南極観測隊便り 2017/2018


2018/01/28

時の流れ

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 S16にて、これまで撮影した写真を整理するなかで、ドームふじ基地のごく近傍のルートポイントであるMD734で、59次隊2018年1月2日に撮影した写真と、37次隊1996年11月20日に撮影した写真がありました。
 37次隊1996年に写っているメンバーは、37次隊員の谷口さん(右)、永田さん(中央)、それに藤田(左)です。1996年の当時も、今回59次隊でも使用しているもののひとつと同じレーダを用いてドームふじ近傍の探査をした帰り、数日間の観測を終えて基地に戻ってきた日の撮影です。2018年1月の写真は、大晦日や元旦をはさんで長距離雪上トラック走行レーダ計測中の途中でここを通過したときの写真です。1996年当時、基地で越冬した仲間にはみな珍妙なあだ名がありました。ヤンバルクイナ、一番星、べねとん、トコロ君、ヨネドクなどなど。私についたあだ名は「みらーまん」。アイスコア解析・処理やレーダ観測・雪氷観測に忙しすぎたなかで、お前は研究者の鏡だとか何とかいってついたあだ名です。38次隊西村淳さん著の「南極面白料理人」の本でも記述があるようです。当時全力でアイスコア掘削プロジェクトを支援してくれたこれら設営(機械・通信・気象・医療・調理)の仲間に、「みらーまん、お前またそのレーダとアイスコアの仕事をしているのか?何がわかったの?」と笑い飛ばされそうな気がしています。約21年経過し、木製標識はここまで雪に埋まりました。私自身、その分加齢しています。どの木製標識も、そして内陸基地も、いつかは埋没し、視界から消えていきます。諸行無常。しかし、皆が現場で輝いた青春のひととき。今回も、そして21年前も。南極観測の内陸の現場は、各観測隊次の甚大な努力の連鎖で成立しています。研究データや論文として社会に貢献し長く残る記録・記憶・知識の生成は、設営からの甚大な支援のことを胸に、研究者らがその社会的責任として背負っていきます。ところでこのとても立派な標識、ドーム基地の風下に設置したのが不運でこんなにも埋まってしまった。もし今一度掘り起こし再設置したらあと20年はもつかな、、、
(藤田記)


写真1:MD734にて、2018年1月2日に撮影した木製標識


写真2:同地点にて、1996年11月20日に撮影した写真。ヤンバルクイナ、一番星、べねとん、トコロ君、ヨネドク、あの時は大変にありがとうございました。後方の雪上車はSM106号車。現在は車両後部空間がクレーンに置き換わり改造されてS16にあります。
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