博士

1924(大正13)年9月16日生まれ。
51年、北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業。
52年、北海道大学理学部地質学鉱物学科助手、助教授。
68年、メルボルン大学研究員。
72年より、琉球大学教養部・理学部教授。
80年、国立極地研究所併任教授(3年間)。
90年、琉球大学定年退職。
93〜96年、ネパール国立トリプパン大学地質学教室客員教授(JICA専門員として2.5年間)。

[著書]
『南極大陸の歴史を探る』(岩波新書)
『氷点下の一年』(朝日新聞社)
『南極航海記』(築地書館)
『海に沈んだ古琉球』(沖縄タイムス社)
『黒潮の国で』(沖縄タイムス社)
『ヒマラヤはどこから来たか』(中公新書)

[調査歴]
・1959-61年 第4次日本南極地域観測隊隊員として昭和基地にて越冬。
・1964-65年 閉鎖中の昭和基地を点検。ソビエト・ミルヌイ基地、マラジョージナヤ基地滞在。
・1965-67年 オーストラリア南極探検隊隊員として、モーソン基地にて越冬。
・1971年 チリ-パタゴニアを調査。
・1979-80年 第21次日本南極地域観測隊隊長。
・1980-84年 ネパールヒマラヤ地殻変動研究調査を主宰(隔年で3度)。
・1999、2000年 チベットを調査。
・2005年 タクラマカン砂漠周辺を調査。