2002年6月、ロシアがチャーターしたドイツ船籍の輸送船Magdalena Oldendorff号(以後MOと略記)が南極海域で海氷に囚われ、救助船が出動する騒ぎになった。暗夜期でもあり、レスキューオペレーションの手助けとなる衛星観測としては合成開口レーダー(SAR) しかない状態であった。昭和基地では当時、ERS-2衛星を受信していたが、国際的な衛星観測機関を通じて、受信シーンのデータ伝送依頼が寄せられた。結論から言うと、MOが南極沿岸域で越冬することが先に決まったため、昭和基地での受信シーンがMOの氷海からの脱出に役立つことはなかった。このノートはERS-2受信から見たその顛末(脱出失敗談)と言えるが、後日談を含め色々な意味で興味深いものがある。
極地研(NIPR)・・・渋谷和雄、土井浩一郎
昭和基地(Syowa, JARE-43)・・・若林裕之
NASDA(現 JAXA)・・・中沢孝
RESTEC・・・西条泰文
US National Ice Center(NIC), RADARSAT Web Administrator・・・Marilene Kazior
ESA/ESRIN・・・Silvia Sciarini, Fabrizia Cattanero
AARI, St. Petersburg, Russia・・・Vasily Smolyanitsky
ALCI, Pretoria, South Africa・・・Vasily Kaliazin
MO・・・Ian Dikiy
事件が起きた2002年は1991年のソ連・崩壊後10年近く経った時期であるが、ロシアは基地を多数抱えていて、経済的事情から南極観測基地への補給継続にまだ四苦八苦していた。7月の厳冬期にMOのような砕氷装備のない傭船を、南極沿岸域に派遣するのは常識を越えているが、止むにやまれぬ事情があったのかもしれない。1998年にはERS-1衛星のSARは既に運用終了していて2002年現在ERS-2のほか、Radarsat-1のSARが運用中であった。ERS-1と違ってERS-2は実用衛星ということでSAR受信には課金が伴う。つまり、費用負担者は誰かということが確定しない限り、active sensorであるSAR はswitch-onされない。当時、南極を撮像したERS-2のSARデータは原則、昭和基地、オヒギンズ基地、マクマード基地のいずれかでdownloadされ、記録・保存されていた。昭和基地アンテナはNIPRの施設であるがNASDAの受信局という位置づけにあり、受信要求はNIPR→NASDA/RESTEC→ESA/ESRINという経路をたどって送られ、OrderdeskがAcquisition実行(SAR switch-on)を決定する。そしてSHAQと呼ばれるアンテナ運用パラメーターが逆経路でNIPR/Syowaへ送られ、JARE隊員がテープに受信生データを記録し、その結果(status)をNIPR/NASDA/ESAへ報告するというのが一連の作業内容であった。このように手順が複雑な上に、ERS-2衛星進行方向の方位を示す yaw-pointingが安定しないという問題があり、狙った範囲のシーンが確実に得られるかどうか解析してみるまで不透明だという間の悪さもあった。
今回の顛末をFAX/e-mailやり取りの時系列で示す。項目は、日時(日本時間=UT + 9 hr)、発信者、宛先とcopyの主な受信者、伝送内容と注である。
No. | 日時 | 発信 | 受信 | 内容 |
1 | 2002/06/10 | Silvia Sciarini | 渋谷和雄 | 緊急のERS-2受信要求 |
2 | 2002/06/17 | 渋谷和雄 | Silvia Sciarini | No. 1への回答。急いでいるようだが、受信データは2003/04/11の東京着まで回収できない。 |
3 | 2002/06/27 | Silvia Sciarini | 西条泰文 | 緊急のERS-2受信要求 |
4 | 2002/06/28 -07/02 |
若林裕之 | 渋谷和雄 | 受信4シーンのstatusレポート、すべてOK。 (注) 緊急受信要求とは無関係のシーン。 |
5 | 2002/07/10 | Marilene Kazior | NIPR
web e-mail address |
Syowaでの緊急受信可能性を聞いてきた。 (注) ここで初めて一連の受信要求がMO救出の一環であることを理解した。 |
6 | 2002/07/11 | 渋谷和雄 | Marilene Kazior | No. 5への回答。上海SCAR会合で07/14-07/21留守にするので、回答は待ってほしい。No. 1, No. 3と要求が同一内容なら受信データが東京に戻るのは2003/04/になると繰り返した。 |
7 | 2002/07/05 -07/22 |
若林裕之 | 渋谷和雄 | 受信7シーンのstatus report。すべてOK。緊急受信要求とは無関係。 |
8 | 2002/07/24 | 渋谷和雄 | 中沢孝 西条泰文 若林裕之 |
No. 1, 2, 5メールを転送した。US National Ice CenterのERS-2の受信要求がMOのビセット、rescue, 航路選定に関係しているという背景を説明した。 |
9 | 2002/07/24 | 中沢孝 | 渋谷和雄 | 受信について肯定的な反応。但し、画像が作れるか?という疑問符付き。 |
10 | 2002/07/24 | 若林裕之 | 渋谷和雄 | 受信要求の背景理解した。37588 (29/June)と37564 (27/June)の処理を行う。 |
11 | 2002/07/25 | 渋谷和雄 | Marilene Kazior Vasily Kaliazin |
下記が通知内容。 ・渋谷が昭和アンテナ運用に関するNIPR liaisonである。 ・MOビセットのニュースを07/10に知った。 ・Marilene KaziorからERS-2受信要求があった。 ・データテープの戻りが2003年4月になることもあり、また上海SCAR会合に参加するため07/14-07/22はno actionであった。 ・07/24に昭和基地に問い合わせたところ、SAR画像を現地で作れることがわかった。 ・救出問題は現時点で解決したか?まだ画像が欲しいなら連絡してほしい。 ・ERS-2はyaw-pointingがずれていて、target areaを含む画像が出来るかどうかはやってみないと判らない。 |
12 | 2002/07/25 | Vasily Kaliazin | 渋谷和雄 | データはまだ必要である。 |
12' | 2002/07/25 | Vasily Kaliazin | 渋谷和雄 | MOのdaily reportを転送する。船長はI. Dikiy。 (注) 2002/07/25/06UTの位置は69˚41.9’S, 03˚23.3’W, 2.5-3 m氷厚のice ridgeを通過した。船はWSW方向にのみ航走可能。 |
13 | 2002/07/25 | 若林裕之 | 渋谷和雄 | 37588, 37564の画像シーンを処理したが、MOの位置は含まれていない。東側の海域を撮影していた。 |
14 | 2002/07/26 | 渋谷和雄 | Marilene Kazior Vasily Kaliazin |
No. 13の内容を通知。 |
15 | 2002/07/26 | 若林裕之 | 渋谷和雄 | 37521(24/June), 37545(26/June)の画像シーンはいずれもMOの位置を含んでいなかった。 |
16 | 2002/07/27 | Vasily・ Smolyanitsky |
渋谷和雄 | 観測隊員が離脱したので、現在、アルゼンチン海軍の砕氷艦Almirante Irizar (MOと同じ69˚39’S, 04˚02’Wにいる)がrescue活動を行っている。No. 14のメッセージはこの件の窓口であるArgentine Ice ServiceのManuel Picasso大尉に届けた。なお、軌道の問題でENVISAT ASAR, RADARSAT SARデータがともに得られない状況下では昭和受信データの役割はとても重要である。 (注) Vasily SmolyanitskyはAARIの人間で南アフリカの Agulhas による初期の段階のrescue作戦に関わったとのこと。 |
17 | 2002/07/29 | 渋谷和雄 | Vasily・ Smolyanitsky Marilene Kazior Silvia Schiarini 中沢孝 西条泰文 |
上海SCAR会合に出席する7月14-21日及びその前後が忙しかったので、MO救出活動の概要を理解するのに時間がかかった。MO.pdfは昭和基地受信のERS-2 SARシーンのstatusである。37521, 37545, 37564, 37588は処理したが散乱画像にMOの位置は含まれていない。もっとも適切であったかもしれない37650 (2002/07/03)はアンテナ維持と日程が重なり残念ながら受信できなかった。descwを調べたら次のパスは38151 (2002/07/08)あるいは38423 (2002/08/26)だが、通常の受信要求の期間外になってしまう。もしAARIがデータを望み、NICが37650の代替パスを要求しないなら、またESAがOKするならNIPR/NASDAが38151のシーンを要求するがいかが? (注)Mo.pdfはここでは表示しない。 |
18 | 2002/07/29 | 渋谷和雄 | 若林裕之 | No. 17の状況を昭和基地にも伝えた。 |
19 | 2002/07/29 | Marilene Kazior | 渋谷和雄 | NICが受信要求した(7月3日の37650)理由は昭和からなんとかデータを回収したかったからである。しかしNo. 6メールで2003年4月にならないとテープが日本に戻ってこないことを理解した。 現時点での私(Marilene Kazior)の質問はftpで昭和基地から重要な受信データを回収できるかどうかである。これが可能なら今後、同じような事態が起きても対処できるであろう。 |
20 | 2002/07/30 | Fabrizia・ Cattanero |
渋谷和雄 | MOの位置(69˚39’S, 04˚02’W)を含む画像を取得するためのプログラムを組む用意がある。この受信要求がJapanese accountであること(NIPRが課金負担すること)を確認してほしい。8月7日まで日がないので即決してほしい。 (注) Vasily Smolyanitsky, Marilene Kazior, Silvia Schiarini, 中沢孝、西条泰文にもコピーが送られた。 |
21 | 2002/07/30 | 土井浩一郎 | RESTEC/大林 (西条泰文代理) |
以下の受信要求を送る。 Date Orbit Track Frame Time Scenes a/d 20020807 38151 221 5031-5067 8:31-8:31 3 d (注) コピーが渋谷和雄、若林裕之にも送られた。 |
22 | 2002/07/30 | Marilene Kazior | 渋谷和雄 | Almirante Irizar/MOは現在、(69˚56’07"S, 01˚26’06"W)にいる。過去48hr同位置である。彼らがNICから受け取る衛星画像は大部分が雲に覆われている。No. 11からInmarsat data transferにより昭和基地はdigital imageを送ることが出来ると理解して良いか? |
23 | 2002/07/31 | 西条泰文 | 渋谷和雄 | 8/7 orbit 38151はESA/Orderdeskにより受け入れられた。以下Orderdeskからのdaily reportが続く。 Area Name: SY000293 Polygon Vertex Lat Lon 1 -67:53 358:15 2 -68:21 000:13 3 -70:36 355:53 4 -70:06 353:43 Acquisition time 07-Aug-2002 start 00:31:14 stop 08:32:15 |
24 | 2002/07/31 | 土井浩一郎 | 渋谷和雄 | 要求3シーンの位置は次の通り。MO号は2又は3シーン目に入っていると思われる。 scene LatNW, LonNW LatNE, LonNE LatSE, LonSE LatSW, LonSW 1 (-68.01, -1.37) (-68.30, 0.25) (-69.16, -0.56) (-68.46, -2.59) 2 (-68.46, -2.59) (-69.16, 0.56) (-70.01, -2.22) (-69.31, -4.28) 3 (-69.31, -4.28) (-70.01, -2.22) (-70.46, -3.54) (-70.14, -6.03) |
25 | 2002/07/31 | 渋谷和雄 | Marilene Kazior | 昭和基地は2年後にIntelsat linkを導入するが、現在はInmarsatによるuucp接続しか出来ない。5 MB binary dataを5~50 fileに分割して送ることは出来る。SAR raw dataについてはIntelsat linkが実現しないと~70 MBのフルシーン転送は荷が重い。しかし部分画像(~10%)であれば現時点でも取り出して送ることが出来る。このような可能性のdetailはしかし、昭和の設備の問題と言うより越冬隊員の技量に依存する。今年うまくいったからと言って来年もOKとは限らない。 |
26 | 2002/07/31 | Vasily Kaliazin | 渋谷和雄ほか | MO救出を試みるすべての努力は失敗し、現位置に11月まで止まることになった。Almirante Irizarは帰路についた。ドイツの船主はこの決定を知らせてこなかった。船長からの最新レポートで知った次第である。 |
27 | 2002/07/31 | 渋谷和雄 | Marilene Kazior Silvia Schiarini 中沢孝 西条泰文 |
NIPR/NASDAは5031, 5049, 5067の受信要求を行い、昭和は受信した。これらのシーンはJuly 27の船位をカバーしているが、July 30の船位はカバーしていないようである。 Vasily KaliazinのNo. 26メールによると、MOは11月まで、この位置に止まるようである。今回の緊急受信はrescue operationには役立たなかったが、今後の氷海航行への参考にはなると思う。 (注) Vasily Smolyanitsky, Vasily Kaliazin, 若林裕之にもコピーを送った。 |
28 | 2002/08/01 | Marilene Kazior | 渋谷和雄 | 昭和基地での受信データ処理、転送、保存の状況がようやく理解できた。MOはより安全な場所にいるようでよかった。 |
29 | 2002/08/04 | 若林浩之 | NIPR/NASDA | 昭和基地でのacquisition report. orbit 38078 (2002/08/02) status OK, orbit 38092 (2002/08/03) status Lost. |
30 | 2002/08/08 | 若林裕之 | 渋谷和雄 | 8月7日に受信したorbit 38151 frame 5049の処理を行った。 1 pixel 50 m x 50 mでUTM座標系に投影した。y軸が南北方向、x軸が東西方向である。有効画素の4隅の緯度・経度は以下の通りだが、予測軌道を使用しているので、位置誤差は大きいかもしれない。自作のソフトを使ったのでバグがあるかもしれないが、画像のぼけはなく焦点は合っていると思う。 P(68.9˚S, 4.50˚W) Q(69.5˚S, 1.85˚W) R(69.6˚S, 5.98˚W) S(70.2˚S, 3.28˚W) なお、生データから衛星のyaw角を約0.75˚として処理した。全体的に暗いが、昭和基地のコーナーレフレクターでラジオメトリック校正しているので20.0log10(DN) -40.4 dBで後方散乱係数に変換できる。enhanceをかければ海氷状態の詳細が見えるだろう。画像の領域は緯度・経度情報から判断するとMOの西側の海域と思われる。 |
31 | 2002/08/08 | 中沢孝 | 渋谷和雄 | ERS-2/AIMのヨー角誤差自動推定とマニュアル推定の比較をRESTEC開発部に行ってもらった。結果をRESTEC観測部の宮沢さんよりサンプル画像等として送る。 |
32 | 2002/08/10 | 若林裕之 | NIPR/NASDA | orbit 38135 (2002/08/06) 38151 (2002/08/07), 38178 (2002/08/09)のstatusはいずれもOK。 |
33 | 2002/08/12 | 渋谷和雄 | 若林裕之 | 頂いたJPEG画像にenhanceをかけて様子を見た(Fig. 1)。MOは画面の左端から右のはずれへ2週間ほど前に動いたことになるので、画像上に航跡を乗せれば海氷状態の概要はつかめると思う(撮像区域を表す参考図MO2.pdfをFig. 2として示す)。どういう経路で誰にデータを送るかはNASDAと相談するが、第43次隊としての意向があれば知らせてほしい。なお、MOはすでに越冬に入っている。もし、10月に受信要求がくれば知らせる。 |
Fig. 1. 昭和基地での受信シーン(orbit 38151, frame 5049)を現地処理して得られたSAR散乱強度画像。若林裕之隊員が送付してきた画像データに土井がenhanceをかけたもの。右下端の明るい白い部分はBay of Muskegbukta西端の棚氷に対応している。たて、横~90 kmのシーンは実際のスケールでは、下辺が左側に移動して、全体としてもっとひしゃげた平行四辺形をしている。白100%の小片は氷山であろう。海氷域ではグレー濃淡が白さを増すほど海氷の密接度が高く、したがって氷厚が増していると考えられる。しかし、この画像から海氷厚の1 mの違いを検出するのは難しい。 |
Fig. 2. No. 21, 23, 24メールによる撮像シーンは予定では、この図(No. 23メールの参考図MO2.pdf)のようになるはずであった。Fig. 1は3シーンのうち、大陸にもっとも近い、frame 5049に対応している。そして、Fig. 1の右下端に見える部分が4˚W~2˚W間にある半島状の突端部分である。yaw-pointing errorが原因で実際の撮像区域は予定区域より北東側にずれた。 |
3章のNo. 25で佳境に入ったSAR強度画像作成努力はNo. 26により突然、肩すかしを喰らった形で終わった。船会社の発表したPress ReleaseはA4版3ページ分あるが、その始めの部分をFig. 3で示す。
この内容によれば、週末(7/27-28か)にはアルゼンチンの砕氷艦Almirante Irizarに伴われ、Muskegbukta (Fig. 2参照) に引き返したとある。また引き返す前に、600海里(約1100 km)の氷帯をbreak throughしようと試みたとある。Press Releaseにはそれ以上詳細な行動経過の記述はなく、「MOは10月初旬に北方に向けて離脱すること、Almirante IrizarはこれからBuenos Airesへ向けて脱出する」としている。Lübeck にある船会社Egon Oldendorffのスポークスマンによると、「あらゆる観点から考えて、これが最良(safest)の解決策で、Almirante Irizarは自力でopen seaに戻れるであろうし、MOは船体を強化していてice-class 1ASuper なので越冬しても氷圧に耐えられること、Muskegbukta はlow ice pressure and ice thickness areaとして知られているので安全である」と、結んでいる。MOが何故、南極海にいたかについては、「AARIに替ってロシア観測基地に食料・物資を供給したこと、79名の研究者(researcher)をCape Townに送り届けるはずであったこと」と述べている。また、MOは6月初旬にはpack-iceにはばまれ、6月11日にMuskegbukta に来て棚氷縁でrescueを待ち、3週間後(実際には6月28日)、107人中89名(研究者78名+crew 11名)が南アフリカの補給船"Agulhas"のヘリコプター(パイロットは南アフリカ空軍)によりairlift収容され、7月10日にCape Townに到着したと、前半のrescue作戦の経過を述べている。
Fig. 3. Egon Oldendorffが発表したプレスリリース(2002年7月30日)の最初の部分。 |
Fig. 1で見る限り、明瞭な氷盤が画面右下に見えるが、海氷域での1年氷と多年氷の明瞭な区別、水路(lead)の存在などは判然としない。フィルター処理で画像の鮮明化を図っても10月になれば、海氷状況が変わってしまい、7月の画像は殆ど無意味になる。そのため、No. 26のPress Releaseを知った時点でNIPRは画像を関係者に送るという具体的な対応は取らなかった。
Yaw-pointingずれによる位置誤差については2002年10月中旬のNIPR-NASDA(現JAXA)定期協議において「RESTECが作成した2002年10月4日レポート」が紹介された。そのレポートでは、昭和基地受信の2001年3月13日~2002年1月24日の5シーンについて別表1(b)のデータが示されている。結論として、姿勢正常時のシーンに比べ標準偏差が大きい(姿勢正常時、σ = 40~50 m)こと、マニュアル推定が自動推定に比べ良いとは一概には言えないこと、標準偏差はyaw角誤差の大きさに関係しないこと、としている。No. 30やりとりによると、昭和基地(若林裕之隊員)はyaw角を0.75˚と推定している。別表を考慮すると、No. 30シーンの位置誤差は~1000 mあると思われる。
別表1(b) 幾何補正精度検証結果(昭和基地受信分) | ||||||
No. | 観測日 | パス-ロウ | 自動推定したヨー角誤差(°) | ヨー角誤差自動推定値での幾何補正精度(m), GCP数 | マニュアル推定したヨー角誤差(°) | ヨー角誤差マニュアル推定値での幾何補正精度(m) |
5 |
2001/3/13 |
187-418A |
|
平均=288.14 |
|
平均=254.62 |
6 |
2001/3/18 |
187-418D |
|
平均=681.92 |
|
平均=849.45 |
7 |
2001/3/26 |
185-417A |
|
平均=209.95 |
|
平均=205.93 |
8 |
2001/6/7 |
187-417A |
|
平均=438.84 |
|
平均=434.96 |
9 |
2002/1/24 |
185-418D |
|
平均=1629.79 |
|
平均=1607.93 |
yaw-pointingずれを自動推定した場合とマニュアル推定した場合の位置ずれを比較した。GCPの数にも依るが、位置ずれは~1000 mに達している。 |
3章のSAR受信の経緯からわかる通り、事件の発生時期が6月中旬~下旬というのは決定的に間が悪かった。この時期の南極基地はどこも、ミッドウィンター祭に打ち込んでいて、SAR受信要求の即時緊急性、重要性が具体的にわからない限りNIPRはSyowaに対して無理は言えないからである。また、MO救出という具体的必要性が判明した(7月10-11日)時が、渋谷が上海SCAR会合に出発する直前で7/24のNo. 8メールまで何の対応も取れなかった(昭和基地以外でも対応できるだろうと思った)ことも、ちぐはぐさを助長した。また、受信要求→撮像→yaw pointing誤差による位置ずれ確認、という一連のプロセスを終了するより早くMOが移動してしまうので、船の周囲10マイルの海氷状態を知るうえでのタイムリーな受信にはどうしてもならない、というのが実感であった。
このノートをまとめるに当り、ERS-2以外の衛星の運用状況を調べてみた。Radarsat-1は1995年から2010年まで運用されていて2002年も利用できたはずであるが、Marilene Kaziorからの情報によると、当時、観測できない(当該地域では?)ようであった。一方、Envisatは2002年3月の打ち上げで、7月はcommissioning phaseの段階かと思われるが、 http://www.esa.int/Our-Activities/observing-the-Earth/Envisat_s_night_eye_support ... (22 Jan 2013 visit)を確認したところ、German Federal Maritime and Hydrographic AgencyがESAに対してAdvanced SAR (ASAR)レーダー画像提供を要請したとある。当該海域はEnvisatの通常データ受信(あるいは送信か?)が不可能な地域に入っていたが、他のセンサーを止めて対応した旨、述べられている(何故、不可能かなどの詳細は不明)。
http://spaceinimages.esa.int/Images/2002/08/ASAR_assist_Antarctic_rescue_missionに取得された画像が掲載されているが、creditの関係で転載はしない。ERS-2 SAR同様Cバンド画像であるが、7月30~31日の40時間でMuskegbuktaを西から東に向かって約120 mile移動したことが見てとれる。画像は鮮明で、Bayの氷海と棚氷の間に海氷のない(薄い)バンド状のopen sea areaの存在が見てとれる。北方に向かって黒いパッチ状の薄氷域が点在していることも見てとれるが、具体的にどのルートをたどれば、脱出できるかは、熟練した解析者でないと(であっても)無理な感じであった。
2013年1月現在、2002年当時からの大きな進歩は、現地受信、データ転送と言う手順が不要になったことであろう。SAR衛星は十分なメモリを積めるようになったので、受信局は大抵の場合、不要になった。受信データは中央局(ESA/ESRINやJAXA/EORCなど)でdownloadして解析できるのでreal-timeとまではいかないが、時間的ロスは少なくできる。波長が短くなるほど微細な海氷構造がわかるだろうことを考慮すると、TerraSAR-XのXバンド高分解能画像がルート選定に有効かもしれない。しかし、船の砕氷能力となると、氷厚が1 m, 2 m, あるいは3 mなのかで大きく異なる。いくら微細なSAR画像が得られたとしても、実際の脱出となると、その場その場の状況判断に依存し、綱渡りになるのはMO事件から10年経った今も変わらないであろう。
最後に、事件を起こしたMOがNovolazarevskaya基地近くの棚氷の氷崖に停泊していた時撮影された画像(Vasily Kaliazinの2002年6月24日付けメール添付のNO.jpg)をFig. 4に示す 。
Fig. 4. Novolazarevskaya基地付近の棚氷崖に停泊しているMagdalena Oldendorff号。Vasily Kaliazinの2002年6月24日付けメール添付のNO.jpgである。 |
Q and A
Q1: Muskegbuktaという地名が出てきますが、南極の海岸には大抵、地名があるのですか?
A1: あります。南極の地名は各国の探検の歴史が背景にあり、同一の地形に対して国によって別の名前がついていたり、同じ名前であっても位置の表記が違っていたりします。SCARは政治的な混乱をさけるために各国のつけた地名を統一するのではなく併記する形で、Composite Gazetteer of Antarcticaを編纂し、地名一覧を公開しています。具体的には各国(20ヶ国)の専門家で構成される測地・地理情報に関するワーキンググループ(WGGGI; Working Group on Geodesy and Geographic Information)が32955の地形にreference numberをつけ、イタリアチームがそのひとつひとつについてComposite Gazetteerを編纂し、1998年3月、2分冊で出版しました。
ノルウェー語のbuktaは英語ではbayを意味しますが、このGazetteerによると、ノルウェーとロシアが同じMuskegbukta (Reference Number 10018)という地名を付けています。その位置は、NOR (70˚10’S, 2˚30’W), RUS (70˚05’S, 2˚00’W)になっています。しかしFig. 2の海岸線形状からわかる通り、両者の位置に本質的な違いはありません。
Q2: 大騒ぎしなくても、MOは最初から大陸沿岸でじっとしていたら良かったのではないですか?
A2: 結果論としてはそのように見えますね。しかしビセットは客観的に見て危険な状況です。1981年12月16日、当時の西ドイツの観測船ゴットランド号がオーツランドのユール湾(Yule Bay)沖(70˚21’S, 167˚31’E)でビセットされ、浸水のため2日後の18日に沈没しています。何故、浸水したかというと固い氷縁に船体が押し付けられ、船体肋骨にひびが入ったからです。しらせなどの砕氷船は船殻がおわん型で氷圧を受けてもせり上がり、氷に挟まれてつぶされることはありませんが、ゴットランド号は普通の商船のように側面が平らなデザインのスマートな船で、氷圧に耐えきれなかったわけです。MOの耐氷圧についてはIce-class 1ASuperという表現がEgon Magdalenaのプレスリリースにありますが、これは~550 KN/m2の氷圧に耐えるという意味で、船殻についての情報は、これだけではわかりません。密氷の圧力は風向きに依存していて、南側の氷帯が厚くて固定されているところに北風が吹き続け、船体が氷に挟まれると浸水・沈没と言う運命をたどったかもしれません。ゴットランド号の沈没については鳥居(1982)の詳しい報告があります。
鳥居鉄也(1982): ゴットランド号の遭難、極地、18-1, 62-63.
Q3: ずいぶん大がかりな救出作戦になったようですが、かかった費用は誰がどう分担したのですか?
A3: 南アフリカはAgulhasとヘリコプターチームを派遣しましたし、アルゼンチンもAlmirante Irizarを派遣したので莫大な費用が発生したはずです。しかし、ゴットランド号の場合もそうですが、同じ「南極観測仲間」だという共通認識がある場合は、費用やりとりは発生せず、貸し借りとして記憶し、将来の同様のレスキューで相殺して行く「大人の解決」をしてきました。しかし、MOの場合、訴訟沙汰になったと聞いています(誰が誰を訴えたかなどの詳細は知りません)。SAR受信に関して、NIPR/NASDA, ESA, US NICいずれも、なにがしかの費用・労力をかけた訳ですが、請求書を送りつけたりはしていません。