南極地球物理学ノート No. 37   (2015.04.08)

南極棚氷の崩壊と流出した氷山の行方

渋谷和雄


Keyword: 南極の棚氷、棚氷の崩壊、氷山のコードネーム、nasa_earthobservatory、白瀬氷河の浮氷舌、SCAR Composite Gazetteer



1. はじめに

南極の海岸線の44%は棚氷(ice shelf)で占められている。その面積は1,541,700 km2とも言われている。Fig. 1は氷山流出の源になる主だった棚氷と氷河の位置・名称である。南極の地名集であるSCAR Composite Gazetteerには棚氷について44の名称が登録されているが、主だったもの(面積が大きなもの)を順に10挙げると下記(Table 1)になる。


Table 1.  Antarctica’s major ice shelves

 
Number Name Area  (km2)*
Ross  472,960
Filchner-Ronne  422,420
Amery   62,620
Larsen   48,600
Riiser-Larsen   48,180
Fimbul   41,060
Shackleton   33,880
George VI   23,880
West   16,380
Wilkins   13,680
 

* Area varies according to the data source. Here cited from "https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_Antarctic_ice_shelves"による。

なお、このwiki pageは"Statistics Finland"の"Maailma numeroina (The world in numbers)" を引用したとしているが、25/06/2015時点ではたどれなかった。



note37_図01

Fig. 1. 南極大陸沿岸部に発達した棚氷と氷河の名称。Rignot et al. (2008)の元図にTable 1の棚氷番号を記入したほか、氷山の形成区分域A, B, C, Dを記入した。McMurdo, Casey, Syowaは本文に言及されている基地名とその位置。



2. 棚氷の崩壊と氷山の流出

棚氷とは陸地に着底している氷河の延長で海水に浮いている部分を言う。氷河は重力により下流に流れる。棚氷には着底している氷河からの氷質量が流入し、積雪やあるいは底に海氷が凍結することで質量が増す。安定している棚氷では氷河流動の外向き重力成分と、氷河前面に働く静水圧による内向き成分が釣り合っている。棚氷が質量を失うのは氷山の流出(iceberg calving)や先端部分での底面融解が主であるが、表面での削剥や風によるドリフトも原因となる。底面での融解は南極棚氷が質量を失う重要な鍵になっている。棚氷は氷床の安定性や質量収支に影響するほか、底層水の形成にとっても重要である。

棚氷の表面は普通、とても平坦である。実際、氷が海水に浮き始めるGrounding Line (GL)を境に上流と下流で表面傾斜が急に変わるので判別できる。棚氷は陸上の降雪が固化した氷で構成されているが、底面に海氷が付着することでも成長する。棚氷は海氷とは明瞭に区別できる。

南極棚氷の厚みは1000 m以上に達しうる。従って、その末端部の表面高さは時として100 mを越える。棚氷からは間欠的に氷山が離脱(disintegrate)するが、これは正常な"削剥作用(ablation)"である。南極では棚氷は普通、年平均気温が‒9˚C以下の地域で形成され、それより気温が上昇する地域では分離(breakup)が進む。海岸線の形状は、どこに棚氷が発達するかを決める要因に成り得る。Larsen Ice Shelfは入江に形成されている。

棚氷の中には、短時間で劇的に崩壊(collapse)したものがある。相対的に低緯度にある南極半島の棚氷での事例が多い。Larsen Aは1995年に崩壊した。Larsen Bは1963年には12000 km2あったが、2002年2月には3250km2が氷山流出で失われ、2010年には2400 km2まで縮小した。Table 2は南極半島北部の棚氷崩壊の歴史である。

Table 2. 南極半島北部棚氷の崩壊*

棚氷名 最大時の面積 過去のイベント 最近の挙動
Wordie 2000 ??? 1989 collapse
Larsen Inlet 400 頻繁に分離 1989 collapse
Prince Gustav 2100 5000yrBPに分離 1995 collapse
Larsen A 2500 第四紀中頻繁に分離 1995 collapse
Larsen B 11500 第四紀中安定 2002 collapse
Jones 25 ??? 2003 collapse
Wilkins 16577 頻繁な氷山流出 2008 collapse
Larsen C 60000 第四紀中安定 thinning, retreating
Müller 50 前進 徐々に後退
George VI 26000 9000 yrBP頃消失 薄くなっているが安定

*出典はIce Shelf collapse by Bethan Davies (Last updated 01/10/2014) in  http://nasa_earthobservatory/Ice_shelves_breakup.html による。Fig. 1にはこの表にあるWordie, Prince Gustav, Jones, Müllerの各ice shelf名は記入されていない。



3. 棚氷崩壊のメカニズム

棚氷の急速な崩壊は以下のシナリオで進むと考えられている(Fig. 2; Scambos et al., 2004)。まず長期的な環境変化で棚氷の薄化(thinning)と氷山の離脱(disintegration)が進む。表面及び底面融解(basal melting)による長期的なthinningが崩壊の前ぶれで、氷河支流から流入する氷質量の減少もthinningを後押しする。底面融解は南極大陸沿岸で均等に起きるわけではなく、融解率が最も大きいのは南極半島及び西南極、George VI Ice ShelfからGetz Ice Shelfにかけてである(棚氷名はFig. 1参照:以下同様)。George VIやAbbot, Wilkinsといったゆっくり外洋に向かって動いているIce Shelf(Fig. 1)では、陸上にあった氷はGLから数km沖の海中に押し出されると,その時点で完全に融ける。


note37_図02
Fig. 2.  Scambos et al. (2004) による棚氷崩壊のシナリオ。
Stage 1: 氷河と棚氷は安定している。氷河は重力により下方へ流れている。棚氷前面に働く静水圧力(緑矢印)により氷質量は保持されている。
Stage 2: 気温が上がり、融け水が氷河に浸潤し、氷河の流れが加速する。水で飽和した割れ目で棚氷が刻まれ、氷板が分離・離脱し始める。
Stage 3: 棚氷がGLの内側にまで後退すると、前面での静水圧平衡による保持力が減少するが、氷河の流れは継続し、氷河前面はさらに急速に刻まれる。
Stage 4: 氷河末端部は傾きが急峻になり、氷山分離が加速し、氷質量を失う。 なお、図自体はScambos et al. (2004)ではなく、 https://nsidc.org/news/newsroom/20040921_acceleration.html(Antarctic Glacier Accelerate in Wake of Ice Shelf Breakup)に掲載されたTed Scambos and Michon Scottの説明図である。

棚氷は長期に及ぶthinningとbasal meltingが進むと、外力に対して弱くなる。深い峡谷に沿って比較的暖かい海流が到達する場所では薄化が最大になるだろう。支流が合流する氷が薄く弱いところでは浮力に影響されやすい。

このような状況で、夏季に気温が上昇すると雪面表面で融解が起こり、溜まり池(melt pond)が生じる。溜まり池は雪の付いてない青氷部分や風で飛ばされてきた砂が吹きだまったところで加速的に発達する。棚氷流出の季節性と‒9˚C等温線南下の地域分布との相関性が良いことから、溜まり池(melt pond)形成は棚氷崩壊の必要条件と見なされている。表面融け水が増加するとクレバスが水で満たされ静水圧の増加をまねいて分裂しやすくなり、ブラインの浸潤はクラックを深く掘り下げることになる。池の底が抜けて、海水と直接つながる部分も出てくる。

しかし融け水の溜まり池形成だけでは棚氷の急激な崩壊は説明できず、さらなるプロセスが必要と考えられている。それは潮汐による棚氷先端部の曲げ変形である。この結果、小さなクラックが先端部と平行に形成され、あるしきい値を越えると、ちょうどミシン目で紙が千切れるように氷板が離脱し、それが細長くて薄い氷板(氷山)として流出するのだと考えられている。その具体例がPine Island Glacier(Fig. 3、位置はFig. 1参照)で見て取れる。分離した氷板の厚みが薄くなると転倒し、重力ポテンシャルエネルギーを解放して棚氷への引っ張り応力を増すことになるので連鎖的に棚氷の分解が進みやすい。このようなシナリオはScambos et al. (2004) が提示したもので、次章で示すLarsen B Ice shelf 崩壊(2002年)をうまく説明するとされている。

note37_図03
Fig. 3. Pine Island Glacierの2001年1月13日のLandsat画像。融け水池と氷板のたわみ応力で細長いクラックが発達し、氷板がちぎれる寸前の様子を捉えている。 画像の出典はhttp://nasa_earthobservatory/Polynyas and the Pine Island Glacier, Antarctica:Natural Hazards.html (Polynyas and the Pine Island Glacier, Antarctica: Natural Hazards) による。Polynya(ポリニア)は海氷域内に局所的に現れる開水域(open sea area)で、この部分が海氷で閉じないで常時存在できる海洋力学的な理由があるはずで、それが重要な研究対象になっている。

棚氷は既に海に浮いているので崩壊・流失しても直接的な海面上昇には結びつかない。しかし、氷河の前面にある棚氷は、その流下を防ぐ“支え”として重要な役割を果たしている。その役割はLarsen B Ice Shelfの崩壊が顕著に示していて、崩壊により陸から海へ直接的に氷質量が運ばれたことから1988年から2009年にかけて急激に氷河後退が進行したことがLandsat imageから明らかになっている。この陸から海への流出氷は海面上昇に寄与することになる。



4. Larsen B Ice Shelf の崩壊


4.1. 崩壊過程

Fig. 4は2003年11月1日のLarsen Ice Shelf域のMODIS (Terra衛星搭載) 画像である。この画像に1998年から2003年にかけてのGLの後退を重ね合わせている。1998年の青色ラインから、1999年には緑色ライン、2000-2001年は黄色ラインへ、そして、2002年には赤色ラインへと後退し、黒色ラインが撮像時点でのGLである。 北側のLarsen A Ice Shelfは1995年1月の数日間で既に崩壊していて、その崩壊過程はDoake et al. (1999)が有限要素法解析で論じている。南側のLarsen C Ice Shelfもこの時点で薄化が進んでいる。

note37_図04
Fig. 4. Larsen B Ice Shelf後退の歴史。2003年11月1日のMODIS(Terra衛星搭載)画像。赤い点は時期の異なるLandsat-7衛星画像の比較で流速が求められた点、青い線分は ICESat レーザー高度計で標高の求められたところ、Matienzo AWSは無人気象装置設置点で30年に亘る気温上昇が記録されている。図はhttps://nsidc.org/news/newsroom/20040921_acceleration.html (Antarctic Glacier Accelerate in Wake of Ice Shelf Breakup) による。

棚氷は年変化だけでなく、季節によっても劇的に変わる。2000年から2005年にかけてのsnap shotをFig. 5に示した.ここでは省略したが、Wilkins Ice Shelf, Pine Island Glacier, Thwaites Glacier(位置についてはFig. 1参照)の消耗も激しかったことが判っている。また、一見、顕著な変化が見られないLarsen C Ice Shelfが今後どうなって行くかが大きな関心の的になっている。

note37_図051 31 January 2002note37_図052 17 March 2002
note37_図054
12 February 2002
13 April 2002
note37_図055
note37_図056 note37_図057 11 February 2004
note37_図058
18 February 2005
note37_図059
Fig. 5. Larsen B Ice Shelfの崩壊の様子を画像時系列で示す。NASAの Terraあるいは Aqua衛星搭載のMODISで撮像したものである。前述のarchiveであるhttps://nsidc.org/news/newsroom/20040921_acceleration.html (Antarctic Glacier Accelerate in Wake of Ice Shelf Breakup) 及び、Nasa_earthobservatoryのarchiveである http://earthobservatory.nasa.gov/Features/WorldOfChange/larsenb.php?all=y (World of Change: Collapse of the Larsen B Ice Shelf: Feature Articles)、及び https://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=43466 (Fragments of Larsen B Ice Shelf Lingered Until 2005: Image of the Day) に掲載された画像を並べ替え編集した。図中の赤い矢印は流下する氷河の方向を示している。

4.2. Larsen Ice Shelf の崩壊で生まれた氷山の流出

2005年4月A-53Aと名づけられた氷山がLarsen Ice Shelfから流出した。コード番号先頭のAは形成区分域がFig. 1の区分域A(0˚~90˚W)にあることを表わし、53は氷山の通し番号、末尾のAはA-53が分裂してできたうちの最大の「娘氷山」であることを示している。Larsen Ice Shelfから流出後2006年頃までは殆ど動かず、2007年に入っても最初は徐々に北上する様子だったのだが、3月に入ってから南極半島を越えて急速に漂流し始めたようである。北方に漂いだしてからは、「3.棚氷崩壊のメカニズム」の時間軸を加速させたプロセスで融解が進んだ。Fig. 6左の2008年1月15日画像ではmelt pondが見えていて、今まさに分裂しようとしているところである。Fig. 6右の2008年3月15日画像ではSouth Georgia島付近で既に2つに分裂し、それに伴う小片が2つの間に散らばっている様子が見てとれる。

note37_図061   note37_図062
Fig. 6.(左)2008年1月15日のAqua衛星MODIS画像、(右)2008年3月15日のTerra 衛星MODIS画像。http://earthobservatory.nasa.gov/Newsroom/NewImages/images.php3?img_id17970, "Disintegration of Iceberg A53a"による。


5. Ross Ice Shelf の崩壊と氷山の流出


5.1. B-15A の崩壊と漂流

Ross Ice Shelf (Fig. 1の①番)は、区分域Bと区分域Cにまたがっている。その崩壊から生まれた氷山には従ってコードB番号が振られるものとコードC番号が振られるものがある。崩壊・流出した氷山は、長さが10 mile (~19 km)以上のものについてNational Ice Center (NIC)が船舶航行安全の観点から位置を追跡・公表しているが、流出量の規模、影響の甚大さから見て、B-15は区分域Bのみならず南極棚氷からの最大規模流出氷山と言える。

B-15はRoosevelt島近くの棚氷から2000年3月の最後の週に誕生したと言われている。Fig. 7 は、崩壊から数週間後の4月13日に撮影された画像であるが、長さ~300 km、幅~40 kmで11000 km2の広さがあり、ジャマイカ島より大きかった。この時、画像に見られるようにB-16, B-17, B-18も同時に誕生している。このような崩壊は50~100年サイクルで繰り返される自然現象であり、特殊ではない。

note37_図07
Fig. 7. Ross Ice Shelf の崩壊によって誕生したB-15氷山 (長さ~300 km, 幅~40 km)。13/04/2000/の撮像。誕生はその数週間前と言われる。この母氷山が分解していくつもの娘氷山、孫氷山が誕生することになった。この画像のcreditはUniversity of Wisconsin – Madison, Space Science and Engineering Center, Antarctic Meteorological Research Center, NASAが保有している。http://www.livescience.com/31011-giant-chunk-12-year-iceberg-caught-camera.html (12-Year Old Iceberg’s Death Caught on Camera? Antarctica & Antarctic Ice? Ice Dynamics, Iceberg Calving) による

母氷山であるB-15は2000, 2003, 2004年に、さらにいくつかに分解した。B-15Aは分解の結果生まれた娘氷山のうち最大で、6400 km2の面積を持っていた。Fig. 8は2001年1月29日にヘリコプターから撮影された北端の写真であるが、その広大さがうかがえる。

note37_図08

Fig. 8. B-15の分裂によって生じたB-15A。
約6400 km2の広がりがある。29/01/2001/
ヘリコプターから撮影された北端部の様子。

https://en.wikipedia.org/wiki/Iceberg-B-15  (Iceberg B-15- Wikipedia, the free encyclopedia) による。

2003年11月、B-15AからB-15Jが分離し、12月にはさらにB-15K(~300 km2)が分離し、ともに北方の開水域に向かって漂い出した。Fig. 9は2004年12月13日のTerra衛星によるMODIS画像で、どう分解したかの様子がよく判る。なお、一緒に写っているC-16は当初、B-20というコード番号が振られていたが、先に述べたようにRoss Ice Shelf はB,C両区域にまたがっていて由来が判りづらく、後ほど90˚-180˚EのC区分域起源とされ、番号が振り直された氷山である。

B-15Aは2005年1月には反時計廻りの卓越海流であるACoC(南極地球物理学ノートNo. 4参照)に乗り、Drygalski Ice Tongueへと向かった。Drygalski Ice TongueはVictoria Landの山岳氷河であるDavid Glacier(位置についてはFig. 1参照)の延長にあり~70 kmの長さがある。Ice Tongueまで数kmの地点で氷山は浅い海山に乗り上げ足踏み状態になったが(Fig. 10)、2005年4月10日とうとう衝突し、Ice Tongue先端部をへし折った(Fig. 11)。B-15A自体には何ら変化は見られなかった。

なお、この時期、B-15Aとほぼ同時に誕生したB-15G (~50 km長、面積788 km2) は一足先にACoCに乗り、2005年4月28日にオーストラリアのCasey基地 (66.3˚S, 110.5˚E; Fig. 1でDenman GlacierとTotten Glacierの中間付近でCaseyと表示)のVincennes Bayに現れている。

note37_図09
Fig. 9. NASAのTerra衛星MODISセンサーによって撮影された13/12/2004/の画像。
11月9日から12月13日の間にB-15AはRoss島付近からRoss Seaの開氷域に向かって漂い出した。B-15Jは2003年10月にB-15Aから分離し、B-15Aを追いかける形になっている。B-15K (ナイフの形状で~300 km2)の分離は2003年12月である。
http://earthobservatory.nasa.gov/NaturalHazards/view.php?id=5084 (Huge Iceberg to Ram Glacier) による。


note37_図10 note37_図11
上、Fig. 10:  Drygalski Ice Tongueに衝突する直前のB-15A氷山。02/01/2005/撮影のMODIS画像。 https://en.wikipedia.org/wiki/Iceberg-B-15による。



右、Fig. 11: 15/04/2005, Envisatが撮影したASAR画像。MODISより分解能が約5倍良い。
B-15Aの衝突によりDrygalski Ice Tongueの先端部 (~5 km長) がへし折られた。 出典はhttp://www.esa.int/Our_Activities/Observing_the_Earth/ CryoSat/B-15A_collides_with_Antarctic_ice_tongue による。

B-15AはこうしてMcMurdo Soundを離れ、沿岸を漂い続け、2005年10月27-28日Cape Adea西方に廻り込んだ。その直後にはいくつかの小さな氷山(B-15P, B-15M, B-15N:Fig. 12)を分離している。分離によってばらまかれた小片は2006年11月3日、アメリカ空軍の漁業監視パトロール隊に認定されている。そして、2006年11月21日には小片のうちの大きなものがNew Zealand Tamizu沖で目撃されていて、~18 km長、 海面上に出ている部分の高さが37 mであったという。

note37_図12
Fig. 12. 31/10/2005/のDMSP衛星OLS Visible Image画像。B-15AからB-15M、B-15P、B-15Nが分裂している。Cape Adare を廻り込もうとしている時に分裂した。画像CreditはNOAAが保有。ASARと異なり、雲がかかっている部分は透視できないので判然としない。
http://www.livescience.com/465-huge-iceberg-breaks-antarctica.html (Huge Iceberg Breaks Apart in Antarctica) による。

Fig. 13は誕生から2006年3月15日までのB-15Aの航跡である。Drygalski Ice Tongueに衝突する前のMcMurdo Sound海域にいる時(~15/04/2005/まで)は、殆ど動きがないことが判る。しかし、ACoCに乗ったと思われる2005年5月15日以降の動きは早く、特に、2015年11月4日のCape Adea付近での分裂がB-15Aの動きを加速させたほか、北方に漂いだしたfragments (小片) の融解・消滅を速めることになった。

note37_図13
Fig. 13. B-15Aの約4年間(2006年3月まで)の航跡。ACoCに乗り、南極沿岸を反時計廻りに漂流している。米国旗はMcMurdo基地、イタリア国旗はTerra Nova基地を示している。
https://en.wikipedia.org/wiki/Iceberg-B-15 (Iceberg B-15- Wikipedia, the free encyclopedia) による。

2007年1月から2月にかけてB-15Jが分裂する様子が捉えられている。Fig. 14aは1月29日のAqua衛星によるMODIS画像で、この時点では分裂の明瞭な兆候は見られない。しかし、数日後(2月1日)のFig. 14b画像を見ると、南東側が欠け、18.5 km長、3.7 km幅のB-15Sが誕生したことがわかる。

note37_図14a   note37_図14b
左、Fig. 14a: 29/01/2007/のAqua衛星MODIS画像。分裂の兆候は見られない。
右、Fig. 14b: 01/02/2007/のTerra衛星MODIS画像。B-15Jの南東部が欠け、B-15S (18.5 km長、3.7 km幅)が生まれた。http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=7450 (Another Iceberg from Former Ross Sea Giant: Image of the Day) による。

その後B-15Jはどうなっただろうか?その最後の様子を2011年12月のTerra衛星MODIS画像が捉えている(Fig. 15)。円弧状に小片をまき散らしたB-15Jは同年11月末にはNew Zealandの南東~2400 km地点にあった。なお、この時点でB-15B, B-15F, B-15G, B-15K, B-15R, B-15T, B-15Xが依然として、南極大陸沿岸を漂流している。

note37_図15
Fig. 15. B-15Jの最後。2011年12月のTerra衛星MODIS画像。New Zealandの南東~2400 kmの地点。
http://earthobservatory.nasa.gov/Natural Hazards/view.php?id=76599 (Iceberg B-15J: Natural Hazards) による。

5.2. McMurdo基地輸送への障害

1902年2月初旬、Scott大尉の乗ったDiscovery号は開氷域を進んでRoss島に到着、半島の先端部に探検隊クルーが泊まるための小屋を建設した。その小屋にちなんで半島はHut Point Peninsulaと名づけられた。翌年夏、Scott隊は半島を取り巻く海氷にDiscovery号がトラップされたことに気づいた。

この海域の海氷条件は年々異なり、その後この地に建設されたMcMurdo基地への輸送にも影響を与えている。特に2000年誕生したB-15はMcMurdo Soundの海流を変え、以後しばらく海氷がトラップされるようになった。B-15Aは2005年には北方へ漂流を始めたが(Fig. 13参照)、2006年3月1日のTerra衛星MODIS画像によると、B-15A周辺は開水面だが、Hut Point Peninsulaに至る数十kmには硬く海氷が張りつめていた(Fig. 16a)。2008-2010年の夏も海氷条件は殆ど変わらず、開水域になったのは2011年(Fig. 16b)からである。皮肉なことに最後の10 mileが海氷で覆われていても砕氷船は航行できるが、海氷消失により2011年は従来の航空機滑走路が使えなくなってしまったため、再度設置し直さなければならなくなった。

note37_図16a note37_図16b
左、Fig. 16a:01/03/2006のHut Point Peninsula周辺の海氷状況。いすわった B-15Aが海氷を封じ込めた形である。
右、Fig. 16b:25/02/2011の同周辺の海氷状況。開水面がHut Point Peninsulaまで広がっている。開水域拡大はマクマード基地の氷上滑走路の維持にとっては難題となった。ともにTerra衛星のMODIS画像。
http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=49600 (Sea Ice in McMurdo Sound, Antarctica: Image of the Day) による。

5.3. 2015年現在の氷山

NICによるとB-15Aの最大のfragmentであるB-15T(Fig. 17: 長さ28 mile, 幅7 mile)の位置は2015年4月3日現在の週報で(69˚40’S, 19˚04’E; Princess Astrid Coast)にある。同週報にはB-15K, B-15R, B-15X, B-15Y, B-15Z, B-15AA, B-15ABの位置も載っていて、B-15誕生後15年近く経っても、氷山が南極沿岸域に留まる限り、生き残ることを示している。

note37_図17
Fig. 17. Landsat-8衛星のOLIセンサーが捉えた14/01/2015のB-15T氷山。NICによると03/04/2015にはPrincess Astrid海岸(69˚40’S, 19˚04’E)に位置している(あまり動いていない)。
http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=85682 (Iceberg B-15T still adrift: Image of the Day) による。


6. Meltz Glacierからの氷山の流出(区分域Cの例)

区分域Cに属する氷河でcalvingが目立ちそうなのはMeltz Glacierである。Meltz Glacierは~140 kmの長さを持ち、George V Coastから直接南大洋に流下し、終端はice tongueになっている(Fig. 1参照)。2010年1月1日のNASA EO-1衛星のALI画像にice tongueから分離した氷山(Fig. 18)が写っている。太陽高度角が低いので表面のうねった凹凸(線状crackを反映している)による陰影がはっきり見てとれる。この氷山は8.5 km x 9.5 kmの大きさで(従ってNIC code numberは付いていない)、誕生時に同時に生成したと思われる多数の小片を周囲に伴っている。この氷山が北へ漂流してすぐに融解・消滅したのか、ACoCに乗って沿岸部に止まり、生き延びたのかを筆者は知らない(サイズが小さい氷山は大体においてすぐに消滅する)。

note37_図18 Fig.18: Meltz Glacierから流出した氷山。NASA EO-1衛星のALIセンサーが捉えた 01/01/2010画像。Sizeが小さいのでNIC code numberは付いていない。太陽高度角が低いので表面凹凸を反映した陰影がはっきりとわかる。
http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=42323&src=eoa-iotd (Iceberg off Mertz Glacier Tongue: Image of the Day) による。

Meltz Glacierの断裂を予感させるlead(水開き)の存在を2009年5月8日の"The World Today"のニュースが伝えている。2010年2月7日のAqua 衛星MODIS画像(Fig. 19a)に見られるように、中央部西側に亀裂(亀裂内部の海水域が黒く見えている:riftと表示されている)が生じているが、フランスの雪氷学者Beniot Legresyは8台のGPSをこのleadの両側に設置し、30 sごとに1 cm精度の位置を計測した。すると、leadの開きは12 cm/dayの速度で拡大していたとのことであった。

Fig. 19aでは東から漂流してきたB-09B氷山 (94 km x 39 km) がMeltz Glacierの先端部にまさに接している。この氷山は数年間、Meltz Glacier近くでうろうろしていたが、2010年2月12日あるいは13日に衝突したらしく、Fig. 19bの2月20日画像では、先に述べたleadが延長する形で分断が起きたことがわかる。丁度、B-09Bの衝突したところを支点として、ドアが蝶つがいで押し開かれるように、分断されたIce Tongueが時計廻りに回転した形になっている。この結果生じた氷山の大きさは78 km長さ、39 km 幅、氷質量が約700-800 x 109 tonでB-09Bとほぼ同じであった。なお、B-09Bは1987年、Ross Ice Shelfからcalvingしたもので、20年以上かけてB-15A同様、ACoCに乗ってMeltz Glacierへ到来したものである。

Fig. 19cは2010年2月26日の画像で、分断されたice tongueが全体として北方に移動している(黒いlead幅が拡大している)。Meltz Glacier ice tongueはこれまで近隣海域のpolynya維持に大きな役割を果たしていたが、分断で短くなってしまった結果、このpolynyaは海氷でふさがれてしまう可能性があり、海生生物にとって脅威になるかもしれない。

note37_図19a
note37_図19b
note37_図19c
Fig. 19: 上 (a)は07/02/2010撮影。中(b)は20/02/2010撮影。下(c)は26/02/2010撮影。
いずれもMODIS画像。B-09BのMeltz Glacier ice tongueへの衝突による分断前後を表わしている。http://earthobservatory.nasa.gov/IOTD/view.php?id=42819 (Collision Calves Iceberg from Meltz Glacier Tongue, Antarctica: Image of the Day) による。

2011年1月4日のAustralian Geographicはオーストラリアチーム(40名)がice tongue消失海域の調査に出発したことを伝えている。Chief scientist Martin Riddleの言では、今回のcalvingは千載一遇の機会と言って良く、新種の海生生物の発見、堆積物中の死骸・化石調査などから、数100年から数万年スケールでの南極氷床やice tongueの消長の歴史が明らかになるはず、とのことであった。

この後日談として、調査は日豪共同で行われ、結果の一部が論文(Tamura et al., 2012)として出版されたほか、解説記事がhttp://www.nipr.ac.jp/info/notice/20120509.htmlに掲載されている。



7. 区分域Dにおける棚氷の崩壊と氷山流出

区分域Dに属する棚氷として大きなものはAmery Ice Shelf(Fig. 1で③番)とWest Ice Shelf(Fig. 1で⑨番)である。区分域AのLarsen B Ice Shelf, BのRoss Ice Shelfと異なりいわゆる大崩壊は、近年起きていない。先に述べた2015年4月3日のNIC週報ではB起源が21記載されているのに対してD起源は6である(Aも6、Cは5)。これらはいずれも36˚Eから87˚EにかけてのACoCより南側の沿岸域あるいは多年氷海域内にある。

Amery Ice ShelfやWest Ice Shelfを起源とする氷山の移動経路については青木茂のまとめが参考になる。極地研ニュースNo.148, 極地豆辞典「漂流する大氷山」として1997年7月27日、昭和基地で受信したNOAA衛星画像が載っているが(Fig. 20)、D-11(長さ~100 km)はWest Ice Shelf起源、D-12はAmery Ice Shelf起源とのことで、小さいD-12(長さ~40 km、幅~20 km)にしても、Fig. 21の航空写真で見るとやはり巨大である。Fig. 22にNICデータを基にプロットしたD-12の漂流経路が示されているが、ACoCに乗って半年で約30°西に移動している。その後、Aoki (2003)はDronning Maud Land沖氷山漂流の季節変化を調べたが、(1)漂流速度は西に行く(0°に近づく)ほど速い、(2)季節変動は秋から初冬にかけて速く、春は遅い、そして西に行くほど速度の変動幅が大きい、としている。漂流速度の季節変動は昭和基地やモーソン基地の水位季節変化と相関があり、定性的には地衡流変化と調和しているので、氷山軌跡の監視は海流変動監視の役にも立つとしている。

なお、D-12のFig.22以後の動きについて言うと、Riiser-Lausen半島~Gunnerus Bankにはひっかからず、さらに西へ進んだ。NICの記録では1998年7月5日69.63˚S, 17.59˚Eが最後のレコードになっており、最終的な運命はよく分からない。

note37_図20
Fig. 20

左Fig. 20. 1997年7月27日の、昭和基地で受信したNOAA衛星画像。D-11はWest Ice Shelf (Fig. 1の⑨)起源、D-12はAmery Ice Shelf  (Fig. 1の③)起源である。

下左Fig. 21. 第38次隊員が撮影したD-12. 長さ40 km、幅20 km。

下右Fig. 22. 1997年2月から8月にかけてのD-12の漂流航跡。

いずれも青木茂著:極地研ニュースNo.148, 極地豆辞典「漂流する大氷山」、1999年4月号から転載。

note37_図21
Fig. 21
note37_図22
Fig.22


8. リュツォ・ホルム湾、白瀬氷河からの氷塊流出

白瀬氷河は流速が2000 m/yrを越える速い流れの氷河であるが、幅10 kmと狭いので、NIC基準でcode 番号が付くような大きな氷山は生まれない。湾への出口から上流約30 kmのところにGLがあり、GLから河口(calving front)までがice tongueである。Ice tongueがリュツォ・ホルム湾に押し出されても氷片の塊 (conglomeration of fragments) はすぐに分解・散逸するのではなく、形を保っている。この40年間の衛星観測により、塊は散発的に、しかし、定期的に流失を繰り返してきたことが判っている。Fig. 23で1973年の画像はLandsat-1 MSS (16/12/1973) によるもので、この50年間で最大規模の長さであった。1973年からの10年間適当な衛星画像は存在しないが、JAREによる空撮で1978年に流失したことがわかっている。氷塊はその後、成長しようとしては流失することを繰り返し、2000年代を迎えた。その間、1988年のLandsat-5 TM画像が示すように、分解した氷片群が湾外に漂い出すところを捉えた画像もある。その1ヶ月前の画像では分解の兆候が見られなかったので、消失は突然(おそらく1週間という短期間内で)起きている。2003年以降、氷塊は安定していたが2007年のALOS /PALSAR画像を最後にSAR観測が一旦途絶え、これまでの繰り返し周期(~10年)を考えると2008-10年の間に流失したのではないかと疑ったが、Fig. 24のALOS-2 PALSAR-2 scansar画像により2015年においても健在であることが判った。

note37_図23
Fig. 23. 白瀬氷河下流リュツォ・ホルム湾に張り出した氷塊の衛星写真が初めて得られたのは1973年のLandsat-1 MSS画像である。以後、2003年までに数回、流失を繰り返した。中村和樹博士の作画による。詳しくは本文参照。

note37_図24
Fig. 24. 06/03/2015のALOS-2 PALSAR-2 scansar画像(RESTEC: 山之口勤氏提供)。Fig. 23 とは画像スケールが違うことに注意。Riiser-Larsen半島沖に停滞している氷山は長さ~40 km, 幅~20 kmでD-20A と思われる。


9. まとめ

区分域A, B, C, Dの順に主だった棚氷の崩壊イベントと氷山の流出についてまとめた。氷山の流出サイズは千差万別で、B-15のようにジャマイカ島に匹敵する巨大なものから、氷山片(Bergy bit: 長さ~5 m、高さ~4 m)、氷岩(Growler: 高さ~ 1 m)のような小さなものまである。

区分域Aでは南極半島の東側Larsen Ice Shelfから流出した氷山は北上するとAntarctic Circum Current (ACC) により東向きのSouth Georgia島方面へ向かい、50˚Sに達する前に殆どが融解・消滅する。海水温が高くなると、3章のシナリオにより水面下の氷板の融解が急速に進み、また、分解してサイズが小さくなると相対的な表面積増加により暖水に触れて融解が加速するからである。南極半島西側のWilkins, George V Ice Shelfから流出した氷山も基本的には流れが沿岸流に支配されACCを越えて、アルゼンチンまで北上することはない。Ronne Ice ShelfではRoss Ice Shelf同様、規模の大きな崩壊が考えられるが、2000-2015年のearthobservatory メール (eo-announce@nasa.gov) で見る限り、顕著なイベント報告はない。区分域BではPine Island Glacier, Thwaites Glacier, Getz Ice Shelfなど流出氷山の起源となる氷河、棚氷が多いが流れはやはりACCに支配され、アルゼンチンまで北上することは殆どない。唯一Ross Ice Shelf起源のB-15のような大氷盤の娘、孫氷山がNew Zealand近海まで北上している。大氷山は小氷山に比べ相対的に波、風の影響は受けにくく、海流で漂流が支配されるので、Cape Adea(~170˚E)から半周西廻りのJutulstraumen氷河(~0˚E)にかけての氷山は、西行するACoCの南に位置している限り生き残ることが多い。B-15Tのように15年近く健在なものもある。Amery Ice Shelf, West Ice Shelfなど区分域Dの氷山が長生きかどうかは、Riiser Larsen半島を廻り込んで西に向かうか、Gunnerus Bankに沿って北上するかどうかで決まる。北上したら、寿命は短い。

Fig. 25 はBrigham Young University がまとめた巨大氷山の漂流軌跡図(http://www.scp.byu.edu/data/iceberg/database1.html)で、海流との良い対応を示している。

note37_図25
Fig. 25. 巨大氷山の漂流軌跡の重ね合わせ図。 Brigham Young University のHP, http://www.scp.byu.edu/data/iceberg/database1.htmlによる。

白瀬氷河からリュツォ・ホルム湾に押し出された氷片の塊 (conglomeration of fragments) はすぐに分解・散逸するのではなく、形を保っている。しかし、1980年代後半から2000年代前半は、散逸を繰り返した。2003年から現在までは~2 km/yrで成長を続けている。周囲を取り巻いている湾内の海氷が弱くなり、南風で一気に持ち去られるとすると、長周期の気象変動(気圧配置)に影響されると想像されるが、詳細なメカニズムはまだ、判っていない。



参考文献:

Aoki, S., 2003. Seasonal and spatial variations of iceberg drift off Dronning Maud Land,
Antarctica, detected by satellite scatterometers. J. Oceanogr., 59, 629-635.

Doake, C.S.M., Corr, H.F.J., Rott, H., Skvarka, P., Young, N.W., 1998. Breakup and
conditions for stability of the northern Larsen Ice Shelf, Antarctica. Nature, 391, 778-780.

Rignot, E., Bamber, J.L., van den Broeke, M.R., Davis, C., Li, Y., van den Berg, W.J.,
Meijigaard, E, 2008. Recent Antarctic ice mass loss from radar interferometry and
climate modeling. Nature Geoscience, 1(2), 106-110.

Scambos, T.A., Bohlander, J.A., Shuman, C.A., Skvarca, P., 2004. Glacier acceleration
and thinning after ice shelf collapse in the Larsen B embayment, Antarctica.
Geophys. Res. Lett., 31, L18402.

Tamura, T., Williams, G.D., Fraser, A.D., Ohshima, K.I., 2012. Potential regime shift in
decreased sea ice production after the Meltz Glacier calving. Nature Communications 3,
826, doi:10.1038/ncomms1820



謝辞

青木茂(北大・低温研)、田村岳史(極地研)の両氏には、草稿にコメントを頂き、記述が正確になるよう助力を得た。Fig.23は中村和樹(日大・工学部)の作画による。山之口勤氏(RESTEC)からは白瀬氷河とD-20A氷山が写っているALOS-2 PALSAR-2 Scansar画像 (Fig. 24) の提供を受けた。



QandA

Q1: 地名の説明でSCAR Composite Gazetteerというのが出てきますが、これは何ですか?
A1: 広大な南極ではいろいろな国が観測を並行して行った(行っている)ので、発見した地形などに独自の命名を行っています。なかには同じ対象物なのに複数の名前が付けられたり、本来1つの地名に異なった位置(緯度、経度)が与えられたりしています。南極での科学活動を掌握する国際組織であるSCAR (Scientific Committee on Antarctic Research) は地名に関する特別グループ SCAGI (SCAR Standing Committee on Antarctic Geographic Information) を設けましたが、そこで情報交換を緊密にするために、Composite Gazetteerを編集しています。地名には領土、国威がからんでいるので一つに統一はしません。せめて併記して、混乱を避けるのが趣旨です。最近の困った事態は、研究者がGoogle Earthを頻繁に使うようになり、事実上Google Earthが地名のstandardになりかねないことです。SCAR Composite Gazetteerはもともとはイタリアが編纂していましたが、現在はオーストラリアが管理していて、https://www1.data.antarctica.gov.auで内容を見ることができます。

Q2: 頻繁にearthobservatoryと言うサイト名が出てきますが、これは何ですか?
A2: NASAはoutreach活動の一環として宇宙から見た地球、地球環境変動イベントなどをメール形式でeo-announce というグループ登録者に定期的に通知してくれます。2000年から2013年までは、南極・北極に関する情報が多く掲載されました。このノートはその情報をもとにしています。例えばFig. 3に関連して2011年11月23日、http://nasa_earthobservatory/Polynyas and the Pine Island Glacier, Antarctica:Natural Hazards.html でこの画像が紹介されましたが、URLを覚えていなくとも、Googleで“Polynyas and the Pine Island Glacier, Antarctica: Natural Hazards”と入力し検索すると関連情報がいろいろ表示されるので調べることができます。検索キーワードも同様にURLの次の括弧内に示しました。2013年以降は担当者が交代して興味の対象が砂漠、森林などに移ったらしく、南極・北極関係の紹介は少なくなりました。

Q3: いろいろな衛星名とセンサー名が出てきますが、違い・関連が判りません。
A3: Terra あるいは Aqua 衛星が搭載している Moderate Resolution Imaging Spectroradiometer (MODIS) や Envisat 衛星が搭載している Advanced Synthetic Aperture Radar (ASAR) 、Landsat-8 衛星が搭載している Operational Land Imager (OLI) などですね。本文ではそのほか、ALIやPALSAR-2, MSS, TMといった多種・多様なセンサー名前が出てきます。引用されているセンサーは可視光、近赤外、合成開口レーダーなどで撮像の原理も解像度も異なりますが、目で見た画像として特徴が掴めさえすれば、ここでは詳細な違いを気にする必要はないでしょう。詳しい内容は関連HPやリモートセンシング専門書を読んでください。