南極地球物理学ノート No. 24 (2013.09.04)

昭和基地地震計が検知した南アフリカが行った核実験


澁谷和雄

Keyword: 核実験,南アフリカ,南大洋/Bouvet島,1979年9月14日, 1979年9月22日, 昭和基地地震計



1.はじめに

冷戦の時代に、南アフリカが核保有国を目指し、核実験を行ったのではないか、と言ううわさは1990年代終わりには囁かれていたらしい。実験は南大洋・インド洋区で行われたということであった。うわさが正しければ、実験地は南アフリカと南極・昭和基地を結ぶ線上にあったことになる。この種のうわさは得てして秘密のベールに隠されていて、事実が明らかになることは少ない。しかし、その後、断片的ながらいくつか参照可能な情報が漏れてきた。このノートは、実験日時、実験の規模、空中か海中かそれとも陸上か(島か)について、昭和基地での地震観測データをもとに検証、推定の幅を狭めたものである。



2.実験に関する情報源

2.1 Gordon Thomasのノンフィクション

憂国のスパイ イスラエル諜報機関モサド、ゴードン・トーマス著東江一紀訳(1999年版) 光文社1999年7月5日発行、129-130頁、ISBN4-334-96091-Xに以下の記述がある。 「ラフィ・エイタンは、ほどなく、中東のみならず、南アフリカでのアメリカの情報収集法まで詳しく知ることができた。ポラードが入手したCIA局員からの報告書に、南ア国内におけるアメリカの情報ネットワークの青写真が含まれていたのだ。別の書類には、南アが「1979年9月14日、インド洋南端で核実験を行った時の様子が、事細かに記してあった。プレトリア(南アの行政上の首都)の南ア政府当局者は、自国は断じて核保有国ではないと主張していた(赤字は渋谷が強調,以下同様)。」

なお、この本の原書は2008年に改訂版が出されている。
Gideon's Spies - The Inside Story of Israel's Legendary Secret Service. Gordon Thomas, (2008年), JR Books, p 85-86, London, ISBN 978-1-906217-41-9.
"Rafi Eitan quickly obtained a clear picture of U.S. intelligence-gathering methods, not only in Middle East, but in South Africa. Pollard had provided reports from CIA operatives which provided a blueprint for the entire U.S. intelligence network within the country. One document contained a detailed account of how South Africa had managed to detonate a nuclear device on September 14, 1979, in the southern end of the Indian Ocean. The Pretoria government had steadfastly denied it had become a nuclear power."
改訂版においても実験日時は1979年9月14日とされている。
渋谷注:ラフィ・エイタンはイスラエルの、ジョナサン・ポラードはアメリカの情報部員であるが、同書に詳細な関係がかかれており、ここでは本筋でないのでふれない。Gordon ThomasはCIA, モサドのみならずイギリスのMI5やMI6など各国の情報機関の内情もこの本で暴露していて、西側・諜報の世界では危険人物と見なされているらしい。個々の記述はあまりに具体的で、南ア・核実験の記述も全くの創作とは考えにくい。


2.2 Wikipedia

フリー百科事典Wikipediaで「核実験の一覧」を検索すると、1. アメリカ、2. ソ連と続き、9. 南アフリカ/イスラエルの項がある。(http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=核実験の一覧&oldid=47216619), 最終更新2013.04.07,visit 2013.09.06。そこでの記述は以下の通りである。

南アフリカ/イスラエル
アメリカ合衆国の早期警戒衛星ヴェラは1979年9月22日にインド洋上で閃光と電磁パルスを観測した。これは南アフリカとイスラエルによる核実験との推測が有力となっている。

関連記事も多数検索できるが、爆発の規模、場所をうかがわせる内容として数例、引用すると以下のようになる。

例1.http://blog.livedoor.jp/abu_mustafa/archives/2692093.html/ (最終更新2010.05.24
10:38, visit 2013.09.06) 中東の窓:「イスラエルの南アフリカへの核兵器提供申し出」
から引用、(渋谷注:筆者はAbu Mustafaを名乗る。アラブ系ジャーナリストに同名の人
物が実在する。しかし、日本の元外交官と自己紹介しているのでペンネームかもしれな
い。その本名は私・渋谷には不明)

この記事は、前後の脈絡が取りづらいが、Haaretz(渋谷注:イスラエルの左派系報道機関)がUKのGuardian紙の記事を紹介する形で取り上げた報道(渋谷注:その大元は30年近く遡る1980年のCBS TVの記事でHaaretzのURLからtrace出来るらしいが、私・渋谷はたどり着けなかった)をさらに解説したものになっている。途中から引用すると。。。
「英国Guardian紙は、1975(原文ママ、渋谷注:1975年のことであろう)イスラエルが南アの白人政権に核弾頭を提供するとの申し入れをして、また実際に核兵器の部品を提供したと報じている。
G紙によれば、この秘密交渉に関する記録が米国の学者により発見されたが、その会談では当時の国防相ペレス [原著者注:現イスラエル大統領。確かパレスチナとの和平努力でノーベル平和賞をもらっている。渋谷注:シモン・ペレスのこと、国防相在任期間は1974.06.03-1977.06.20] は国防相ボータ(原文ママ)[原著者注:彼もその後大統領になったと思う。渋谷注:南ア政治家ピーター・ウィレム・ボータのこと、大統領在任期間は1984-1989年、首相在任期間は1978-1984年、国防相在任期間はわからなかったが1978年以前であることは確かであろう] に対して3サイズの弾道の売却をもちかけた。
当時国際的に孤立し、近隣諸国に対する抑止力を欲していた白人政権はこの申し出に興味を示したが、核兵器そのものの提供は行われなかった。しかし、イスラエルは30 gのtritiumを提供し、それを使って南アは数個の原爆を製造した。
以前からイスラエルと南アとの共同核実験の噂はあり、1979年米国の偵察衛星vela型はインド洋上南アから数百kmの上空で核実験の兆候を示す閃光を記録した。
この実験については、イスラエルの単独実験、奈々(原文ママ、渋谷注:南アの書き誤りと思われる)との共同実験、共同実験ではなくともその結果については双方が護衛艦から観測していた、との3つの解釈がある。この実験については1980年CBStvが報道し、米国が調査していた」
http://www.haaretz.com/news/diplomacy-defense/report-israel-offered-to-sell-nuclear-weapons-to-apartheid-south-africa-1.291800/(渋谷注:2013.09.06時点でaccessできなかった)

例2. http://questionbox.jp.msn.com/qa2507294.html, 「イスラエルはいつどこで核実験を
行ったのか?質問・相談ならMSN相談箱」に2006-10-30 18:15:49寄せられた下記質問。
イスラエルは明言をしない方針をとっていますが,核兵器を持っている事はほぼ公然の
秘密となっています。しかし核を保有しようと思えば核実験は不可欠ですが、イスラ
エルは中東戦争での占領地を含めてもそれほど国土が広いわけではなく、実験を
行う土地は無さそうに思われます。地下実験なら可能かもしれませんが、いずれに
せよ核実験を行えばいずれかの国の偵察衛星に発見されるはずです。しかしどこ
を調べてもイスラエルがいつどこで核実験を行ったのかという情報は見つかりません。
果たしてどうなっているのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー(渋谷注:下記アンサーの投稿日時は2006-10-31 02:50:49, 寄せられた回答は計2件と思われる)
「イスラエルが過去に核実験を行ったかどうかは不明」というのが世界各国による取り敢えずの認識のようです。ただ1963年と1966年の両年に、イスラエル南方のネゲブ(Negev)地域にて低出力での地下核実験が行われたのではないかという説があり、また、1979年に南アフリカ付近の沖にて3キロトン規模の海中核爆発がアメリカの核爆発観測衛星「Vela」(対ソ連用)によって観測された「可能性」があり、一部ではこれが南アフリカとイスラエルの両国による共同実験だったのではないかと憶測されています。
無論、いずれの説も確固たる証拠がなく、あくまで推測の域を出ないのが実情のようです。もちろん、No. 1さんの言うとおり(渋谷注:この回答者がNo. 2さんと思われる)イスラエルが他国(特にフランス)から核実験のデータを受け取った可能性も十分にあり、実際問題として自国による核実験は必要ないのかもしれません。

例3. http://map.sblo.jp/article/38471656.html, 「イスラエルの核実験[マップにおぼれ
て]」、2013年01月30日posted by 森田at 20:39,
イスラエルの核実験と題してGoogleによるプリンス・エドワード島の画像が掲載
されている。説明文は以下の通り。

地図は南アフリカ領プリンス・エドワード諸島(渋谷注:Prince Edward Island; 37˚55'E, 46˚38'S)。ここと南極に近いノルウェー領ブーベ島(渋谷注:Bouvetøy; 03˚24'E, 54˚26'S)の間で1979年9月22日アメリカの早期警戒衛星ヴェラが閃光と電磁パルスを観測。ブーベ島には放射性降下物が降る。これがイスラエルと南アフリカとの共同核実験であったと推測されている。

以上を念頭に、推定されている実験地と昭和基地との位置関係をFig. 1に示した。

note24_図01
Fig. 1. 南アフリカ共和国、昭和基地と推測されている核爆発実験地との位置関係を図示した。白抜き矩形は26.0-28.0˚S, 26.6-27.8˚Eの南北220 km x 東西120 kmの地域で後述するようにM = 3.0-3.8の鉱山性地震が定常的に起きている。星印はPretoria (25.45˚S, 28.12˚E) を示す。矩形域をNE-SWに横切る斜線でも回数は少ないが地震が発生する。黒丸3つはGordon Thomas(2.1節)のノンフィクションを参考にISC Bulletin 1979年9月号からpickupした、14日に3連発で発生した“核実験かもしれない”地震で表1のc-eに対応する。Bouvetøy (54˚26'S, 03˚24'E)及びPrince Edward島 (46˚38'S, 37˚55'E)はWikipedia (2.2節)が主張する核実験に関連した島であるが、後述の(1)式を用いたマグニチュードMsの計算では両島の中間点Xを仮の実験地として、そこから昭和基地(69.0˚S, 39.6˚E)までの角距離をΔ = 18.2˚(~2020 km)としている。


3. 1979年9月14日か9月22日か?

世界のどこかで起きる地震eventについてはISC (International Seismological Centre, UK) が地震観測点網の着震時刻をもとに震源地を決め、ISC Bulletinとして公表している(例えばAdams et al., 1982)。1979年当時でもMb(実体波マグニチュード)~4クラスで6点以上の観測点で記録があれば、精度が多少悪くとも、大体もれなく位置決定できている。規模が小さい地震(あるいは核爆発)の場合、近くの観測点で対応する振動記録があるかどうかが、event検出の鍵になる。Bouvetøyと昭和基地の角距離は約22.7˚ (~2500 km)なので、一定規模の核実験であれば、昭和基地地震計が検知していた可能性が高い(渋谷注:この時点で、昭和基地データはISCには報告されていない。またその後もUSGS PDEレポートには記載されているが、ISC Bulletinには含まれていない)。

1979年、昭和基地では第20次隊(森川武隊員:当時東大・地震研)がHES (Hagiwara's Electronic Seismograph) 型地震計(Hagiwara, 1958)で定常的に観測記録を得ていた。この電磁換振器―光学記録計システムは、送り速度2 cm/min、1ライン30分で地動を、24 mm幅のフィルムに48本のラインで1日分の地動変位を記録する。短周期地震計の固有周期は約0.6 sで、NS, EW, Z (up-down)の各成分が1日あたりそれぞれ1枚の長尺フィルム(余白を入れた全長620 mm)に記録される仕組みであった。


3.1 1979年9月14日の記録

9月14日の24時間分をカバーするフィルム記録は2セットある。(1)09.13.1337UT - 09.14.1104UTと(2)09.14.1105UT - 09.15.1131UTである。この2セットのフィルムに記録されている顕著なevent時刻は(a) 13d20h07m UT, (b) 14d07h48m UTの2つである(逆に言うと2つしかない)。ISC Bulletin(毎月1冊発行)の1979年9月カタログによると、(a)に対応する地震はSouth-Western Atlantic Ocean (Mb = 4.6)、(b)に対応する地震はKomandorski Island Region (Mb = 5.8)で発生したものである(表1a, b参照)。昭和基地地震計にはこの日、核爆発を示唆するeventは記録されていない。

Gordon Thomasでは「インド洋南端で」としているが、南端の意味がBouvetøyからさらに南下した海域とは考えにくい (Fig. 1参照)。いずれにせよ9月14日に昭和基地地震計で検知された疑わしいeventはない。それでは9月14日説自体が何らかのdisinformationなのだろうか?この疑問に答えるには、小規模の核実験が南アフリカ内地で実施されたかどうか考察する必要があろう。注目すべきはISC Bulletinの9月14日の欄に3個の南ア地震がカタログされていることである(表1c-e)。この地震は南アフリカ内地の通常の地震活動として説明可能だろうか?

南アの地質構造は先カンブリア紀に形成された楯状地(shield)なので、テクトニックな地震は殆ど起きない。ISC Bulletinに載っている地震は、金鉱採掘などによる比較的大きな鉱山地震と考えられている(小笠原ら、2009参照)。鉱山地震は、採掘により地盤に歪みがたまり、それが解放される時発生する。大抵は規模の小さな(Mb < 2以下)地震で、多発する傾向がある。1979年9月のISC Bulletinには26.0-28.0˚S, 26.6-27.8˚Eの南北220 km x 東西120 kmの地域(Fig. 1の矩形地域)にM = 3.0-3.8の地震が15個、記載されている。上記表1c-eの地震は、矩形地域下辺中央部の外側付近で発生したとされている(Fig. 1の黒丸印)。

1979年8月での同矩形区域内で発生した地震は9個、同10月では12個である。10年後の1989年9月では3個、さらに10年後の1999年9月では14個、またさらに10年後の2009年9月では1個、というように、この矩形域ではこの数十年間、多いときで~15個/月のM=3クラスの地震が定常的に発生するのが特徴と言える。この矩形域をはずれた地震も発生するが、それらの震央は矩形域を北東―南西に横切る線上(Fig. 1の実線)に配列するようである。

核爆発の行われる深さは通常0-2 kmで、10 km深さにはならないであろう。金鉱採掘による地震も、1979年8-10月の矩形域での震源深さが36個中34個について0-2 km深さであることから、核爆発と同じような深さにあり、両者は区別しづらい。北東―南西の横断線上で起きる地震の深さも23-33 kmという3-4個を除いた大抵のものが0-2 km 深さである。それに対して、表1dはともかくc, eは深さ19, 14 kmとされているので、常識的に考えれば「核爆発ではない」。しかし、これらのeventは南ア国内の5-6観測点によって記録されているだけなので、深さの決定精度は表1が示すような確固としたものではなく、地震決定に使用している地殻構造モデル、発震時刻ー深さのtrade-offにより、地下核実験に相当する深さ0-4 kmでも地震走時は説明できるかもしれない(このようなtrade-offでは、震央位置はあまり変化しない)。このように、カタログ上の震源深さを見ただけでは核爆発ではないと言う、決定的な証拠にはなりえない。9月14日の表1c-eが1時間以内に立て続けに発生した、3連発event(それぞれM = 3.0-3.6と見積もられている)であることも気になる。先の約60個のM = 3クラスの鉱山地震では、1時間以内に3連発で、ほぼ同一地点で発生した事例がなかった。しかし、M = 2クラスが数秒から数日間隔で2 - 3個連発することがありその場合震源が隣り合っているので、連発だから人為的な地震とは断定できないらしい。

このように表1c-eは疑わしい地震ではあるが、「核実験という確証はない」。しかし、鉱山地震は小規模とは言え断層破壊(Shear dislocation)による”普通の地震”であり、P波、S波ともにしっかり観測される。(地下核爆発は、継続時間の短いとても単純な地動速度波形で上下動成分の振幅が卓越する)。表1c-eの地震波形原記録を見ることができれば鉱山地震か人工地震かの区別はつくと思われる。


3.2 1979年9月22日の記録

Fig. 2は1979年9月22日11h08mから始まり23日10h30mまでの1日分フィルムセットを2段にわたって編集したものである。上から上下動(Z)、水平動南北(NS)、水平動東西(EW)成分の順に並べてある。赤丸が顕著なeventの振動開始(発現時刻)であるが、3連発で、振幅が徐々に大きくなりそれからゆっくり減衰して行くという点に特徴がある。

この3連発のeventも9月22日のISC Bulletinにはカタログされていない。実体波の伝播に最大30分を見込んで、着震時刻前後約1時間(14h30m~15h30m)に発生したeventをISC Bulletinから探して見ると表2のように(a) Eastern New Guinea, (b) Central Italyの2つの地震しかない。そしてこれらの地震が昭和基地の着震時刻を説明することはありえない。

Fig. 2のように昭和基地地震計で記録された3連発の第一 (P1)eventは15h03m46sから2m50sの継続時間、第二 (P2)event開始は15h10m42sと思われるが、切れ目がはっきりしないまま15h14m30sには別のevent (P2') が続き、その継続時間は15h18m30sまでの4 minと思われる。NS, EW成分での発現時刻は不明瞭である。そして、第三(最後:P3)のeventは15h19m50sに開始、5m10sという、いずれも異様に長い継続時間を持っている。

note24_図02
Fig. 2. 1979年9月22日から23日にかけての昭和基地HES地震計記録。上から順に上下動Z成分、水平動NS成分、水平動EW成分を並べた。立て縞のように見える白い分マークが1ラインに30個並び、1ライン30分であることが判る。原フィルムでは、1分2 cmの送りである。そのままだと横幅が広すぎるので、19分マークの箇所でカットし、19~32分を下の段に移した。ライン間隔は0.5 mmで,24 mm幅のフィルムに48ラインで1日分の地動を記録する.赤マークのP1が第一のeventに対応している。3成分で開始時刻に大きな差はない。その後、白い筋状のラインが約3分続くのは地震計の揺れに対応している。P1の約7分後には第二のP2 eventが始まった。Z成分に比べ、NS, EW成分の開始は数10秒遅れている。実際の読み取りはフィルムリーダー(マイクロフィッシュなど、古文書のアーカイブを読む器械)で像を拡大して行う。この図では判別できないが、Z成分で見るとP2の後ろ約3分50秒後に、明らかに別のP2'eventが認められる。一方、NS, EW成分ではP2'eventの開始は明瞭ではない。そして更に約5分後の15h19m50sに最後の(第三の)P3eventが発生し,Z成分の白い筋の長さから継続時間が5分10秒であることが判る。3連発で特異な波形のこれらeventは昭和基地の長い観測の歴史においても唯一の例である。

Tsumura (1967)は近地微小地震(一般的にはΔ < 200 km)において振動継続時間(秒)が長いほど、その対数の定数倍で地震の規模(マグニチュード)が増大することを示したが、大抵のものは長くても1分である。近地地震でFig. 2のように振動継続時間が2分以上のeventの規模はM~4に相当している。

一方、表面波の地震波形から具体的なマグニチュードを推定する方法として、Vanӗk et al. (1962)は

Ms = log10 (A/T0)max + 1.66 log Δ + 3.3         (1)

を提案した。この(1)式はISC Bulletinでも表面波マグニチュードMsの推定式として採用されている。ここでAはμmで計った地動の最大振幅、T0はその周期、適用できる震央距離Δは25~140°の範囲である。第一のeventについて、HES地震計による倍率5 x 104で記録フィルム上得られた1.2 mm(地動換算で0.24 μm、T0 = 1.2 s、以上、測定値)及びΔ = 18.2˚(~2020 km:2つの島の中間点X(Fig. 1)と昭和基地間の角距離で、この仮定値は25°より短いが)を(1)式に代入すると、Ms = 3.7となる。同様に第二、第三のeventの規模はそれぞれ、3.1, 3.5である。なお、Bouvetøy近くで起きたeventの昭和基地までのP波走時は約300 s(~5 min)である。従って、上記eventの発生時刻はUTでそれぞれ、P1: 14h59m, P2: 15h07m, P3: 15h15m頃と推定できる。



4. 地下核実験ではない

HES式地震計は、毎日フィルム現像が必要なことから、維持労力が大で南極の観測向きではない。そのため、HES地震計システムは、1980年2月以降、第21次隊により、μコンピューターを利用したevent detection式デジタル記録計及び、ペン書き長時間モニター記録計に置き換えられた(渋谷、1986参照)。写真1は設置作業中のevent recorderの外観である。第20次隊までの変位型地震計と異なり、速度型地震計と呼ばれる「地動速度に比例した電圧出力」が記録される(Shibuya and Kaminuma, 1982)。

note24_図03

写真1.第21次隊で筆者が設置作業中のevent recorderの外観。右ラック2段、3段のマイクロコンピューター制御で検知した地震デジタル記録を左ラックのCT(今となっては懐かしい言葉であるが)に書き込む。Main, backupの2式ある。手前毛布がかかっているのと、右端が尾池式ペン書き長時間記録計である。

Event triggerの原理はSRO (Seismic Research Observatory; Peterson et al., 1976)と同様、STA/LTA比(STA = short term average, LTA = long term average)が、ある設定された「しきい値」を越えたとき地震と判別する方式であるが、本論とは関係ないので詳細な説明は省略する。

昭和基地で検知・収録されたeventは多々あるが、下記の表3にSouthern Nevada及びEastern Kazakhstanの核実験例を示す。Figs. 3a-3dは、それら核爆発による昭和基地での初動部分の地動速度観測記録例であり、Figs. 3e-3f は比較のために掲げたBouvetøy近海で発生した自然地震の波形例である。

note24_図04
note24_図05
note24_図06

Fig. 3. 地下核実験の昭和基地記録波形例(a) – (d).(a) 1980年7月25日,Southern Nevada, 表3(a)参照;(b) 1981年6月6日,Southern Nevada, 表3(b)参照;(c) 1981年9月13日,Eastern Kazakhstan, 表3(c)参照;(d) 1981年12月27日,Eastern Kazakhstan, 表3(d)参照.(e) – (f)は比較用のBouvet島近海で発生した自然地震の例である.(e) 1981年6月28日,Bouvet Island Region, 表3(e)参照;(f) 1981年9月16日,Bouvet Island Region, 表3(f)参照.すべての例で上からNS, EW, Z成分の順に並べた.Shibuya and Kaminuma (1982)による。

一般的にある観測点での地動速度波形 f (t) は

f (t) = s(t) * p(t) * I(t)     (2)

で表わされる。ここで、* はconvolutionを表す。s(t)を震源関数と呼び、核爆発の場合、近似的には長さ1 s以下のone shot pulseである。自然地震において例えば30 km長さの断層が破壊される場合、破壊速度は約3 km/sで進行するので、s(t)は30 km/ 3 kms-1 = 約10 sの長さの時間関数になる。p(t)を伝達関数と呼ぶが、発生場所と観測点を結ぶ「地震波が伝わる経路」での屈折、反射、回折、減衰などによってその特徴が定まる。I(t)は地震計の応答関数で、昭和基地という観測点を固定すれば、どの地震に対しても同じである。

核爆発ではZ(上下動)成分が卓越し、NS, EW成分には現れにくいことが知られているが、3(a), (b)のSouthern Nevada explosionに対しては一定の振幅を与えている。昭和基地は爆発源から約146°の角距離にあるが、そこでのP波初動はPKPというマントル―外核(流体なのでS波は伝わらない)―マントルを通過してきた実体波で、NS, EW成分にも変換P波が現れている。3(c), 3(d)のEastern Kazakhstan Explosionでは角距離が122°と短いにも関わらず、3(a), 3(b)と比べ、全体的に振幅が小さく初動部分の周波数も高い。これは、角距離103°~143°はshadow zoneと言ってP波もS波も伝わらず、昭和基地(Δ = 122°)はそのzone内にあるためである。しかし、全く伝わらないわけではなく、Pdiff と呼ばれる外核―内核境界で回析した小振幅のP波が到達している。

両者に共通する特徴は、周波数が単一で、実体波マグニチュード(Mb = 5.5―6.2)に比べ、後から来る表面波で測ったマグニチュード(Ms = 4.2―4.9)が約1.2―1.8小さいことである。これは地下核実験では爆発が瞬間的に、かつ等方的に進行し、そのエネルギーが表面波に変換しづらいことが反映している。一方Bouvetøy近海地震の初動は単一の周波数ではなく、波形も複雑である。Fig. 2の波形が核爆発起源としても、単一の周波数でもなく、単調減衰振動的な時間変動も示さないので、これが地下核実験起源とは99.9%考えられない。



5. 大気中核実験でもない

大気中核実験により生じる一番顕著な現象は、衝撃音(infrasonic signal)の発生による気圧振動である。但し、距離が離れるにつれ変化量は急激に減少する。Ben-Menahem (1975)はツングース隕石(1908年6月30日落下)の衝撃規模を推定するにあたり、1950-1970年代の核実験データのreview/再解析も行ったが、1952年10月31日19h14m59s UTのMarshall群島での14 Mt核実験における潮岬(Δ = 3645 km)での変動シグナルを330 μbar (peak-to-trough振幅)、周期330 sとした(p14, Table V)。これは現代の単位で表わすと0.33 hPaに相当する。

もし、南ア/イスラエルのBouvetøy実験がWikipediaの言う通り3キロトン程度とすると、昭和基地までの距離は潮岬の例に比べ約半分(Δ ~ 2020 km)と近いが、爆発規模が10-3と小さいので、昭和基地の気圧計では検出できない振動規模だったと思われる。自記気圧計原記録(感度1.5 cm/hPa)を一応、調べて見たがシグナルらしきものはなんら見当たらなかった。

しかし、大気中核爆発は地震動も励起する。Ben-Menahem (1975)は核爆発のsource model(地殻に及ぼす力源モデル)は鉛直・下向きのsingle forceで代表され、生じる実体P波、表面Rayleigh波の地動変位、SH波やLove波が観測されないことをうまく説明できたとしている。1961年10月30日のNovaya Zemlyaにおける58 Mt (3.66 km上空)での核爆発はΔ = 2170 km離れたUppsala (スウェーデン)で86μm (peak-to-peak振幅), T0 = 12.5 s のRayleigh波基本モードを励起したが、これは理論計算による地動変位80μmと良く一致するとのことであった(p17, Table VII)。なお、同年9月10日の10 Mt爆発の際のUppsalaでの上下動記録(p7, Fig. 3A)ではsubcrustal reflection R11がP波初動振幅に比べ5μmという約20倍大きな振幅で記録されている(このノートのFig. 4として採録)。大気中核爆発でも、上下動地震計で記録されるP波、S波、Rayleigh波、反射波などの時系列波群の特徴は浅発自然地震のそれと大きくは変わらないことを考慮すると、Fig. 2の波形が大気中核実験に由来するものとは考えにくい。

note24_図07

Fig. 4. 1961年9月10日のNovaya Zemlyaでの10 Mt核爆発で励起された地震波形.Uppsala (スウェーデン) での上下動記録にR11反射が明瞭に記録されている。Ben-Menahem (1975)のFig. 3A (p7)を再録。

もうひとつの理由は、爆発時刻が約15分という短い時間に、少なくとも3連発で集中している点である。南アからBouvetøyまで飛行機を飛ばし、3回の実験を行って往復6000 km以上の距離を無着陸で戻るというのは、その間の気象条件の変化、機体・人体への爆発の影響を避けるという点から考えると無謀に近く、現実性が極めて薄いと思われる。これは実験地がPrince Edward島近くであったとしても、同じことであろう。



6. 海中核爆発だったことは間違いないだろう

海中ダイナマイト爆破による地震波の発生についてはWielandt (1975)の研究がある。海中爆破は水圧に抗して海水を押しのけ、空隙を発生させる。ダイナマイト換算の薬量が大きいほど、できる空隙(具体的にはFig. 5の半径rで表わされるbubble)の体積が大きくなり、bubbleの振動周期は長くなる。地震波はbubble震動が海底岩盤に伝わることで遠方に伝搬する。そして、bubble周期が近似的に地震波周期に等しくなる。

Fig. 5はbubble発生と振動伝搬の模式図である。図でわかる通り、爆発深度と境界面との相対距離が重要な意味を持つ。爆発深度aが海面に近すぎる場合、bubbleは空中に開放してしまうし、爆発が海底で起きると、発生bubbleが海水と海底岩盤の境界層にまたがる形になり、理論的な取り扱いにおいて非線形の度合いが強くなる。しかし、図においてr<<a, r<<bであれば、bubble振動の理論的取り扱いは単純化される。

note24_図08
Fig. 5. 海中ダイナマイト爆破で発生する地震波はWielandt (1975)が論じている.海水(1.5 km/s)とその下の堆積層(図では3.0 km/s)では速度比が大きいので,海底反射では爆発のエネルギーが海水層にトラップされやすく,反射波の減衰が時間的にゆっくりで,振動は長く継続する.爆発が海面近くだと発生したバブル(半径r)が空中に開放し,理論通りにはならない.

Wielandt (1975)の詳細な数式に深入りすることを避け、本論にとって有用な情報をまとめると以下のようになる。

(1) bubble震動は、境界層での音響反射係数R

R = (αρ2γρ1)/ (αρ2γρ1) = (3.0 x 2.4 -1.5 x 1.0)/ (3.0 x 2.4 +1.5 x 1.0) = 0.66 (3)

についてRのべき乗に従う振幅の和になるが、一般的な地中媒質のRに比べ大きな値なので、エネルギー減衰がゆっくりである(反射波が相対的に長時間続く)。ここで、α, ρ2,γ, ρ1 などにはFig. 5に記入した、海水、堆積層での一般的な値を代入した。

(2)  bubble周期TBは理論シミュレーションで求められるが、それは経験式

TB = 2.1 W1/3 (h + 10)-5/6            (4)

で求められる値とほぼ等しい。但しTBはs, 薬量WはTNT換算でkg, 水深hはmの次元を持つ。

ちなみにW = 10 ton = 104 kg, h = 200 mとすると、TB = 0.52 s となり、理論シミュレーションによる540 ms (WielandtのFig. 10による)とほぼ一致する。もし、Wikipediaに従い、W = 3 kTon = 3 x 106 kg, 水深としてh = 1000 mを代入するとTB = 0.96 sとなる。従って、発生する地震波周期も約1 sであり、HES地震計の卓越通過帯域0.5 - 2.0 s内にあり、観測にかかりやすい。

なお、1990年代以降、海中ダイナマイト爆破は海生生物への悪影響が大きいということで、禁止あるいは自粛されている。しかし1980年代には0.2~10 ton爆破はLongshotとして一般的に実施されていた(例えばShimamura et al., 1983)。その実験により海洋性リソスフェアの速度異方性が明らかになったが、地震波検出には速度型海底地震計が用いられ、2 - 14 Hzのモホ面からの屈折波初動が主な対象であった。この顕著な波は約30 sの継続時間で、later phaseとして遅れて到達するbubble震動は地震計の周波数応答の低下が原因で検知していない。Fig. 2の特徴的な振動様式(P波初動時刻は不明瞭で、later phaseである1-3sの一定周期の振幅が徐々に大きくなり、それからゆっくり減衰して行く)は海中爆破に特有で、しかも、規模がMs = 3~4クラスと一般的なダイナマイト爆破に比べ1桁以上大きい(薬量が3キロトン相当)ことから、核実験と判断される。



7. 私の出した結論

(1) 昭和基地でのHES地震観測記録から判断すると、南アフリカ単独、あるいは南ア・イスラエル
合同で海中核爆発実験を行ったことは、確実である。
(2) 実験日時は1979年9月22日で、第一shotは14h59m UT, 第二shotは15h07m UT, 第三
shotは15h15m UTである。
(3) 表面波マグニチュードMsに相当する爆発規模はそれぞれ、3.7, 3.1, 3.5であった。
いずれも、TNT火薬3kTに相当する。
(4) 場所は昭和基地北方約2000 km (Δ = 18.2˚)で、BouvetøyとPrince Edward島を結ぶ
線上(島を含む)のどこかであろう。

さらに大胆に推論すると、
(5) 1979年9月14日、南ア国内で3発の臨界内核実験を02h15mから02h38mにかけて
行った可能性がある。ISCに報告されている5-7観測点での地震記録波形を調べれば、
人工地震か自然地震かまでは、判別できるかもしれない。
(6) 第二shotの振動記録は見かけ上、第一、第三shotより長いが、最大振幅はその二者に
比べ小さい。第二shotは爆発深度が水面近くで、bubbleが空中に開放し、その時vela
衛星が放射性物質を検知したのかもしれない。

残った疑問は
(7) Wikipediaによると、Bouvetøyに放射性降下物があったということだが、Bouvetøyは
ノルウェー領である。政治的リスクを冒してまで、他国領土に明らかな侵害を残すような
実験を南アはやるだろうか?南ア領であるPrince Edward島近くの方がもっともらしい。
(8) この海中核爆発で核物質の使用量と爆発の影響範囲の関係を推定する分には意味が
あったかもしれないが、核爆弾開発としての意味ある実験データの取得は殆どできなかった
のではないかと思われ、結局、何が目標だったのかが判らない。



8. 謝辞

中谷正生氏、岩崎貴哉氏(東大地震研)からは鉱山地震の性質について御教示を得た。島村英紀氏(武蔵野学院大)からは海底地震計による海中爆破実験について御教示を得た。なお光文社総務部からは「憂国のスパイ」からの引用許可を得た。東江一紀氏、Gordon Thomas氏からは現時点(2013.11.15)でコメントはない。



表1 ISC Bulletinに掲載されている1979年9月13-14日の地震

Origin time latitude longitude depth obs No. magnitude region name
d/h/m/s (˚) (˚) (km)
a 13/20/00/55.5 59.43S 20.1W 10 23 4.6 South-Western Atlantic Ocean
b 14/07/28/32.3 53.64N 169.74E 28 431 5.8 Komandorsky Islands Region
c 14/02/15/14.8 28.10S 26.90E 19 6 3.4 South Africa
d 14/02/17/09  28.1S 26.6E 0 5 3.6 South Africa
e 14/02/38/29.7 28.09S 26.83E 14 7 3.0 South Africa



表2 ISC Bulletinに掲載されている1979年9月22日の14h30mから15h30m に発生した地震

Origin time latitude longitude depth obs No. magnitude region name
d/h/m/s (˚) (˚) (km)
a 22/14/38/07.1 6.26S 147.94E 67 23 4.8 Eastern New Guinea Region
b 22/15/25/34.5 42.78N 13.02E 2 21 3.4 Central Italy



表3 ISC Bulletinに掲載されている1980-81年に行われ、昭和基地で観測された核実験の例とBouvet Islands Regionの地震

Origin time latitude longitude Depth Mb Ms distance azimuth record
(˚) (˚) (km) (˚) (˚)
Southern Nevada Explosion
a 1980/07/25 19h05m00.1s 37.3N 116.5W 0 5.5 4.2 145.6 195 3a
b 1981/06/06 18h00m00.0s 37.3N 116.3W 0 5.5 4.2 145.6 195 3b
Eastern Kazakhstan Explosion
c 1981/09/13 02h17m18.4s 49.89N 78.98E 0 6.1 4.9 122.1 344 3c
d 1981/12/27 03h43m14.2s 49.90N 78.86E 0 6.2 4.4 122.1 344 3d
Bouvet Island Region
e 1981/06/28 05h41m58.0s 54.56S 6.0E 10 4.8 --- 21.1 304 3e
f 1981/09/16 11h48m08.0s 55.46S 1.49W 10 4.9 --- 22.9 307 3f

* 昭和基地から震源に向かって時計回りに測った角度



引用文献

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Q and A

Q1: 大気中核実験の有無は気圧振動(圧力波)でわかるということですが、μbarレベルでは小さすぎて無理なのではないですか?
A1: 気圧は低気圧―高気圧の通過で例えば960 hPaから1020 hPaへと言うように1週間で60 hPaくらい簡単に変わるので、その変化の検知に特化したセンサーではμbarレベルの変化を検出するのは無理です。しかし、火山噴火や核爆発で生じる微気圧振動は0.02-4 Hz(超低周波不可聴音:infrasound)という安定した周波数で長距離伝搬するので、0.001 Pa (1μbar = 10-3 mbar, 1 mbar = 1 hPa = 102 Pa)という高感度・高分解能で測れるセンサーが存在し、それを使えば検知できます。測定器というより測定装置と呼ぶ大がかりなもので、包括的核実験禁止条約(CTBT:Comprehensive Test Ban Treaty)のもと、上記感度を持つ標準センサーを用いた微気圧振動監視施設(ISをコード番号とする)が全世界に60地点設置されています。日本では千葉県夷隅町にIS30が、南極ではドイツのノイマイヤー基地にIS27が、マクマード基地近くのWindless BightというところにIS55の観測点が置かれています。昭和基地でも2008年頃からパイロット観測を開始しました。この施設群で構成した観測網ならば、1 μbarレベルの気圧振動伝搬が検出出来ると信じられています。イスラエル地球物理研究所 (Geophysical Institute of Israel) が2011年1月、100トン地表爆破をSayarim Siteという施設で実施したところ、東方6250 km離れたモンゴルのIS点でinfrasoundが記録されたと言います。2009年8月に同じsiteで行った同様の実験では、西方3400 km離れたパリ近郊のIS点まで届いたということで、夏冬の違いの検証になったということです。
(http://www.gii.co.il/preliminar_results_from_the_large_scale_surface_explosions_at_Sayarim_Site,_for_Infrasound_Calibration.html/


Q2: 4章で地下核実験ではないとしていますが、自然地震と地下核実験の区別はどうのこうの言っても無理なのではないですか?
A2: CTBTでの監視ネットワークにはQ1/A1で述べた大気中核実験を探知するためのinfrasound networkとともに、地下核実験を検知するための地震観測網があります。地震観測をいくら密にやっても真実はわからないという立場がどこからでてくるかについて、Lynn R. Sykes教授(下記文献執筆時、Columbia University, Lamont-Doherty Earth Observatory教授)の興味深い論考があります(Sykes, 1997)。
詳細は論文を読んで戴くとして、ロシア(旧ソ連)のNovaya Zemlya核実験場「付近」で発生したevent(1997年8月16日)は、北欧を中心とした9-10観測点(そのうち4-5点は各点自体がarray網になっている)のデータの解析から、2日後には核実験場から「南東へ100 km離れた海域で起きた自然地震である」ことが判っています。波形を用いた判別方法は、4章で述べた方法と基本的には同じです。核実験場の場所が予想されている場合は、当然、それに特化した配置の観測網が敷かれるので、自然地震と地下核実験の判別は現代では100 %可能です。しかし、上記の場合、Some Responsible U.S. Officials (論文では役職と具体的氏名が挙げられている) が政治的思惑から自然地震か核実験かあいまいにしておくことを望み、Washington Times, Washington Postなどにこのeventは核実験だという(あるいはそう解釈できるように誘導した)欺瞞情報を2週間以上リークしたということです。

Sykes, L.R., 1997. Small earthquake near Russian test site leads to U.S. charges of
cheating on Comprehensive Nuclear Test Ban Treaty. Journal of the Federation of
American Scientists, Vol. 50, No. 6 (November/December).

http://www.fas.org/faspir/pir1197.htmからdownload可(2013/10/04 visit)。

なお、当該のeventは1997年8月のISC Bulletinでは、16d02h10m59.2s±0.93, 72˚6N±˚11, 56˚9E±˚29, h10 km, n = 16, Novaya Zemlya の自然地震と記載されています。


Q3: 変位型地震計、速度型地震計という言葉がでてきますが、違いとその意味が判りません。
A3: 簡単に言えば、変位型地震計は地表変位に比例した電流あるいは電圧出力を生じる換振器(センサー)です。振幅に対する周波数特性A(ω) = 一定、位相特性α(ω) = 0になります。速度型地震計は地表の変位速度に比例した電流あるいは電圧出力を生じる換振器(センサー)です。振幅に対する周波数特性A(ω) ∝ ω、位相特性α(ω) = π/2になります。同様に加速度型地震計は地表の変位加速度に比例した電流あるいは電圧出力を生じる換振器(センサー)です。振幅に対する周波数特性A(ω) ∝ ω2、位相特性α(ω) = πになります。1台の地震計で、変位、速度、加速度すべてを歪まないように観測するのは事実上不可能で、それぞれの特徴を生かした製作を行います。地震観測の基本的な事柄なので、HESを設計・製作したHagiwara (1958)だけでなく、地球物理学の教科書、例えば宇津(1977)でも説明があります。ネットで読むならHUSCAP (Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers)のアーカイブから田(1963)をdownloadすると良いでしょう。

田望、1963. 地震観測用の諸計器の試作、北海道大学地球物理学研究報告、10巻、143-169頁。
http://hdl.handle.net/2115/13855からdownload可(2013.10.04 visit)
Den N., 1963. 12. Trial fabrication of the instruments to observe seismic waves.
Geophys. Bull. Hokkaido Univ., 10, 143-169.

宇津徳治、1977. 地震学、共立全書216、共立出版、286頁。